ちょっと、マニアックになってしまいますが
C62ファン、鉄道模型作製の参考によろしくお願いいたします。

さて、キャブ回りは次回にして今回は
空気作用管の変化を1970年以降の画像を参考にみていきます。

ニセコ現役時代はあまりにも有名であった2号機ですが
過去の書籍で、公式側をみわたせる画像を何枚かみくらべ
空気作用管のラインの変化をみると、確かに変わっています。

松本謙一さんの書籍、鉄道ファンから
比較的、作用管がわかる画像をアップします。
(著作権でまずいかなあ?????)

大きな変化は
1970年7~8月にかけて苗穂工場でおこなわれた
最後の全般検査といわれた前後の変化。
これは、鉄道ファン No.116に
”スワロ-エンゼルバラバラ事件”という松謙さんの記事で載ってます。

次は
”いざ、梅小路へ”と北海道にお別れする
1972年8月にに撮影されたもの(最終北海道仕様とでも)
この時の作用管の状態は1986年8月に私が撮影したものと同じで
ラインの並行、直角が奇麗になっています。

タイヤの交換はこれらの画像からははっきりしませんが
全般検査時、タイヤ厚が規定の45mmより修正後も60mmと
充分あるという記事が載っていましたので、この時の交換はありません。
しかし1970/8以降の交換ははっきりわかりません。
鉄道ファンNo.128(1971/12月号)の折り込みにある
非公式側(1971/09/16撮影)の動輪タイヤは確かに薄く
最後の整備(1972年梅小路前に)に交換された可能性は否定できません。

全般検査終了後1970/8から、ニセコ重連終了の1971/9までの間
2号機はファンのため前補機の任をかなりこなし
山線特有の勾配とカ-ブによって60mm厚あったタイヤの摩耗も
かなりあったのではないかと推測されます。
(fdrt8_ftさん、アドバイスがありましたらよろしくお願いいたします)


他にキネマの”蒸気機関車”だと思いましたが
あるファンが現役時代の2号機を撮り続けていたが
正面ナンバ-プレ-トの字体が微妙に変わったという記事がありました。
何回か交換されたのではいう非常にマニアックな話題でしたが
充分、考えられることですね。



イメージ 1

C62 HUDSON FOR LIMITED EXPRESS  P219上段より引用 1970/06/26撮影
  苗穂工場にて全般検査前
作用管はよれよれで、ラインもみだれているのがわかります。





イメージ 2

C62 HUDSON FOR LIMITED EXPRESS  P219下段より引用 1970/08/05撮影
  苗穂工場にて全般検査後
この時は、タイヤ厚は削正後も60mmと充分で交換はしていない。
作用管は配管されなおし並行ラインが整っています。
松謙さん達の要望で白線がはいる。





イメージ 3

鉄道ファン No.116(1971/1月号)P60~61より印用 1970/08/06撮影
  苗穂工場にて全般検査後の構内試運転
キャブ前の作用管は直角に整えられてるが、デフ後方の下部へのまがりは
曲線で配管されているのが、わかります。





イメージ 4

鉄道ファン No.140(1972/12月号)P32下段より印用 1972/08/27撮影
  梅小路に転属前のさよなら運転時。
苗穂工場にておそらく職員の愛情を込めた最後の整備をされたのでしょう。
作用管は再度整えられ、デフ後方の下部へのまがりは
直角で配管されているのが、わかります。(奇麗すぎて天賞堂模型的)
確かにタイヤが白く塗装され厚くなったようにはみえますが(?)・・・・
過度のペイントはいかがでしょうか・・・私はランボ-ド白線だけで充分です。






イメージ 5

吹田機関区”栄光のつばめ牽引機関車集合”企画時 1986/08/23撮影
前々回使用した画像です。
http://blogs.yahoo.co.jp/d51146/64773563.html
作用管は1972/8時のものとほとんど同じようにみえます。