この2作品に共通してる事項①
登場人物の少なさ

大概の人は、子供の頃、世界中の人々の為に、なにかできないか、
どうすればよいのか、考えたことが、あったと、思う。
けれど、大人に、近づき、なるに従い、その範囲は、恐ろしいほど狭くなる。
それが、当然だし、そうなる前が、無知なんだと、しらずしらず自分に、言い聞かせ納得していく。
そうして、すこしづつ考える環境をせばめていく、自分の国、そして家族、それが、手一杯。
できる範囲は、限られてる、身の程をかんがえればそれが、最良なのだと・・・

幸福の王子は、見える範囲、自分の街の不幸を、悲しみ
「わたしだすわ」の主人公の摩耶といえば、自分の友達4人に、しか手を、さしのべては、いない・・・
只、彼女は、自分の行為に確信を、もっている、作中で、「世の中には、たくさん困っている人が、いるから、そういう方に、使いなさい」に、対しても、肯定的な答えを、返す。
彼女の使うお金は、自分で、稼いだもの、どこかの王子とは、比べるまでもない。

幸福の王子は、王子とつばめからの視点で、物語が、すすむ、お金で、解決する類の内容だから、けれど、摩耶が、いる現実世界は、そんな簡単なものでは、ない。
こちらは、受け取る側のほうからの視点もからも話は、進む。
摩耶は、よかれと、思い友人達の願いを、叶えようと、する、けれど、それが、逆に不幸に、導くことにもなる。