ついついやってしまうジャッジを止める方法。



とにかく、


「目の前の事実だけに集中すること」



相手の話や、見聞きしたことに対して、


「自分フィルターを通さない」




「私なら…」

「オレの好みは…」

「僕の常識では…」

「私の過去の痛みセンサーよると…」


瞬間的に作用してしまうコレらの思考癖をカットする。



コレら思考癖は、


「私が嫌われないため」のセンサーのようなもの。


「人目を気にする」の最大要因。



コレらがあるから目の前のモノコトに集中できていない。


余計なメモリを食ってしまっている。



とっても勿体ないどころか、目の前のモノコトに失礼な状態になっている。(←コレもジャッジ?)



なので、


気が付いたときからで良いので、


「目の前のモノコトに全集中」する練習をしようと思う。



いちいち自分に引き当てない。


目の前のモノコトに対して、「自分は関係ない」のだから。


車窓からの桜島


おもしろき  ことも無き世を  おもしろく
棲みなすものは  心なりけり

「今」だからそう思うだけ。



「あの時」はそうは思ってなかったのよ。



だから、



「あの時」の自分を責めたり否定しないであげよう。




それより、



「今」そう思うのであれば、


「今から」出来ることをやろう。



そうすらば、

知らない間に「あの時のアレ」がひっくり返っていたり……


おもしろき  コトにたくさん  気付くには
一にも二にも  心なりけり
「人生は短い」
「人生は長い」
どっちが正解?


どっちも正解。

眺める角度とタイミングが違うだけ。
その時々の自分の気持ちが違うだけ。


どちらもアリ。
どちらも正しい。


決めることに意味はないし、決められない。
 

それを、


「片方だけが正解で反対側はありえない!」
こんな風に解釈しようとするからややこしくなる。


世の中の揉め事はみんなコレ。


どっちもアリ、
それでいいじゃないか。


0か10かで生きるのではなく、
3~7の間で生きていこう。

答えはドッジボールの中に。



小さい頃、ドッジボールが苦手でした。



ボールが投げられない。

受けるのが怖い。


ただひたすらコートの中を逃げ回る。

願わくば最初から外野にいたい。


そんな子供時代でした。



48の今年になって気付いたこと。


・なぜ「投げる練習」をしなかったのだろう

・なぜ「受ける練習」をしなかったのだろう


このことに今年まで気が付きませんでした。



怖がって逃げて避けるばかりで、

「ではどうしようか?」

ということを、全く意識していませんでした。



もし、ボールを投げられれば、

もし、ボールを受け取れれば、


面白くなったかも知れないのです。


怖さの向こうにあるものに、気が付けたかも知れないのです。



そこに全く気が付きませんでした。

逃げて避けることで精一杯だったのです。



でも、



逃げてばかりではつまらないですよね。



いつのまにか、一人また一人と減っていって、

自分だけが残ります。


敵の内野外野から狙われるだけ。

さらに怖くなってイヤになります。



もしあの頃、


ちょっと勇気を出して、


「ボールの投げ方を教えて」

「ボールの受け方を教えて」


…と、逃げずに言えたならば…


ひょっとしたらその後の展開は全然違ったものになったかも知れません。



逃げてるだけでは何も変わりません。

避けてるだけでは安心にはつながらないのです。



逃げて避けるのではなく、

思い切って正面を向いてみる。



チャレンジしてみる。



そこに答えがあったのです。




48になった今も、

逃げてきたこと、避けてきたこた、たくさんあります。



あの頃のドッジボールと同じですね、



あの頃のワタシが今年教えてくれたように、

勇気を出して「怖さ」の向こう側にあるものにチャレンジしていこうと思います。



投げ方や受け方がわかれば怖くない。

練習すればうまくなる。


失敗して工夫して、修正して自分のものに。


そうすれば、面白くなっていく!




おもしろき  ことも無き世を  おもしろく



これってホントですね。

過去の自分を責めるのはアンフェア。



なぜなら、


「あの頃はあの選択がベストだった」


のだから。



それ本当かって?



本当かどうかは、「あの時のワタシ」しかわからない。  



その意味では、


「わからない」


が答えになる。



少なくとも、


「責める」理由にはならない。



言えるとしたら、


「今だったらできるのにな…」


ということ。



その「できる」という気持ちを抱き締めて、


「今出来ること」にチャレンジしようよ。




そしたら、


いつの間にか「あの頃はのあの選択」も


「よかった!」と、思える日が来てるかもね。






おもしろき  ことも無き世を  おもしろく