小さい頃の記憶をたどっていてふと思ったこと

「そういや、あまり泣いたことなかったなぁ。。」


そう。

確かにあまり泣かない子だった。

幼稚園、小学校、

片手で余るほどしか泣いた記憶が無い。

特に友達同士でのケンカとかで泣いた(泣かされた)のはただ一度

それはくっきりはっきり覚えてる。

なぜなら人前で誰はばかること無く泣いたのがその時が初めてだったからだ。

小学三年くらいのことだったか。


それまでは、そりゃ子供同士でのケンカもあればふとしたことで泣きたくなるようなことはあった。

記憶してない所でもそれはたくさんあっただろう。

でも泣かなかった。

強くもないくせになかなか泣かないことで変に有名でもあった。

それが余計に泣けない理由になったのかもしれない。


親の影響がやはり大きかったか。

「あんな風に泣いたらだめだ」
「人前で泣くのははずかしい」
「おまえは強い子だから」
「ぐっとがまんしろ」

そんな風に言われて育ったなぁ確かに。

それに

「恥ずかしい」ってことに人一倍敏感だったから、

「泣いたら笑われる」「馬鹿にされる」と脅迫観念のように思っていたことも強いかもしれない。


それだけに普段ずっと我慢しているからか、いざその我慢の限界を超えたときはそりゃ号泣したものだ。

数少ない記憶で残っているケースは全部そう。

堅く閉じてる蓋がこじ開けられたら中身が一気に噴き出すっていうあの感じだろう。


そうした影響からか、

大人になってからでも意外と涙というものと無縁なのだ。


そうはいっても結構感激屋なので、目が潤むことはよくある。

・・・が

潤むところまではいっても、それが涙となって流れ出るところまで行くかというとそれが全然行かない。


映画を見たり、感激するニュースを見たりして、周りがボロボロ泣いているのに自分だけが普通というのはよくあったケースだ。

あ、いや、十分に感激して身体が震える思いをしているんだけど・・・でも泣けない

同じような経験をもつ人もいるだろうと思うけど、それはそれで場面によってはなかなかつらいものだ。


街を歩いてると、小さい子が泣いている場面によく出くわす。

お母さん相手にギャン泣きしていたり、友達を相手に泣いていたり、

それはもう周りのことなんて一切気にせずエネルギー全開で泣いている場面もあったり


ああいうのを見ていると思う。

自分は子供らしい子供じゃなかったのかなぁ・・・、と。


そりゃ泣きたい場面もあったが、その感情が湧く前にまず周りの大人を見ていた。

親であったり近しい大人であったり

その人の目を気にして感情を抑えていた。

泣きたいのに笑っていた。

イヤなのに笑っていた。

気に入られるように振舞っていた。

そのせいか・・・しょっちゅう自家中毒症にばかりかかっていた。


その時はわからなかったが、今にして思えば、相当なストレスが体に現れていたんだろう。

おそらく今ならそういう風に診断されていたのだろうが、当時はまだそういう風潮ではなく、単に「気の弱い子」な判定を下されていた。

何が原因か、といったことはあまり気にされなかったように思う。



今なんでそういう頃の記憶に思い至ったか。

ここ最近の流れに沿って考えると、きっとそこに何かの置き忘れモノがあるから、っていうことだろう。


それって何だ?


その時封印されていた喜怒哀楽の感情が、まだそのまま封印されているってことなんだろうか

いやいやそれは考えすぎか


でも・・・いくらかはあるかも

だって泣いたことないんだしね、あの頃。

喜怒哀楽はバランスだから、

泣いてないってことはおそらく本気で笑ったり怒ったりっていうこともやってなかった?のかもね

わからないけど。


だからきっと・・・

そういう置き忘れモノを、今取り戻しなさいね、って、

きっとそういうことなんだろうなって思う。

や、

そうなんだよ。



人の目気にしなくていい~

思い切り感情出してもいい~

恥ずかしがらなくていい~

誰も笑わないし~


昔の置き忘れモノ、今取り戻してもいい~

でてこい!本気の喜怒哀楽!!!


人に遠慮する前に、自分に遠慮するな!なんてね



なぜか昨日からケツメの「涙」がずっと頭の中でぐるぐるぐる

何でだろう?と思って書き出してみたらこうなった。



喜怒哀楽するぞ!

もっと外に出て、もっとサイコロ振ろう!!!