解体現場を 見たことが、ある人は、

その余りのあっけなさに、

 

無常を 感じたことだろう。

 

仕事でも何度もたちあったし

 

最近近所でも 何度も目にするが

 

大概の一軒家なら 一日か 二日で 

ほぼ更地になる。

 

不慮の事故やらで、家族が、全員亡くなれば

そこは、保管されるわけでも なく

解体される。

 

震災で、家が、燃えたり流されたりしても 

それが ひどく特別な出来事と 思わなくなるのは、

解体現場を たくさん 見てきたからだろう。

 

明日燃えないゴミの日だから

食器棚を 整理してる。

 

どこの家も

そうだと思うが、高い、新しい 良い食器は、

しまったままだったりする。

 

中には、よく見た記憶が、あるものが、でてくるが、

それが、いつ頃なのかまでは、思い出せない。

 

ペアのグラスが、多いことに 意外に

うちの親は、仲が、よかったのかと 考えたり。

 

裏返すと父の名前が、刻んであったりするものが、出てきたり

 

高そうなもの以外は、皆処分する。

高そうなものは、売る。

 

そして 食器棚は。カラに、なる。

 

母が、亡くなる何ヶ月前に、ユニクロのヒートテックのパジャマを

これは、暖かいからと

プレゼントしたが、喜んでも しまい込むだけで、

 

結局 1度も着なかった。

 

でかい大皿や サラダを 盛り付ける大きな器は、もう使わない。

 

大昔、家族で、食べたすき焼きの入れ物は、ガリガリに、錆びていて

捨てた。

小さい頃は、みんなで、食卓を囲んだちゃぶ台も 衣裳部屋の奥で、

眠っていた。

いつの頃か それぞれが、自分の部屋で、TVをみながらご飯を

食べるようになっていた。

 

母が、亡くなった前日の夕食は、

母が、具合が、悪くて 作ってなかった

上半身だけ起こしてる後ろ姿を、みて

お湯を沸かしオレンジ色のカップ麺をつくって

ふてくされて食べ、寝た。

朝方「下に来てくれ」の声で、起こされ

息を してない母を見た。

 

最後の姿は、上半身を おこした

 

後ろ姿だった。

 

どうして 

「おかあさん だいじょうぶ?」と 声を 掛け

顔を 見なかったんだろう・・・

 

かたずけてると 色んな物が、でてくる。

それらは、何も 教えてくれないけれど

それらは、処分して 消えていくけど

 

心のどこかに、残ると思う。

 

そのまま 手を つけずにしても 時間は、残酷だから

劣化、腐敗、汚れていくだけだから