時折公園に、行くと

 

母親が、一生懸命 わが子を 撮ってる場面に、出くわす。

 

 

そんな時 

 

「よかったら 撮りますよ」

 

と 声を 掛ける。

 

それは、母親のためでは、なく 

その子の未来の為だ

 

その子が、大きくなったとき 

 

たくさんある自分自身の写真より 

その時の母親の姿が、見たいと思うから。

 

 

建築関係の仕事で、 床屋さんのところへ

行ってた時

 

そこの店主のおじいちゃんが、一生懸命 孫の動画を

撮影していたが

 

「XXXさん、 そのこが、大きくなって そのビデオを見たとき

おじいちゃんが声だけだと 寂しいと おもうよ」

そういって 二人を 撮影した・・・

 

三輪車を 押す おじいちゃん・・

 

 

撮られた写真には、 それを撮った人物が、いる

(セルフの場合もあるけどね)

 

残った写真から それを 撮った人物の気持ちを 計るより

舞台裏から その時を 想像するほうが

はるかに 実りが、多い気がする。

 

 

何十年か後

 

その子が、大きくなり

わたしが、撮った写真を感慨深く見る時

 

わたしは、居ないだろう

 

けれど わたしの 優しさは、形に なって残る。

 

 

「よかったら  写真撮りましょうか」

簡単なことさ