蒼穹アーカイヴ -5ページ目

蒼穹アーカイヴ

おかげさまでなんとか穏やかに生きてます。
相変わらずの遅れ更新中。
終わったらDQXに戻りたいけどー。

先日買ってきた比内地鶏と(んで地元の藻塩) そして比較の為にスーパーのブロイラー(普段遣いの豪州の塩) をそれぞれ塩だけで弱火でじっくり焼いただけのものを夕食に出したのだけど、明らかに地の味からして違うのにさっぱり分からない家人には殺意すら覚え(嘆息) 謝れ!秋田の養鶏家さんに謝れ!
見事に打ち返され眉間にジャストミート……なんで……(苦笑)
これで今回は正調ニシエヒガシエになったなぁこれで。
……でもまずは、兎に角明日の仕事をがんばろう。台風でも。うん。
って、色々変更になったでござるなぁーほんで誰が来るかなんだかさっぱり分からないという(笑)
でもすごく楽しみになったでござるよー勉強してくるのでござる(アンタこれまでだってとんとダメだったじゃん笑)

そういや旅行中の『ピクセル』録画、バレーの試合だかできちんと録画できてなかったよ……(泣)
ほんとにさ。
期せずして、この三日間で秋田県の小坂鉱山・尾去沢鉱山、そして岩手県の松尾鉱山と三箇所もの鉱山の跡地を巡ることとなった。そしてどれが最も印象的だったかと言えばやっぱりあの草原の中の廃屋の群れ、の現在の眺め、と『雲上の楽園』なる形容との差異とがすごく強い松尾鉱山ではあったけれど、それでもそれぞれにおよそ明治~昭和中期までに掛けて日本の産業を支えてきたのだなというのがとても感じられた。ほんと、それにしても日本の近代産業の黎明期、そして戦後の高度経済成長期のそれぞれの時代の人々の熱の熱さよ。翻って現在の、なんともまぁしおしおなこと……いよいよもって、寂しいばかりで(泣)
と、そして同時にそんな冷え切った時代の中その遺産を残していくことの難しさ、そしてそうだなぁ……この国もいよいよ人口が減ってきていて、もう遠くない未来にこういった遺産どころか、普通に街を維持していくのすら難しくなってくる地がまだまだ増えるのじゃないかなとも感じたさね。宮城だって似たり寄ったりだけど、青森や秋田はなかなかにきびしいと思う。以前にも書いたかもしれないけど、私がもうふた昔も前に友人たちと秋田や青森を巡った際にもう色々とやばかったところが見受けられた。今回は輪をかけて、といった気もする。その『街の維持』について本当にどうするべきなのか……というのを強く感じたこの三日間でもあった。一方で帝都などでは相変わらずウサギ小屋の家しか買えないの満員電車がきついのだのやっている。どうにかならんもんかねぇ……

mtom173
て訳でこちらの今回のベスト3もまとめておこうかねー、と。ちょっとだけでもー

第1位:秋田市内のホテルの夕食のきりたんぽ鍋(秋田)
第2位:『道の駅あきた港』の自販機うどん(秋田)
第3位:『菊屋商店』の焼きイカ(鰺ヶ沢)

……割と地味めな上に初めて、写真のない料理が第1位に……(苦笑)
でもおいしかったのよほんと。所謂アレよね、うわおいしい!(ぱくぱく) うわしまった、写真撮るの忘れてた!!ってやつ。
あと先にも書いたけど『きりたんぽがぐずぐずになるのでさっとしか煮ない』てのにしてた為、余計にタイトだったというのもあり<なんだか大ゲサだな(笑) いずれまたほんとに、比内鶏と一緒にがっつりといただきに来たいところ。角館の武家屋敷だとかと絡めればいいのかしらね。
第2位の自販機うどんも結構期してたものがあったので嬉しかった。というか、そもそも自販機から出てくる軽食は好きな訳で。ただ矢張り年代的にもあまり出会えてないというのがあって。せいぜい、自車校の待合室にあったカップヌードルの自販機くらいだったもの(そして通学時よりまた前の時代にも利用してたことがあったのはヒミツだ笑) やっぱコンビニが台頭してきた頃に学生やら成人やらしてたからねぇ。若いうちにそういう自販機探す旅に出てたでもないし……というか若いうちからも車であちこちには行ってたけど、そういったものに興味を持つ前だったってことなんだろうねー
第3位は、できれば出来立て、でなきゃ買ってすぐをいただきたかったなぁという感じ。でなかったらレンチンできる宿にでも持ち込んであっためて、なんばんマヨネーズでもつけて食べたらアナタもう至高の味ってなもんですよ。勿論ごはんだってばくばくいけちゃいますよ!!<相変わらず米食いの立ち位置からの力説
あっためられたら、て点では『イカメンチ』なんかもそうだったなぁ。あれも出来立てならもう数倍おいしかった筈。今度またいただける機会があったら、よりおいしくいただけるタイミングをちゃんと設定したいところだね。それぞれがそれぞれに、折角のご当地グルメたちなんだもの。

akju17
ということで、今回も軽くベスト3など出してみる。

第1位:気がついたら小坂・尾去沢・松尾、と鉱山遺跡を3つも巡っていた件
第2位:ブルートレイン『あけぼの』に『泊まる』
第3位:わさおちゃんにようやく会えた

第1位。1日目・2日目まではそんなに意識してなかったのが、3日目になったらなんかこうがっつり巡ってしまってて実はこれがメインの旅でしたよ?な勢いになりかけたりとかになってた訳で(笑) でも普段から昭和スキーなもんだから各鉱山の古い写真とかいっぱい見られて楽しかった。これを切っ掛けに鉱山跡巡りまで始めそうなそうでもなさそうな?
第2位はブルートレイン『あけぼの』に泊まる。2017年の今ではもう超おハイソなクルージングトレインかサンライズ出雲・瀬戸くらいでしか味わえない夜行列車の旅、それを可能なだけ疑似体験できるのは面白かった。あの引き出しの衝撃とかなども懐かしかったし。そう言えば帝都の方にも確か『北斗星』宿泊を疑似体験できるホテルがあったと思ったな、今度機会があれば行ってみたいもの。
第3位。津軽半島行の際には時間切れでどうしても間に合わず、次に青森来た時には!と思っていたようやくの邂逅。お嫁ちゃんと娘ちゃんも見られて楽しかった。ほんでまぁ、予想以上にわっさーしてたし声は野太かったなという印象なども(苦笑)

この辺りには、次に行くのはいつになるだろう。また来るとしたならやっぱ、大館の比内鶏かしら?青森の方は黒石とか行ってみたいかな。いずれにせよ、こちら方面への大きな旅の原動力なスタンプラリー、は一旦これで終了することにはなるので、暫く時間開けてからになるのじゃないかな。
……また新しいスタンプラリーに手を出してたりしなければ<ない話じゃない辺りが怖い……

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親方、ほんとに早過ぎます。『愛ゆえに』での大神くんとのちゃきちゃきな絡みや『ラッキーなロンドン』の間奏の台詞などが未だにありありと脳内に響きます。雲国斎先生といい、あまりに早過ぎる……
おかげさまで全く寝苦しいとかそういうこともなく(笑) 宿泊ブルートレイン『あけぼの』で目覚めた朝の食は、朝からいきなりクライマックスでもはあった(苦笑)
まずはその宿泊したA寝台室を引き払って、B寝台開放席へと移る。というのはこの車両内で飲食できるのはB寝台開放席のみとなっている為。BOXをひとつ陣取ると、家人が前もって予約しておいてくれていたという朝食の『鶏めし弁当』。勿論秋田でこのお弁当と言えばご存知大館駅前『花善』のそれで、よくよく見たら掛け紙にはブルートレイン『あけぼの』の写真が使われている特別仕様。これはなかなかに驚いた。あ、中身はいつも通りの『鶏めし弁当』でおいしくいただいたのだけど。鶏の調製は勿論だけど相変わらず付け合わせのがんもの含め煮の出来が秀逸(泣) これだけでひと包み作っちゃくれんだろうか。ってまぁ、朝の7時半にいきなり駅弁、てのもなかなかきついものがなくもはないけど(苦笑) でもこうした実際に走ったブルートレインの車内、でいただくならやっぱり駅弁だよねえ、と。他には一緒に、ポリエチレン製容器に入った温かいお茶も。昔『美味しんぼ』だかで樹脂が高温で溶け出し味を変えしかも躰によくない、とかやってた気もするけどあれから技術だって進歩してるろうし、ここで飲むだけだし、雰囲気優先でありがたくいただく。うん、やっぱり駅弁にはお茶である<いつもおにぎりにコーヒー平気で買ってるくせに

その後はこのカテゴリ的にはめちゃくちゃ時間が下がって、秋田と岩手の県境の八幡平山頂パーキングにてこちらの名物という『源太カレー』なるものをいただく。こう言ってはなんだけども私が出先でカレー頼むのってすごく珍しい。なんでだか自分でも分からないけどよっぽどじゃない限りは頼まない。あ、スキー場以外での話ね(笑) ってんなこた兎も角なんでかっつーとなんかもう色々と選ぶのめんどくさかった(というかメニューの中でのほぼ消去法の末のチョイスだったな……) のと、ウリがどうやらすじ肉煮込み系カレーのようだから、というもの。

「んー……」

でもいただいてみたらなんの変哲もないというか、なさ過ぎてがっかりした。いや、我が家で作るすじ肉カレーがもっとすじ肉ゴロゴロし過ぎてんだろうか。ここ暫くで久々のヒットな肩透かしぶりであった。
と、いったところでこのカテゴリ的にはここで終了、かな。ほんとに、気がつけば鉱山跡巡りに大分ウェイトが行ってしまった3日目、てことになるのかしらね(苦笑)

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八幡平アスピーテラインをはずれ、山の中の細い道へと入っていく。
とは言っても八幡平の麓に近いところなので辺りは開けているし、なんだかんだで道は舗装されているので走るのに全く支障はない。国道だと信じて進んで行ったら獣道、なんてザマよりか較べるまでもなくラクだ<較べるなよ(笑)

「おお……」

そうするとほどなく、道の右手。開けた山裾の一帯、今の季節だからススキが生い茂りそういった草原、と表現していいなだらかな山手にその自然の中にはどう考えても異質なコンクリート建造物群が姿を現した。そしてその建造物のいずれもが廃墟、然である。見えるところ至るところが荒れるに任せている。或いは綺麗に塗装されていただろう外壁はコンクリート本来の色ばかりを剥き出しにして、所々は内部の鉄筋すら見える。窓は全て破れ、どころか窓枠すら朽ちかけている。一部に残っている屋根もいつすぐ隣に大量に転がっている廃材となり果てるか分からない。所々に立っているいくつもの小さな煙突はむしろ、八幡平の山裾という豪雪地帯でよくこれまでも倒れずにもっているものだと思えるくらいで。

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こんな感じ。
巌鷲山の麓の広大な自然には全く似つかわしくないこの異質の塊の群れ。

そう、ここはかつて東洋一の規模を誇り『雲上の楽園』とも言われた『松尾鉱山』のあった一体の一部。あのコンクリート建造物群は、かつてこの鉱山関連で大勢の人々が暮らしたアパート群という訳だ。正式にはこの辺りの地名も入って『旧松尾鉱山緑ヶ丘アパート群』というらしいけれど、先刻の尾去沢鉱山のそれとは全く違って、こちらには有料でもその鉱山跡を案内できるよう再整備された施設、などはない。その代わりと言えるのかどうか、だけれどもこの鉱山のかつての居住者たちの住処の跡、は未だこうして留められているのだ。勿論再整備された施設がないのも、一部が取り壊されないままなのも理由の根源はほぼ一緒なのだろうけれども。私もここに来る前に、それくらいは前もって勉強してきてはいた。
いずれにせよ、そこで一旦停まってもらって写真をいっぱい撮って。凡庸な表現にはなるけれども、やっぱりこうして自然の中で朽ちていく無機物は何故か美しい。ほんとに、なんでなんだろうね?自分のまだ生まれていない時代だというのに、どうしてこう何かしら郷愁を誘うのだろうか。
もう少し車を先に走らせると、道端にもうひとつ朽ちた建造物が遠くに見えてきた。あの傍まで行って折り返そうか……などと、思ったところにその大分手前に立て看板が現れここから先は立入禁止、と書かれていたので残念だけどもそこで断念し転回して立ち去る。ここも誰かの所有地なのだろうし、この時点でもう不法侵入に近いようなものなのかもしれないし、と。そこから先に踏み込むのは、あちこちのそんな廃墟に立ち入って写真撮るの好きな方々辺りにでも任せておけばいいのだろう。最後に遠くからその、朽ちた建造物を一枚写真にだけ収めた。
そして勿論、それだけでは終わらない。
この一帯を降りてきたところは八幡平市内らしいのだけど、そこの『八幡平市松尾鉱山資料館』というところにも寄ってもらった。ここは無料で見られるのだけども館内は撮影禁止。そもそものあのアパート群が立ち入り禁止なのに侵入する輩が多く、この館内での展示物を撮影したものが時折、一緒にネット上に挙げられ侵入を許可したのか!と間違われることが多いからだそうな。まぁなるほどねぇというか、私個人的には後から見返してそうそう、この展示はああだったこうだったと思い返したいだけなのだけれども、そういった事情があるのなら仕方がない。あれだけ鉱山跡が広ければ立ち入り禁止にしきれる訳もないし、精々探検(笑) 中に足滑らせて(以下不穏当なので割愛) とでも思うしかないのかねー、と。
さて、この松尾鉱山はというと1882年(明治15) 頃の、この辺りの民の硫黄鉱の露頭発見からの試掘失敗などを経て、開発の為に設立された松尾鉱業(株)が本格的に操業を開始したのが1914年(大正14) とのこと。東洋一の硫黄鉱山として名を馳せ、太平洋戦争を経てなお隆盛を極めその最盛期の昭和20年代には4,500人の作業員、関係者全体で13,000人を数えていたとか。世の中に公団住宅、などの現れる大分前の、標高1,000mの高台にあの緑ヶ丘アパート群の建てられたのは1951年(昭和26) で、当時の階高としては高かった4F建て、水洗トイレと上下水道・セントラルヒーティング完備の最新鋭のアパートだったそうな。しかも住居費・光熱費・電気代は無料だったとか(ほんで余談としては、施工者が鹿島組、現在の鹿島建設で鹿島の初代が岩手出身というのもあり、一手に引き受けたのだとか) そして彼らを受け入れ暮らせる環境、ここでも街が作られ先述のアパートもその一角だけどもその他に病院や小・中学校、高校、郵便局、図書館、会館などが整備されていったそう。店先で売られていた日配品なども会社が農家などから直接仕入れの儲けなし原価で販売してたんだってさ。そんな、これまで何もない原野も同然だったところに半ば忽然と現れた最先端の街を指して『雲上の楽園』と言われるようになった……という経緯のようなのだね。そりゃ生活費が殆ど無料に近いってなもんだものなぁ(勿論それには、鉱山の仕事が常に危険と隣り合わせだったからということもあったらしいけども)
ただ、残念ながらそうした栄華も長くは続かない。その後硫黄の需要の世界的な先細りと、次代の主たるエネルギーとして台頭しつつあった石油精製の際に副産物として安価に手に入る硫黄、がいつしか市場を席巻し次第に採算が悪化、ついに1969年(昭和44) に会社倒産と共に閉山、となったらしい。館内にはその歴史が様々な形で残され、その向こうに膨大な人の熱量と時間を感じさせた。まずは鉱山全体を表した模型、松尾鉱業に関わるもの、鉱山から採取された鉱石など、通称『ヤマ』と呼ばれた人々の暮らしを支えた生活用品の数々、そして会報のような、ヤマのあちこちでの出来事を切り取りヤマの皆さんへと広く伝えていたのだろう『まつお鉱山ニュース』。かつてヤマで働いていた鉱夫さん方の回顧の言葉を借りるならばヤマに暮らす人々はひとつの大きな家族のようなものだった……とのこと。なるほど館内のあちこちに飾られた写真には、当時の住人たちがこぞって参加していた、四季を通じての様々なイベントが写し込まれていた。そういった繋がりもだしまた、そんな家族たちを繋いでいたもののひとつがこうした会報、などでもあったんだろうなと。

その跡地こそ未だに風雨に晒され、どころか鉱山から長く垂れ流された鉱毒を中和しなければ下流に広く被害が出てしまう為1982年(昭和57) に作られた『旧松尾鉱山新中和施設』は今現在も絶賛稼働中で、多分私らが行ってた時もそうだったんだろう。旧松尾鉱山はまだ、終わっていないというのが実情なのかもしれない。そしてこの地の土壌の中和が完全に終わるまではこの辺りの再整備も進められない、といった流れのようで、閉山時にアパート群と同様に残された木造家屋群などはその後、木造家屋の大規模火災想定の延焼実験として解体の予算がついたそうなのだけれど(1974年・昭和49年実験実施)、あんな鉄骨コンクリート群ともなると要する解体費はその比ではなく、管理していた会社も倒産しているし、市や県でも扱いきれないからということで中和施設込みで今は国が管理しているようなものなのだとか。だから、中和施設がお役御免となってから……といった順番のようなのだな。
しかしそこに来て一方で、はるか西の長崎県・軍艦島などは整備され新たな観光地として脚光を浴びている(世界遺産に加わったから、てのもあるけど)、ならばこちらも何かできないか?と今、八幡平市が歴史公園としての整備を計画してるとかしてないとか、なのが現状らしい。
どうなんだろう。それならそれでいいかもしれないけれど、私個人としてはこの大自然とせめぎ合いながら朽ちていっているあのままの姿の方がいいような気が……しないでもない。朽ちた余白は、想像の幅をこそ大いに広げてくれる。それでもいいのじゃないか、と。

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禿山を人工物の大きな配管がのたうち回り、その極めつけのようにでっかい煙突がどん!と立つ景色の見える中にやってきた。やがて駐車場に至り停めて、今は見学施設になっているそのかつては鉱山の入り口のひとつだったろう箇所へと向かう。
尾去沢鉱山である。
ここの歴史はまた古く、銅が発見されたのは807年(慶雲5/和銅元) という。和同開珎、なんて銅貨もあったくらいだからえーと、この時代の天皇は元明天皇、あの奈良の大仏を建立した聖武天皇の祖母、に当たる時代くらい古いみたい。で、時代はくだってその後奥州藤原氏の金の産出地として支えた他(そこの説明板の一部が『奥州藤原三代』と内容が上からテープで貼り替えられてたのは何故) 江戸時代は南部藩が開発し、維新後は長州閥の井上馨に横取りされそうになるも江藤新平が退け(尾去沢鉱山事件、ここの遺恨から後年江藤が起こした佐賀の乱で彼が捕縛された際、碌に申し立てもさせず早々に誅されたとの説も) 三菱財閥の岩崎家が戦中、戦後財閥解体後も経営を続けた感じなのかな?最盛期の終戦間際頃には4,000人を超える人々が従事していたという。こちらも電気の到来は早く、先程の小坂鉱山より一年早い1896年(明治29) には山一帯に電気が通っていたというくらい栄えていたらしい。しかしこちらもまた資源の枯渇と銅価格の低迷から1978年(昭和53) に閉山したということらしいけどもその操業年数なんと、1,270年!!すごいなーざっくりとでも江戸幕府が5・6回くらい開けちゃうくらいだYO!<どういう換算
でも『石切澤通洞坑』なる入り口から入ってみた鉱山遺跡はこう、ひと言で言えば質実剛健というか、無駄なもの、或いは積み上げられてきていただろう歴史すらあまり感じさせないくらいに鉱山跡だった。途中から岩肌?も露出してきたけども結構寒い。ライトアップは普通の電灯と緑の灯と。大げさにではなく、そのままをただ見てもらいたいという感じだったね。途中では

「お、ここにも」

貯蔵中なのかしら、秋田のお酒の古酒多分クースーとは読まずにコシュ、でいいと思うんだけど(苦笑) が並べられていたり。沖縄の洞窟にもこうして泡盛が貯蔵されてたりしたものね(でもあっちは、貯蔵理由がまた違ってたような記憶があるけど) あ、ワインもあったわ。
更に行くとトイレがあったんだけど何故かでかでかと『緊急トイレ』と書かれており、緊急じゃないとダメなのかしら(苦笑)
後は坑内の休憩所&蝋人形ズとか掘削用の機械展示とかそれっぽくなってきた。ほんでもって長椅子で休んでる蝋人形の作業員さんとツーショットなども勿論撮ってきた訳だけど(笑) その一方で、立ち話ながら打ち合わせしてる蝋人形の作業員さんズ見てる家人も込みで写真撮ったら家人まで打ち合わせに加わってる感が可成り(笑)
でもって、その界隈ではこれが一等胸を打った。

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うん、直滑降はいやだよね直滑降は……
思い留まるチャンスをせめて一度は欲しいよね。

その後は江戸時代の、南部藩が管理していた頃の蝋人形ズ登場のゾーンが出てくるのだけど、雇われ女性が水槽に金鉱を砕いて水を入れた中からざるで砂金を掬い上げる『椀かけ作業』のところではどの女性蝋人形のざるにも、そして水槽にもお賽銭と思しき小銭がたんまりと……なんでこんなにスキあらばお賽銭したがるんだ日本人は、と思ったら立て看板に『投げ銭すると金運上がるかも』ってちゃんと書いてあったでござるの巻(苦笑)
そしてもうひとつ印象的だったのは、こういうところには隠れ切支丹も居たのだということ。こうした山奥で働き、目立たず生きて信仰を全うするにはいい環境だったのかもしれないね……なんて、そんな蝋人形の傍らの説明板には『こうした鉱山には「山法」という独特の規律があり、治外法権的慣習から隠れ切支丹が潜伏し易かった』とあった。なるほどねー……って、でも後年になるとこの辺りまで禁教のおふれは来たらしいのだけど。
そして最後、外に出る際のエスカレーターにはなんとのうそこはかとない違和感を感じてみたりとかも(笑)

外にも削岩な機械だとか、鉱石をJR花輪鹿角駅まで運んだという小さめなヂーゼル機関車なども展示されていて。つか、ここもよくある、『展示施設出たら出口から外に至るまでにお土産販売ゾーンを通る』というやつだったのだけどつい引っ込みがつかずに成金なお土産お菓子(確か中身が個包装のチョコだかなんだかだった気が) 買わずに出てしまったのを若干後悔。いつもお土産ではへんなものしか買っていかない私のお眼鏡に適っていたというのに<いいよそんなことは(笑)
そして車に乗る前に、この辺りの遺構を案内している掲示板を見る。さっきのでっかい煙突や、その下の鉱物を精製する為の様々な施設。今でもある程度は残っているみたいだけども当然ながら立入禁止になっていて。でもってこれだけ、国内有数の鉱山だったということはそこに暮らす人々の街もそれだけに大きかった訳で。その辺りは展示施設内の写真でいっぱい見てきたから、車に乗って山を下りながら改めて山々の廃施設の風景を眺めると、来た時とまた違った感慨があった。

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さて、小坂での鉄分たっぷり(笑) な夜を越えて、今日は帰宅の日。とは言えまだ家人の計画は終わってはいなかったようで……
小坂を南下し、結構南下し、鹿角まで来る。多分八幡平辺り越えて岩手の方に出るんだろうなと思っていた私は、R282を突然右に曲がられたから驚いた。方向逆じゃん。八幡平の向かいの山登ってってんじゃん……と、行って着いた先がまた秋田ならではつーかなんつーか、なところで。Hobカテゴリへ。
今回はいつにも増して読み辛いかも<かも、じゃねえって

そちらでの寄り道を終えるとまたR282を更に南下し、県道23号線に入る。いよいよ八幡平方面へと登って行く通称『八幡平アスピーテライン』。アスピーテ、てのは『盾状火山』て意味なんだって。んでそこからちょっと脇に入るとそこは後生掛温泉。そこでひと風呂いただいて、お昼どうしようかーまだこの先にも色々あるろうからそっちにしよかーとか言いながら風呂上がりに『原田雪国のむヨーグルト』なるものをいただきながら更に先へ。因みに新潟のメーカー製らしいよ(苦笑) ここの温泉ももう、温泉地帯がもうもうと湯気上がっててすごかった。そして向こう来月分くらいまでの硫黄臭さを堪能しましたよええ(泣笑) でもこの硫黄泉がまた、効く訳だからねぇ~
その後、大深沢展望台に立ち寄るも曇天だったものだから近くの山しか見えず、案内板に拠れば晴れれば山形の月山まで見えるし、左手の方には岩手山……あぁいつも通り天辺辺りにもんもんと雲かかってらっしゃる(泣) つーかね、その案内板がもう半分くらいしか掠れて見えない。出来自体そんなに古いようには見えず、ここきっと通年で風とか、冬は雪や吹雪とかすごくて傷んじゃうんだろうなぁ、とか思った。
更に進むと雲のかかった岩手山を向こうに置いて、その手前にでっかいパーキングが。有料だったけどもとりあえず停めて出て見てみる。八幡平山頂パーキングというらしい。とは言っても山頂までまだ暫く歩かなばならないらしく、ちょっち立ち寄った人タチにとってはそれなりに荷が重いので今回は華麗にスルーされ、代わりにここの名物という『源太カレー』なるものをいただいてみたりしたなど(Sisカテゴリにて)
ほんで出る際に目ざとく秋田-岩手県境標など見つけ車内から激写してみながら岩手県内へ。さっきほどではないけれど、まだ山頂に雲のかかる岩手山を右手に見ながら進む。しかし道路の廻りにはごっつごつのでっかい岩塊がごろごろあってすごい迫力。この辺でもかつてどっかんばっかん火山が爆発してたんだろうなと<平易過ぎる表現

やがて岩手の、恐らく盛岡辺りの平野部が眼下に見えてきた一方で、私は私でずっとその山手の方に目を凝らしてようやくあるもの、というかあるもの群を目にするとこの道から一旦はずれて、とお願いする。ここから先暫しは、今回私の最初で最後のプロデュースである。
てな訳でまたしてもHobカテゴリへGO!<って

プロデュースを終えたらもう満足であった<そりゃあね(笑)
そして満足もしたし、15時過ぎてまだ盛岡近辺に居る、となると帰宅までにはまだなかなかに時間がかかるし、うっかりしてると日が暮れる。蛇口よろしく岩手の恐ろしさを私は身をもって知っているから、その後は最寄りの松尾八幡平ICから東北道へ上がり、一路南下開始。なんて割には上がってすぐの岩手山SAでコーヒーパヘーなんていただいてたりしたけど(笑)
いただいてから外へ出ると、ずっとかかったままだった岩手山の天辺周辺の雲がようやくちょっとだけ退けてくれて、ようやくちらっとだけ山頂が見えた。それを見届けて、また南下の旅程へと戻っていく。なんだかんだで最後に少しだけでも、貌を見せてくれたね。

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