なつかしい・・・。



 おはようございます


 

  今月は早朝から起きている◇です。


  ◇は、もしも可能なら2009年以内に通っていた

   教育機関(中高学)の記憶は、

        すっきり忘れたい(2005-2006以外)

            

         切に願ってきました。

              また、今でもそう思っています。


   ただ、その中でも

       忘れてはならない、わすれたくない・・・から、

 こうして思い出して、数年ぶりに観てみて、よかった。

   まだ、あった。と、思うものも、あります。


      ◇は完全にその学校から足を洗った2008年3月下旬。

      それからというもの、◇を取り巻く状況はめまぐるしく

                          変化していきました。

                ※また別の章で書くでしょう。

  ◇は、ただ曲を聴くだけでは、人の声と同様のことが

      起こってしまい、たびたび落ち着かないので、

    聴きたい歌があったら、

       プロモーションビデオと合わせて観賞していました。


   今でも変わらず、無意識状態(シラフ・リラックス)中などに

       音だけを聴くことは避けています。

 
   ◇は無意識の状態から、

    意識的にいつも出て行くように、振舞っていました。

   じっとしているように見えていたでしょうが、

  心の中では、

     どの方向に力をこめて日常を送るべきかどうか

                  ばかり

         いつも考えていました。


当時◇には、

意識せずには観られない、

ロックバンドが、数組いました。


 今ここに全組を、書くにはどうなのか。

 ブログの方向性とズレかもしれないことが

        そんなにいけないのか、

               自分では判断できません。


  それにズレるといっても、

    彼ら≪アルファベット・数・音符の子たちが大量に視え、

        意思疎通できることを知るの話しなので、

     まだ

     ◇が、人から直接的な情報を受け取っていた頃の話です。

         アルファベットや数の子たち、

              音符や記号の子たちを一度に視る前は、

             その人間自身の本性を、

             露骨に受け取っていました。

  ◇はこのブログで、いずれ

  自分が受け取ってきた映像の全てを話せるように

  なったら、いいなあ。

    と、

  設立当初は未来にヒトコトだけ相談してみました。



 今朝は、1組紹介したいと思います。

 いつだったか青春ロックバンドと言われていた人達の

 歌を、プロモーションビデオ(以下:PV)と一緒に

 テレビやパソコンからいつも観聴きしていました。
 
 


音と歌詞と、人の声とエネルギーでできている音楽は、

常に1人ですごしていた学校生活から

開放される時間であったとともに、

  その事を考えていると、

勇気や励まし、エールを送られている気分になり、

音(アーティストが伝えようとするエネルギー)に、

 たすけられる ような 気がしていました。


  ロックの中で生きていく音や音符たちは

   数の子たちでいう、時計の文字盤に入ってみたい

                  と

    切望しているような意識を持った

                 タイプの子に微々似ています。


 数の子たちの場合は、みんながみんな憧れる世界が

  時計だったり 、専門書の頁だったり 、電話だったり

     あるいは電子の中を流れてみたかったり・・・。

              そういう

         将来を選択するのが、常識でもあります。

     でも、

    ロック(電子機械・風爆系なども含め)

       の中。そっちの世界へ行ってしまいたい。

            という

          音や音符たちは、

       数ほど一般的な考えの子 はそうそう居ないでしょう。
                       ※その辺は、また寒くなったら記事にします。

 

 こんな◇でも、

  機械音は、過去の音ではなく、

  常に進化していく未来のものだということは、

          F が、教えてくれなくても知っていました。


今年の2月22日に書いた

 おと か・・・。ひかり か・・・。 で機械音について触れていますが、

   あそこで言っていたものは、ディスコや舞台に置いてある

    大きな

      装置?のことで、バクンゥーバクンゥー 弾む、

        四角い何かが苦手だということを

           書きたかったのです。


  ◇はCELTIC WOMENのような燦然と向かう

     エネルギーと同色の光の音を

         始終聴いていたいと

            思えるようになったのは、

               実は最近の話しです。

 10代の頃は、やはり

  具体的なストーリーが必要でした。

   単に耳障りが良いというだけでなく。


        そのとき、◇が立っていた場所から

      連れ出せるくらい・それをしていただける位の、

    動機に繋がる作品を求めていました。

  

◇は、わすれてはならない記憶があると同時に、

好きだった、縋るように聴いた・歌った、

思い出の曲は、当時から十数年経っても、

これから先も、


 しっかり大切にしていこう。


      と、


     本気で思うのです。


  



タイトルの10年内に聴いていた曲の中には、


   BUMP OF CHICKEN

         の

         ONLY LONERY GRORY

                      があります。

    この曲は

   ちょうど◇が一旦社会に出たときに 知った

                  作品でもありました。

      その翌年だったか、とても良い思い出があります。

 聴いていて心地よかったテンは、
  

  新しいワクワクと、澄み切らせてもらうキッカケ、

  水と空気と大地を与えられているようでした。

 

     この作品は、無意識で視たことがありません。

     逆に、意識してみざる終えないPVでもあります。

          ◇には本当に、そこのところが重要なのです。

  

なんといっても 

この映像には、実際そう起きているものと、現実的なところとが

一体化していて、◇はとても気に入っています。


 ビデオでは、人の瞳の中から1つの界へ入っていく、、、

    地球を潤った水か、空気で包んだ画で始まります。

 

   これは◇の視界からいくと事実ですから、

               とても嬉しかった事のひとつです。


       チョークの地面といい・・

    数学的・幾何学的で美しく、気に入りました。

 

女の子が飛ばすシャボン玉が向かっていく画や


 マンホールの下から上へ抜けても同じ地盤で、

   これはある法則に則っている視点だったことから

    当時◇は、

     製作者の方達は、

       ひょっとしてご存知なのかな?と、

              お話を聞いてみたかったのでした。


       全体的に、

          繊細な作品だなあ。

              と、

              感じていました。

     

  特に、知らせたいことは、

       2:33 のシーンで、演奏中の皆さんの・・

細かく言うと、ドラムスの方の、

             お背中あたりに浮かぶ、光・・。ひかり?

          言霊のような存在が、

         誘い合いながら浮いています。


 

 制作に当たられた方々はイメージなのかもしれませんが、

 

   これは

    人についている光の正確な位置

              です。

         それが、

           このプロモーションビデオには

                    ある。

               

             い

            う

          

          


  
           でした。

◇はあまり、ファンという意識はありません。

ファンクラブに入ることや、追っかけてみたりすること等は

興味の対象としては、管轄外です。

だからといって、一途にずうっとそのアーティストだけの曲を

聴くのか、というとそうではありません。

おそらく◇が続くのはだいたい3つまででしょう。

耳に入ってきた時期にもよって、その曲に、いつ気がついたのか?

   でも、

  まったく 違います。

    どのような分野の表現者でも、

    各各の情熱という名のヤクワリを、

         責任をもってしてくださっている気が致します。


  

 このごろ、

   思考することの中に、

     人がイメージするものは、実際起こっていることと、

       現実に起こったら、

          オモシロイ

             だろうな・・

           という

          実情

          と

        期待

        の

      両方

     が

      その人たちの中では、天秤みたいに

      元々“在る”基準なのかな。

      と、

       考えるのです。


   けど

   それって、

     実は

  「そうですよ。」

        と、

    ◇は言うことができます。


「え?」というか、「は?」というかは、

その方に任せます。


相手の相槌がどうであろうと◇は続けます。


「実際に起こっていますが、“そうなったらいいな”という追加発想で、

 既に起こっている事実=現実を、あなたが知らないから

 後追の気持ちでごまかしているんですよ。」

            と。         

              更にいうと

        「後追に保険をかけている。」

                と

                 いった

                    ところ でしょうか。

           




     他の人の脳も、

       十分。

               ◇にとっては、おもしろいのです。


ようするに、

    みなさん側の現実である事実と、

   ◇(しかく)側の現実である事実と さらに外れた真実?

               

                    丁度

               正反対のところに在るって訳です。


 

          大丈夫ですよ。

              もっと面白い人たちに

                 このブログを読んでいただきたい。


 

では。いってらっしゃい!

より良い一日を!