何か不安なことがあったとする。

 

そうすると、

 

やはりそれは見たくないし触れたくない。

 

 

なので、

 

目を背ける。

 

 

他のことを考えたり、何か別のことをやったり、

 

極力目に触れないように、頭に浮かばないようにしようとする。

 

 

だけど・・・

 

 

大抵はそのことが頭に浮かんでいる。

 

考えていないようで考えている。

 

めちゃくちゃ考えている。

 

 

なので、

 

 

他のことを考えたり、何か別のことをやってたりしていても、

 

あまり手についていない。

 

そのことばっかり頭に浮かんでいる。

 

 

そして、

 

 

考えているようで何も考えていない。

 

ただその不安なことの、「不安な思い」のみが浮かんでいる。

 

 

同じシミュレーションばかりが頭に浮かんでいる。

 

そして増幅する。

 

悪くなる方向にばかり増幅する。

 

 

これ、

 

考えているようで実は何も考えていない。

 

ただ、

 

頭の中を何かがグルグル堂々巡りしているだけ。

 

 

ほぼ

 

同じことを回転木馬のごとくぐるぐる考えている。

 

 

 

 

ズバリ、

 

無駄な時間。

 

 

 

過去の失敗にとらわれているときと同じで、「今」を生きていない。

 

=「今」を無駄にしている。

 

 

でも、本人にとっては深刻に悩んでいる。(つもり)

 

 

もう少し踏み込んで言うと、

 

 

「悩んでいるつもりで何もしていない」

 

 

前にも後ろにも進まず、ただ悶々と頭の中に同じ画像がずっと流れている。

 

 

街中の大ビジョンの中に同じ映像が繰り返し流れているのに同じ。

 

先にも進まず後ろにも下がらず。

 

ただ流れているイメージ画像に怯えて弱っている。

 

 

ではその画像をしっかり見ているかというと、見ていない。

 

うずくまって頭を抱えながら、流れている映像の音声がグルグル回っている感じ。

 

 

 

ではどうするか、

 

「見る」

 

 

ちゃんと「見る」

 

 

その怖いイメージ画像をちゃんと「見る」

 

勇気を出して「見る」

 

正面から「見る」

 

 

そして、

 

ノートか何かに書きなぐる。

 

具体化する。

 

 

何が怖いか、

 

どうなりそうなのか、

 

それによって自分はどう思うのか、

 

全部片っ端から書き出してみる。

 

 

 

そうしてみると、

 

さっきまであれほど怯えていた「怖い怖い不安のお化け」が、

 

具体化していくことで小さくなっていくことに気づく。

 

 

ちゃんと見ていなかったから想像の世界でどんどん肥大化させていただけ。

 

ちゃんと見れば、見えてくる。

 

 

見えれば、対処できることが見えてくる。

 

それが見えてくれば、具体的に動く。やる。

 

そうすれば進む。何かが動き出す。

 

 

ただ「考えているフリ」をして逃げていたときは、何ら状況が変わらなかったけれど、

 

ちゃんと「見る」ことで何かが動き出した。

 

 

 

不安があるとき、

 

怖いことがあるときこそ、

 

ちゃんと「見る」

 

ちゃんと「向き合う」

 

 

逃げない。

 

正面から「見る」

 

見て見て見て見て見まくる。

 

それが大事。

 

 

 

 

いろんなヒト、モノ、コトから逃げまくって怖がりまくって生きてきて、

 

最近ようやくにして体感したことです。