ここ最近を振り返って思うこと。


やってみればナントカなる!

やってみれば何かがわかる!

やってみれば景色が変わる!


少なくともこれは間違いない。

当たり前と言えば当たり前なんだろうけどね。


でもその「やってみる」に至る前にいろいろあれこれやらない言い訳に襲われて、

それとの戦いに疲れてがんじがらめになって、

やらない理由でぐるぐるまきにして

結局何もやらないっていう人生を○十年続けてきた身にとって、

それはもう衝撃の事実なわけですよ。

(まぁただそれを自分で選んでいたわけなんですが)


そしてその上、

やらずにずっとその位置にいて、やってる人へのねたみそねみやっかみと自分守護

外からみたら、ほんと「知らんがな」ですよね


「そんなとこでじっとしてないでこっち来て一緒に楽しもうよ!」

って。

「四の五の言わずに早くおいで!」

って。

で何度言っても動かないから、それが却ってその人達の無力感、罪悪感を刺激したり…とかとか


ああもういいとこ無しだね ^^;


そういえば昔友達が言ってたことを思い出しました。

「サイコロ振れば、どんなに悪くとも一歩は進める」


そう。

サイコロ振れば何かが動き出す。

ゲームに参加したことになる。


彼は言っていた。

「いつまでもサイコロ振らないのが一番つまらない。

だってゲームに参加してないんだから、面白いわけないよね。」


そう。

そうなんだよね。

その言葉をもらってからかなりの年月が経ってるけど、今その感じがよくわかる気がする。


サイコロ振れば、1~6まで何が出るかわからない。

6が良くて1が悪いというわけではないが、1が出たとしても1は進めるんだ。

1進んだら「3コマ進め」になるかもしれないし、

6の目が出て6コマ進んだら、「3戻れ」になっているかもしれない。

「あぁ同じじゃん!」とそこで笑ってるかもしれない。



どうなるかなんて誰にもわからない。

そう。

「やってみなければ」


そう。

「一回休み」

でもいいじゃないか。

休めって言われてるんだから堂々と休めば。

それも、そこに着いた人にしかわからない経験と景色。


ゴールまでは何があるかわからないし、それまでのプロセスを存分に楽しめばいい。

いい時もあればそうでない時もあるけど、それもこれも全部フィールドなんだ。


そもそもゴールが何かわからないから別に意識することもなく、

それを目的にするんじゃなくて今まさにここにいるフィールドで今のゲームを、今のサイコロの目を楽しめばいい。


そう。


やったらわかる。

やったら見える。

少なくともその景色から見たものはウソ偽りのない本物だからだ。


さぁ、もっとゲームに参加しよう!

フィールドにでよう!

次はどんな目が出るか?

今日のサイコロは何だ???