「幸せ」は「ある」

それも「今幸せである」

これが大前提

・・・という

心屋さんもみつろうさんも言っている


わかるようでなかなかうーん・・・

きっと気付いていないだけでそのうち気付くんだろうな

だから今は「なんとなーく」でいいか

・・・と思いながら過ごしていた。


まだなんとなくではあるけれど、その「何となく」の何となく感が少しずつ深みを増して行っている感があるのが、これまた何となくなんだけど実感としてある

それでいいんだろう、きっと 笑


たとえば・・・

仕事で疲れて帰ってきて、家であつーい味噌汁を一口すすった時の幸せ感

他の条件は何にも変わっていないけど、その瞬間の「今の幸せ」といったらたまらない幸福感

うん、たしかに「ある」

「ある」ことのそのとき気づいた、っていう一例


他では・・・


風邪をひいたとき

身体がだるくて悪寒がして熱もあって足腰がだるくて何となく気持ちわるい・・・

この時思うこと

「あ~普段の健康ってめちゃくちゃ有難いんだ・・・。普通な毎日って素晴らしいんだな」

そう、「健康」が無い状態になって初めて気付く、「健康であること」「普通であること」「何気ない日常をすごせること」の有難さ、幸せさ


転勤や転校ででどこか別の地域へ引越す時にわかるその地域に住んでたことの有難さ

その時に感じる「その町で過ごしてること」「当たり前の風景があったこと」「その中の一風景として生活している毎日があったこと」の有難さ、幸せさ


何年か経ってみてわかる「あの頃」のありがたさ

「あ~あの頃はよかったなぁ。。」

その時に感じる「あれもできたこれもできた」「あんなことあったこんなことあった」「それが日常だったこと」の有難さ、幸せさ


これ全部「幸せ」だったこと、それも、その時の「今」が「幸せ」で、その状態が「常にあった」ことを気付かせてくれている


ただここにまやかしがある

今の段階から過去のある時を振り返って「幸せだったなぁ」と感じてしまうと、

「過去のあの時」=「幸せ」≠「今」

という風にスイッチが切り替わってしまいがちになるが、そこが落とし穴


この過去の記憶が教えてくれていることは、


今こうして過ごしていていることが(例えばこうしてブログを何気なく打っているこの時間も
)本当はすごく幸せなことだっていうこと

「今」の時点ではただの日常の一風景で、その有難さ、幸せさを感じ切れていない自分がいるけれど、いつか何の時かに「今」を振り返ったとき、「あぁあの頃のあれが幸せだった」になるんだろう


①今過去をふりかえって「あの頃が幸せだった」

②将来のどこかのタイミングで今を振り返って「あの頃(①)が幸せだった」

③更に将来のどこかで将来の時(②)を振り返って「あの頃(②)が幸せだった」

これが無限大に続いていく

そして、最期に今回の人生を終えるときにも「私の人生は幸せだった」になるのだろう


まとめると、


どこかのタイミングで、その地点から過去のどこかを回顧して「あの頃はよかったね・・・」ってことを言いたいのではなく

後で気付くどのタイミングでも、過去のその時は「幸せだった」ってことは、

「今もそうなんだよ」

ってこと。


「『幸せなこと』はあったんだ」ではなく、「今もあるんだ」

今気付かないだけで、気付いていないだけで



過去をわざわざ振り返らなくとも、「今」が「今生きてること」が「幸せ」なんだ

「幸せが前提」って、きっとそういうこと



今の自分が過去をふりかえって「あの頃は幸せだった」

未来の自分が今を振り返って「あの頃は幸せだった」

だったら「『今』が幸せである」ってこと


これなんだ

これじゃなければ、過去を振り返って「あぁ幸せだったんだ」なんて思えるはずがない

気付いてるか気付いていないかだけの話


ってことは、

気付いた以上はこれからは「前提」をそれで!

もう逃げようがない!笑


ってことで、今日も一日人生ゲーム!

今日のサイコロの目は何だろう?



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