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桜ふたたびの加奈子

 

透明で 安全な水が、飲めることに、毎回感謝してる人が、

どれほどいるだろうか?

今現在 水が、原因で、亡くなる人が、50万人だと

コマーシャルで、流れてるけど それは、どこか遠い国のお話と

どこかで、思っている。

 

桜、ふたたびの加奈子

最愛の娘を事故で失った母親が わが子の

生まれ変わりを信じて再会を願う

新津きよみ のミステリーを映画化。

 

悲しみは、時間を巻き戻し 

無かったことにする以外解決方法が、

無い。

 

勿論 そんなことは不可能なので

人は、知恵をしぼり それを軽減することを

模索する。

 

まず立ち向かうのに絶対にしなければ

成らないのは 、無くしたもの、失ったもの、壊れたものに

対する認識から

 

それが 努力、お金等で 取り戻せるものであるなら

そこに労力をつぎ込む価値は、あるだろう。

 

でも そうでないもの・・・

 

例えば 死とか

 

世の中に蔓延している物語や概念で

これは やめてほしいと 思っているのが

 

黄泉返りと呼ばれる 死を覆す行為の肯定。

 

短時間からの蘇生は、理解できるが、

それ以外は、不可だから。

 

もしも 何でも願いが、叶うとしても 

その中には それは、含まれない。

それは過去も未来も永遠にだ。

 

それに向き合わなければ 決して前に進まない。

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加奈子が、亡くなったのは、入園式の日

母親が、カメラを探してた一瞬の出来事だった。

(小さな子が、よくやる周りを見ないで路上に、飛び出して

車に轢かれた・・・)

 

そこから  輝く家族の円満な時間は、止まり 終わる。

 

母親(容子)は、悲しみに打ちひしがれ 自分を責める。

そして そこから抜け出せなくなる。

 

それは、人としてより 母親としての責務からの縛りだと思う。

 

映画や小説での描写が、果たしてどれほど現実にむきあったものかは、

不明だ。

 

あくまで 容子主観だと 捉えるべきだと思う。

生まれ変わりだと信じた知り合いの子は、加奈子と同じところに

ほくろが、あったから。

けれど 本当の生まれ変わりの加奈子は、隣の男の子(賢一)だった。

 

それでも 容子は、少なくとも 前に、進んだといえる。

なぜなら 亡くなってからも 作り続けた加奈子のご飯を 

それ以来 作らなくなったのだから。

 

人が、現実に向き合えず幻想に、向かうのは、

罪からの逃避では、なく無意識の生物としての

安全装置だと思う。

しかし それでも 容子は、死を選ぶ

 

「会いたい、会いたい、会いたい」

 

物語の序盤に、

容子は、加奈子に、くり返し

住所を 教える。迷子にならないようにと。

これが伏線で、あることは、すぐに、わかった。

 

この伏線は、2度使われた。

一度目は、生まれ変わりの証明

(ほくろは、無いが 、住所をいえ 飼っていた犬が、なつく)

 

あたしが、誰か わかる?」の問いに

「うん、前のママ」

 

ここから 容子は、変わるんだけど

 

それは 子供の幸せのため

 

辛い選択 (もう 賢一と 会わない)を 自ら

課し  

「加奈子 車には 気をつけてね」

と (自分の中で)禁句に近いことを 言う

賢一が、それに 答えるように

「大丈夫だよ 今度は 車にひかれないよ」と

 

うーん なんだろう 多分 この言葉は、

母を 思いやるやさしさから 出ているのは、

わかるけど

 

今度は、 が これから賢一が、生きていく未来をさしていて

それは、容子が、そこには、居ないということなんだよ。

 

でも 容子は、それでも いいんだ。

一番望んでることは、加奈子(賢一)が

幸せになることだから・・・

 

このあと容子は

「それは 生まれる前から 決まってるの?」と 

きくんだけど。

(どこまでの範囲をさしてるかが、わからないけど)

確かに これが 避けられない運命なら 

こんなに 辛いことは、ないだろう

それでも こうやって 新たな人生を 続けられることは、

自分の苦しみと引き換えに贖罪とされたのなら

救われたということなのだろうか。

 

「絶対 絶対 幸せになってね」

「いつか あなたが 私のことを忘れたら

 

また

会いましょうね」

 

そして 加奈子の13回忌 賢一は、尋ねてくる

でも もう加奈子じゃなくて

 

加奈子は、居ないんだねと 容子が、言うと

稲垣扮する夫が 居ないんじゃないよと

 

どっかで 見守っててね と終わる。

 

賛否両論のこの映画

 

ふとイタコを 思い出した。

イタコは、死者の霊を 呼び出し あの人の最後の言葉を

聞きたいを 叶える仕事。

 

その中で イタコの人は、

実は、そんなことは、出来ないんだけど

それで 救われる人が、いる限り 続けると 言ってた。

 

 

この桜ふたたびの加奈子も そんな意味合いで

捉えれば 悪くは、ないよ。

事実か 真実かが 必ずしも大事では、なく

それで 救われる人がいるなら それで いいと思うから。

 

物語の終り 

容子が、首をつり 落ちた場面

警察に電話し 住所を告げる加奈子の声で、終わる。

これを ホラーと するなら

それでも 構わない。

会いたいと願う 母の意志より

生きて欲しいと 願った子の気持ちを察すれば

 

前を 向いて生きていこうとする背を 押せるだろうし。

 

今日は、母の日 

大切な人を 無くし

まだ悲しみに打ちひしがれてる人も

沢山いると思う。

亡くなった人が、願ってることは

がんばって前進し 幸せに なることだと思うよ。

 

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実は、2回書き直した、操作ミスで消えたから。

で お酒飲んで 書き直したから なんか 変だw

 

ひXXのブログを みていつも 思ってたけど 

今日しかできないから

 

おかあさん ありがとう