今日の深夜0時30分ごろ、三橋貴明著「日本のグランドデザイン」(講談社)を読み終わりました。
そこで、この本を読んで気づいた点について書きたいと思います。
まず、第1章の「日本の繁栄を妨げているもの」として、財務省とその意を受けたマスコミが垂れ流す「財政破綻論」に基づく「公共投資の削減」による「デフレギャップの拡大に起因した低成長」と言う箇所についてです。
この中で、三橋さんは、財務省とその意を受けたマスコミを痛烈に批判していますが、ではなぜマスコミはともかく財務省は「財政破綻論」を繰り返し繰り返し唱えるのでしょうか?
自分なりに考えた結論としては、「天下の財務省が、よその省庁の言われるがままに予算を計上すれば、われわれ財務省のありがたみが薄れる」「自分たちが省庁のトップであることを他の省庁に思い知らせてやろう」という「財務省の『面子』」にあるように思えます。
例えば、これは地方の話ですけれども、佐賀県唐津市と長崎県の鷹島を結ぶ橋の名称をめぐって、「肥前鷹島大橋」(佐賀県側の提案)にするか「鷹島肥前大橋」(長崎県側の提案)にするかで佐賀県側と長崎県側がいがみ合って何ヶ月間か計画が遅れた、と聞いたことがあります(最終的には佐賀県側が折れて「鷹島肥前大橋」という名称で決着→間違ってたらおわびします)。
このように、公務員は国家、地方問わず非常に「面子」にこだわる人たちであることが分かります。
ではなぜ、公務員は「面子」にこだわるのか?
それは、民間企業とは違い「倒産」「失業」がないからです。
民間企業の場合、「倒産」したら、まず経営者のみならず社員が「失業」します(当たり前だが)。「失業」すれば生活の糧(給料)が失われるため、「面子」などにこだわっている暇などありません。
これに対して、公務員の場合は「倒産」がなく、法律上、犯罪でも犯さない限り「失業」もありません(地方公共団体では財政破綻すれば「財政再建団体」というものになるがそこで働く公務員が「失業」しない以上、「自治体の倒産」とは言えない)。だからこそ「面子」にこだわる暇があるのです。
結論として、「日本の繁栄を妨げているもの」の正体は、法律上身分保障された官僚たちの「面子」とそれを押さえ込むことができない政治家たち(特に今の政権与党)、そしてその政治家たちを選出する私も含めた日本の有権者たち(投票を棄権する人たちも含めて)にあると思います。
明日に続きます。
