こんばんは。


   外出時、桜ばかり眺めていたら、


      なんだか久しぶりな気がします。


 しばらく溜め込んでいたことを話したいと思います。


 

 

◇は、聴いた音が映像になって現実と差異なく目の前を流れたり、

  生きている何か(植物・動物・人間)から、

    通常のコミュニケーション手段を踏まなくても、

  その方の人となりや性格、外見的に付属しているものなど、

    無意識の段階で、かなりの情報を受け取るタチです。


  ひとつ注意すべき理解への手引きとしては、

     その方にお目にかからないと、

          それらが視えない・受け取らない。

                         ということです。

 

    人に、

      会わなければ、いい・・・。確かにそうです。

              ということは

     外に出なければ、いい・・・。   そうなります。


    でも◇は、外に出て人となりに生活したいし、

        買い物へも働きにも行きます。

   そして、

       ほんの たまに 遊びにも、出かけます。


   

これらは何を差す前置きなのかというと、

よく聞かれることの説明をしたいのです。

     簡単なことです。


お会いしたこともない方を、

 平面の写真や電気機械の箱に入れられた偽者からでは


その方ご自身のお名前のアルファベットや

          誕生日の数の子たちを 呼び出すことは不可能です。



それは何故か。アルファベットも数の子たちも、

   彼らの放つ美音に導かれて、うまれ続ける音符や記号なども、

 

     その人間、その方ご自身に関わる彼らに、

        同一の子は、いないのです。


衣食住している人間に、まったく同じ人物がいないように、

彼らにも、この理論は当てはまります。



常に思い出は過去のものです。

未来に行って、ミテ来れる人はいるでしょうが、その、視た未来を

全く同じ道順だてをしたまま

過去になるであろう現在を、同じように過ごす

T トラベラーがどれくらいいるのでしょう?


◇は、人の思い出まで奪う気はありません。

良きも悪きもその方の人生の血なり骨なりです。

誰にも否定する権利はないのです。

もし味方なら肯定してさしあげたいし、ほめてもあげたい。


しかし、思い出は過去です。

動画の中で生活する人々を、否定したいのではありません。

作られた世界である映画やドラマの人間達や、

  生活観・世界観から背ける気もない。


作り物は作り物、それはそれ。これは・・・これ、です。


作り物の中にだって、動きがあるものとないものがいます。

動きがあるものの中にも、

 生きている・外に出て行けるだけの力を、

      持っているものと、そうでないものがあります。


    フローチャート式に枝分かれしていく

         各々に、こたえがあり意味があります。


それ以外にだって、そうです。

あわてているわけではありませんが、

なんだか落ち着かなくて、急いで書いてしまいました。

近いうち、また書きます。