障害者の存在が取り上げられる機会が
増えてきた。
私としては、
発達障害を障害者にはしたくない。
けれど、
社会の中で生活するお護りになるなら
それも必要なのかもしれない。
←私は発達障害は個性のひとつと
捉える社会が理想。例えば、左利きみたいなね。
私は両手のある社会で
左手しか使えない人間
普段は、
義手を装着して生活している。
無意識に背骨は、
体の中心にバランスを置く努力をしており、
この義手の重みは
背骨をサポートしている。
でも、
装着部分の右肩と左肩への負担は
大きい。
そんな体での日常生活は、
何気ないこともアクシデントは、
大事件並のインパクトを受ける。
だから、私は、せっかちなんです。
←エヘンエヘンと威張りますよ。
想定内の行動じゃないと、応用力が弱いから。
でも、なんで?
健常者社会に左手だけであわせようと
しているからなんです。
同じようにね。
スタートが違うんだから、
自分らしく対応すればいいのにね。
社会の中って、ルールというゴールがある。
けれど、
ゴールへの行き方まで規制が細かくなってる
から、
大変な世の中なんですよね。
ルールは、社会を良くするもの。
本来の目的をしっかり忘れないでいれば
上手くいくと信じたい。
答えが見つからず、不安な時は、
気分転換しながら、思考を変えるのも必要かな。
ただいま、模索中の私です。
障害者が楽しく、不安なく、生きる社会
人格を尊重しながら活躍出来る社会
確かに、健常者とは感じ方が違うけど、
幸せを願うのは同じ。
まずは自分から。