『村人は満州へ送られた ~"国策”71年目の真実~』 | 蒼穹アーカイヴ

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おかげさまでなんとか穏やかに生きてます。
相変わらずの遅れ更新中。
終わったらDQXに戻りたいけどー。

録画分を観る。
焼く前に観ないとね(HD空き作りの為) と思ったけどもまぁ、焼かなくてもいいかなと。しかし満蒙開拓の仕組みを改めてきちんと知った気がする。誰も彼もが希望と共に行ったではなくて、日本の村にも移住させる人数ノルマとかまであったのね……して苦悩の若き村長さん。その過程がまともに筆致に残っていたのが哀しい。でもって拓務省(後に大東亜省) なんて省庁も初めて知ったし、『分村移民』なんて政策も。
これは日本の村を日本の母村、満州の分村に分けて村内の住民を移住させる。仮に村に100人居て、100haの土地があったとして、分村先にも同じだけあったとして。すると日本の村だけではひとり1haしか耕せないところを、住民を半分移住させれば母村と分村で50人で100haを分ければいいので、倍になり食糧増産が見込めるというもの。ただし母村は兎も角分村は既に満州での農民から土地を取り上げて行うことになったのでソ連侵攻後は現地の農民から襲撃を受け、それまでに目ぼしい男たちを関東軍に徴用されていた分村には女子どもしか残っておらず、結果的に集団自決に追い込まれるという悲劇に。そしてそれを知った先の村長さんは責任を感じて戦後すぐに、謝罪の言葉を遺して自死を選ぶ……
つか、一等腹立たしかったのはそれを計画し送り込んだ拓務省やあと農林省の連中が、昭和30年代になって『内々に』当時の資料を整理したそうなのだけど、反省の弁はなかったということ(ご丁寧に録音まであったそうな) ほんでもって「一度動き出したらもう止めることができなかった」お約束のこれである。二次大戦にしたってそう、軍の内部陸軍海軍に限らずそうよ。だからその『動かす』までにどれだけ多角的に物事を精査し見通しを立てることが大事か、ということ。昔の人は気骨があった、偉かった一辺倒ではなく、こうした屑もちゃんと居た訳で。そしてそんな屑に多くの国民が巻き込まれて行った。ここのところをもきちんと一方で、覚えておかないといけない。