ともあれ朝の5時から動き出す。ほんで朝からまずはちょっとした京都体験。まぁそれは早速Sisカテゴリへ飛んでもらうとして。
思い立ったのはほんの数日前だ。盛岡バスセンターがとうとう閉鎖される、とのことでそうだ昨年ちらりと行っただけだったけど中もあまりのぞけてなかったし、きっちり機会をもって見てみたいと。もう少し早く行けよて感じだったけども、おかげで既に今日乗る予定にしていたJRの盛岡行き高速バスはこれまで終点がそのバスセンターだったのが、少し手前の盛岡駅西口バスプールまでしか行かないのだという。まぁでもここに至ってしまっては仕方ない、とりあえず朝7時発のその盛岡行き高速バスにまず乗って……って
「……?」
バスチケットを販売する仙台の高速バスセンターのオープンは6時50分。兎に角こういうのには早めに行く人なのだけども、それでもオープン15分前くらいには行ったのに、なんだろう妙に人がセンターの前に……並んでないか?でもってオープンしてすぐの便ていうとやっぱ私の乗ろうとしている盛岡便みたいなので、そうすっとこの人タチみんな盛岡行きなの……?密かに人気の便なのこれって?とさっぱり訳が分からなかったけども、とりあえず、並んでオープン後に盛岡行き便の往復のバス券買うと速やかにそのまま、盛岡行き便の列に並び直した。例えばGWとかならバス会社も需要を見込んで普段1台のところを2号車3号車と増便する、でもこの便はどうかなぁ?と思ってたら通常通りのバスは来たけどもどうやら増便の措置などはないようで……うわぁ、ここまで待ってそうすっと一時間後の次の便とか?参ったなぁと次々乗り込んでいく人タチを眺めていたところで「補助席でもいいなら行けます」とのこと。連れ合って来てた人タチの中にはじゃあいいです、と次の便を選ぶ選択も。私は滞在時間の減るのを嫌って、だって行ったら行ったで足りるなんて保証何処にもないからねえ(笑) ほんで身軽な今日もひとり旅だし、まぁ盛岡までなら1時間とちょっとだし高速でも何度も行ってるし別に車窓に拘るでもないから構いません、とそのまま補助席を選んだ。しかしこういったバスの補助席なんてどえらく久しぶりだなぁ、これはこれで新鮮なバス旅ではあった。まぁ先にも書いたようにたかだか90分で、トイレ休憩も本気でトイレしかないPAに一度停まっただけで、ほんで構造上補助席の人タチは行こうと行くまいとひとり残らず降りなきゃならない必要に迫られる、というのも経験し(笑) そして盛岡が近づいてくると勿論、岩鷲山がお出迎え。相変わらずの秀峰ぶりである。ここで補助席だと写真の撮れなんだのが唯一残念だったところかな(苦笑)
そんで今日がなんで混んだのかってのも、盛岡に着く辺りでうすぼんやりと分かってきた。どうやら今日は岩手の大学の一日キャンパスがあったらしくて、それ目掛けて若い子たちが盛岡に集まってたみたいだったようで。もう少しずらせばよかったか、でももうお盆に入っちゃっていよいよあちこち混むだろうから……
そんな中で盛岡駅の西口のバスプールに着いたけれども、盛岡市街とバスセンターは東口方面に拡がっているので連絡通路からそちらに向かう。盛岡駅ってーと割と毎回、更に北へと向かうIGRの乗り継ぎでばたばたと通り過ぎてくだけだったので割合のんびり歩けた今回はそれなりに新鮮(苦笑) 駅の売店では小さな南部風鈴が売っている。小さくてもそこは南部風鈴なので、あのいい音がする。いいなぁ……
東口のバスプールに降りたところでちょうどバスセンターに向かうらしい便が来たので乗って、そこから15分ほど。料金も160円だったかな。割とあっさり着いた。その途中には北上川に架かりそこからの岩鷲山の眺望の美しい開運橋、って絶賛工事中だったけど(笑) 途中までは以前自分も車で通った大通りを行ったけれどもいつしか脇の小さい道へ入って、さてここいらどの辺だろう……と、いったところでバスセンターに着いたらしい。と言ってもセンター内のバスプールに入るでもなく、その前で降ろされてしまった形だ。
今回はHobカテゴリに流すでもなくこのままいってみることにする。すぐそこのバスセンターまで歩いていくと、もう草臥れた3F建てのベージュの建物の壁面に『MORIOKA BUS CENTER』の文字盤が架けられている。その文字盤のデザインもなんかこう小洒落た感じで、もうこの姿を見られる時間も長くないんだなぁ……と、見上げてから横断歩道を渡り館内へ。入り口の『盛岡バスセンター』の金文字もすっかりかすれてしまっているなぁ。
裏手のバスプールの方に行ってみる。途端に風景が昭和になる。傍目ジグザグ、に見えるかのように段のつけられた停車場。行き先は市内の地名の他に大船渡や久慈、遠野などの県内、そして仙台、更には東京駅などとまで見える。かつては鉄道ではなく、ここからも金の卵たちが大都会たる東京へ旅立って行ったりもしていたのだろうか。その行き先の文字盤ひとつ取っても、色々と想像が拡がる。だって風景が多分その時から何も変わってないのだもの。傍らに停まっているバス、を除いては。
館内を暫し歩いてみる。もう半分くらいはこの夏の前に閉店してしまって寂しいものになっている。以前来た時は確かまだ、古めかしい雑貨屋さんなども営業していたと思ったけれど、もうそこも閉まっていた。開いていたのは時計屋さんと軽食のお店。そしてここからJRのバスが発着しないようになったからか、閉館時間を早める掲示がしてある。こうやってじわりじわりと役目を終えていく……そんな感じだろうか。
平日の午前中、ということもあってか館内のお客さんはみなご年配の方ばかりで。ここが閉鎖されたら、勿論代替の施設も設定されるのだろうけども、寂しいだろうなぁ……と、そんなことを思う。
そう言えばその、閉まってしまった雑貨屋さんの後ろの庇の裏みたいなところには昭和中期辺りのだろうか、古めかしい雑誌やメーカーの広告が少し見えた。この広告たちが大々的に飾られていた頃はこのバスセンターも活気にあふれていたのだろうな、と。仕事の流れで地元の昭和中期頃の写真を時々見る機会があるのだけど、今の廃れようからは想像もできないくらい地元すらすごい人の量だったから。つい、そんなイメージを当てはめてしまうのだ。
ここがとりあえず最大の目的地ではあったのだけど、大きい施設ひと通り廻ってみていつまでも感慨に浸ってても仕方ないので名残惜しいけれども盛岡バスセンターを後にして、盛岡駅方面に向かう。ほどなく、赤いレンガ造りの重厚な建物が見えてくる……それこそ、太正時代の帝劇のような。そのモデルとなった横浜の開港記念会館のような。でもこちらはその、辰野式フリークラシックと類されるこの一連の建造物の中でも辰野金吾その人と、彼に学んだ盛岡出身の葛西萬司の設計したザ・タツノスタイルそのものの建物だ。ここは『岩手赤レンガ館』という名になってまだひと月になったばかりの、旧岩手銀行中ノ橋支店。1911年つまり明治44年からつい最近の2012年まで実際に銀行として営業していたところだ。この先の行程から割合さらっと拝見するのに留まったけれども、内部もまた重厚な造りそのものだ。こういうところで働いてたら、それはそれで楽しいだろうなぁ……などと思いながら。観光施設として改装しただけあって、奥の部屋の一部は基礎の一部を切り欠きガラス張りにして、覗けるようになっていた。因みに向かいの公園の一角で開催されてた古本市なコーナーをちとのぞいてみたら、『あなたの暮し』……じゃない、『暮しの手帖』の古本が束になって売られていた。気になる号とかあったら買ったかもだけど、それも分かんないからねー
さてその後はお昼に向かう為に中津川沿いを北に……向かったら壊れた土蔵塀の扉と向こうに土蔵。勿論ここは裏手で表の道路に出ると立派な昔ながらの雑貨屋さんな装いなのだけれど。折角なので表の道路沿いを歩くとあちこちにまた古い建物が残っており楽しい。一角には酒蔵まであり『菊の司』ていうお酒なんだって。ほんで目的地の『肉の米内』さんまで来たのだけどこちらはSisカテゴリへ飛ばすとして、その向かいの明治42年つまり1909年創業という『丸竹餅店』さんではお盆前とあって
『お盆です 赤飯・味付おふかしをどうぞ』
毎年この時期に架けられてるのだろう、これまた大分昔からありそうな看板が。こういうのも季節を感じられていいものだねぇ……
なんだかんだで、まぁいい具合に私の好きな感じの雰囲気な街だなぁ盛岡。今回来てみて、よかったなと。因みにこの『米内』さんのすぐ傍に架かる『上の橋』は南部藩主となった南部利直が盛岡城築城と同時期に架けたもので、欄干を飾る青銅製の擬宝珠には、慶長14年(1609)・慶長16年(1611)の銘が刻まれている。で、えーとやっぱ秀吉やら家康やらから拝領したのだろうけども、『源朝臣 利直』とある。慶長年間ていうと関ヶ原の戦い(慶長5・1600)や江戸幕府開府(慶長8・1603)と日本の歴史が大きく変わった時期でもある。その時からあるっていうんだから、何気にすごい。
そんで逡巡したのはその後だった。なんとのう手に入れていた盛岡の地図だったけども、それなりに比較的近くに『鬼の手形』のある三ツ石神社があるという。けれどももうお昼を廻った盛岡、なかなかに暑い。でもってまだ、それなりに行きたいところもあるよなぁ……
とも、思ったけれど。こういう時は行かずに後悔より、行って後悔!というのが先の根室行き(2007)の時のフィートゥ・アタック時から全然変わってないので、結局行ってみることにした。しかし地図がざっくりし過ぎてなかなか……分かりにくい……最終的には行けたけども、結構北に行ってから南に戻ってくるというか廻り道感と疲労感が結構来た(勿論若干道を間違えたからというのもあったけど笑) つかあまりまだ観光地として整備されてない感じも。けれども観光地なら何処でもきちっと整備されてなきゃないて思ってる訳でもないので、たまにはこういう鄙びた感じなのもいいんじゃないかなと。近くの学校の用務員さんの小屋?なんて古過ぎてなんてーかこう、『北の国から』とかに出てきそうな勢いよ?(苦笑)
でも、そんな比較的地味な佇まいなのに実は『岩手県』の名前の由来になってる場所だったりもするのだけど……(苦笑) ほんでもってその『鬼の手形』はなるほどでっかい自然石がみっつ並んでしめ縄が掛けられている。なんでも昔この地の人々を困らせていた鬼をここの神様が懲らしめて、もう悪さをしないのとここには来ないのとを約束させ、その証として岩に手形を押させたというのが由来なんだとか。そこから『岩手』の名とこの辺りの地方を指しての『不来方(こずかた)』の名の由来になったのだそうな。でもなんだろう、手形っぽいのはなんか見つけられなかったけど……でもきっと、ちゃんとあるんだろう(苦笑)
往生したのはそこからだった。なんだかんだで結構北まで来てその分南へと戻らないといけないのだけど、まー暑さも増してきて、私の方も疲れが出て来て(笑)、なかなかにツラい。けれども予定してきたことを崩すのが嫌いなのもまた全然変わってないので、予定通り次の目的地『石割桜』まで向かう。これは盛岡の地方裁判所前にある、巨石を割って生えている桜のこと。なんだかんだで行ってみるとなるほど、流石の迫力。でっかい自然石のど真ん中をばっくりと割って、桜の木が伸びている。でもこれはどうなんだろう。桜の木が勁いのか、それともこの石がやさしいのか。
もう少し東へ行くと岩手県庁があって、大々的に今年開催らしい『いわて国体』をPRしている。もう少しで始まるのだね。で、信号を渡って内丸緑地へ、この界隈にあるごはん屋さんとかも結構古いところあっていい雰囲気ね。そこを通り抜けると櫻山神社、が見えてくる。ここは先の南部利直から七代後の南部利視が1749年(寛延2) に創建した神社なのだそうで。本殿の脇には『烏帽子岩』なる大きな岩があったりして、流石は岩手といった感じも(苦笑)
そしてそもそもこの櫻山神社自体が既に盛岡城跡公園の一角でもあるので、その後盛岡城址をぐるりとひと廻り。ほんでもういよいよ暑いので草に寝転んで十五(+それなりの数字) の心を空に吸わせたりはせなんだけども、まぁ城址は歩いてみるとなんだかんだで楽しい。けれどももうここですっかりがおってしまって、もりおか文化歴史館のフロアで涼んでいたところで見つけたチラシで盛岡市街循環バス『でんでんむし』の存在を知る。所謂一度乗ったら何処まで乗っても100円、てスタイルのバスで一日券買えばもう少しスマートにあちこち移動できたのかしらとちと口惜しくもあったが(苦笑) まぁ今回思い立ってすぐ来たからね~もう少し時間あればこういうのも見つけられたのかもしれないけども。まぁそれでも今からでも使えるろう、と県庁前まで戻って左回りのバスに乗ってみる。そうすると今日巡ってきたところを今一度車窓から眺められた訳で、すぐに赤レンガ館、盛岡バスセンター、そして上の橋とを今一度車窓から眺めることができた。
その後降りた場所からすぐだったのは、『啄木新婚の家』。石川啄木が結婚後すぐ、の時期に住んだ家とのこと。小ぢんまりとした佇まいで、こういう小さな家も風情があっていいよね。って、でも冬は寒そうかな(苦笑) ていうかそれよりも結婚式の際に啄木は仙台に居り、新郎の居ない結婚式だったとかいうののがよっぽど気になるんだけど……
つかまぁ、そう言えば啄木を偲ぶよすがを訪ねたのは去年の釧路以来になるのかな。まぁあの時も疲れてしまって結局殆ど未遂だったけど(笑)、今回はちゃんと来ましたよということで。
さて、この時点で14時過ぎ。そろそろ帰路を考え始めないと、な頃に差し掛かってはいたけども、それでもまた少し北へ向かう。5分くらいも歩いたろうか、目的地の手前に既に駐車場の案内をしているおじさんを見掛けた。ほんで目的地の前の駐車場はなるほどいっぱいで、外にこそ人影はないものの建物の中には並んでる人がずらり。そう、ここは盛岡の人……のみならず、私のように近県の者にも今や名の知れ渡っている『福田パン』のお店である。本店である。まぁ店の外にまで居るでもなし、まだマシな方なんだろう~とかって待ってみたけど結局30分からかかったのには正直参った(苦笑) 本店だけあってなんでもオーダーできる今回は、ずっと頼んでみたかったコンビーフ、とあとは生クリーム、の一点ずつ。定番らしいバター&あんことかなんて元々食べられないしねー、既にパッケージングされたものは何度かいただいたことあるけども甘いのばっかだったので一度は惣菜系パン頼んでみたかったのよ。あ、生クリームの方は単にただの好みで(笑)
て感じで思いの外疲れの蓄積された感じで、ようやくこれで今回の予定は全てコンプリート……と、言いたいところだったけども。先のでんでんむしはルート的に合わないので盛岡駅まで歩いて戻って行く中で、あともうひとつだけ目的はあった。それは『開運橋から岩鷲山の写真を撮る』というもの。NHK盛岡放送局の朝の中継ではこのシーンと共に詩的なコメントを披露してくれる上原アナが名物だけども、それっぽいシーンを撮ってみたいなと。でもそれやると盛岡駅周辺をまたしばらく余計に歩かないとだし、盛岡駅の西口への連絡通路からも離れてしまうし、そもそも開運橋工事中だったし……と、いうことで流石にこれは断念して、駅まで歩いて戻っていく道すがらの旭橋から撮ることにした。岩鷲山は山頂辺りが雲に隠れてしまっていたけれども、その秀峰ぶりは相変わらずである。なるほどふるさとの山はありがたき、だよねえほんと。その姿は盛岡駅の連絡通路からも見えた。下に拡がる線路、次に使う時は何処に行く時なんだろうなぁ……と、そんなことを思いながら。帰りまで保留していた南部鉄器の風鈴は、結局買わなかったというか買えなかったというか、そう言えばとここまで来て今日はバスが混んでいたのを思い出して、早くに並ばないとと道を急ぐことにしたからだった。ようやく帰りの便用の水を買えたくらいで。
そうやってやにわにながらも急いだのが功を奏して、チケットを買う必要もなく(朝往復で買っていたので) ただ並ぶだけでよかった帰りの15:40発仙台行き便はなんとか右手窓席ゲットオー!<しかしほんにどんな状況だよ今回はよ(笑) おかげで帰路では高速に乗り盛岡を離れ小さくなっていくまで岩鷲山を堪能できたのだった。
それにしても盛岡は予想以上に暑かった。ひと言で言えばそんな今回だった気もする。だけども一日ぶらりとするにはほんと、いい街だと思う。まぁできれば一泊くらいした方がこの人みたいにぱたぱたしないで済むとは思うけどね<ほんとよね結局今回もね(笑)
