昨年秋。
◇はパリにある大学都市にご用があって、
目的地としていた各地を回りつつ、行ってきました。
初めての海外旅行というか散策?で、感じたことは
いろいろありました。
でもそのいろいろの中には、
共通した見解が根付いたのでした。
◇が住む東京と、同じ平面で、同じ月を見上げ、
同じ惑星の中を歩いているのに、
口から出す“音”ようするに“言語”と呼ばれるものが
存在する。
こと、
でした。
本番前の30分。◇は大学都市から1人でスイーっと出かけた、
スタジアムで首をひねりました。
スタジアムの下では、コンクリートの中で子供たちが、
ローラースケートやマウンテンバイクなどで真剣に遊んでいました。
子供たちの目には、そこは人がいるから危ない(このままぶつかると)
と
思って避けるのでしょう。
◇には、「そっちはあなたの名前のアルファベットが飛んでいるから、
(そのままカーブすると、彼らが壁に当たって)危ないわよ。」
を、
言えませんでした。
彼女のお父さんが、「エイミー」と名前を呼ぶので、
知らないアジア人の私が、聞いた名前を視てしまったから、という理由で
話しかけるのは、返って注意を邪魔すると、咄嗟に口をむすびました。
なんだか、発言の場が限られている自分にとって、
外で普通に過ごす日常は、“視えたから”という理由によって、
なかなか制限されており、
仮に、自分で自分の視界を戒められたなら、
もう少し、ラクなのでしょうね。
ラジオに招待されて、彼らについて永遠としゃべる事を
許されるのなら、そういう日常がやってきたら、
たのしめそうです。
ラジオ歓迎!
◇