$にゃん子さんのブログ

悲しみに耐える少年、歯を食いしばるその唇には血がにじんでいたといいます。撮影したのは、ジョー・オダネル軍曹。原爆の破壊力を記録するために、長崎の焼け跡に入る。


その時、オダネルは、軍の命令に背き、ひそかに30枚の写真を撮影していた。しかし、写真は長い間公表されることなく、封印されていた。




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反核運動の彫像(罪のない被爆者の写真が彫像の全身に貼られていた)と出会い。自分も撮影した真実を伝えなければならないと、43年ぶりに封印したトランクをあける・・・






(ここからの---★~★---内は聞くに堪えないような内容ですが、読んでいただきたいです。)






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被爆者が治療を受ける救護所で、原爆が人間にもたらす現実を目の当たりにします。その出であった一人の被爆者について語っています。「私が見たその人は、これまで出会ったけが人とまったく違っていた。彼には髪の毛がなかった。眉も、鼻も、耳もなかった。顔といえる原型はなく、肉の塊だった。彼は私にこう言った。『あなたは敵でしょう、殺してください』私は逃げるように、彼から離れ、別の患者に向きなおった。部屋を去る時、再び彼を見た。まだ『殺してくれ』と言っていた。自分にできることなど何もなかった。その時、肉の塊にしか見えなかった彼の両目から、涙が流れていた。翌日救護所を訪ねると、ベットにその被爆者の姿はなかった。

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(ジョー・オダネルさんの肉声のテープから)


「この世のものとは思えないものを見た。死んだ人、子供たち、その母親、間もなく死ぬ人、飢えてる人、そして原爆症。傷ついた人々を撮影しているうちに、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから憐れみに変わった。


なぜ人間が同じ人間に、こんな恐ろしいことをしてしまったのか・・・」







「誤解しないでほしい、私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし、国のために戦った。しかし母国の過ちをなかったことにできなかった。退役軍人は私のことを理解してくれないだろう。私は死の灰の上を歩き、この目で惨状を見たのだ。確かに、日本人は中国や韓国に対してひどいことをした。しかし、あの小さな子どもたちが何かしただろうか。戦争に勝つために、本当に、彼らの母親を殺す必要があっただろうか。1945年 あの原爆は、やはり間違っていた。それは、100年たっても間違いであり続ける。絶対に間違っている絶対に・・。」


「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もあるはずだ。」








-----ジョー・オダネルさんは85歳で息をひきとりました。その日はくしくも、長崎に原爆が落ちた日と同じ8月9日でした。-----







(残されたテープを聴いていく中で、息子タイグさんは、その思いを知ることになります)





アメリカ人が好むと好まざるに関わらず、8月6日と9日は毎年やってくる。嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まってくる。「お前は裏切り者だ」「アメリカが嫌なら日本へ行け」と、ある時、娘が教えてくれた。「お父さんの活動に味方する投稿が一つだけあるよ」と
その投稿は私への批判の声に反論してくれていたのだ。オデナルを批判する人たちに言いたい・・・原爆とは何だったのか、図書館に行って、歴史を勉強してから批判しろ!名前を見るとそれは私の息子だったのだ。息子が、私が日本にいた時と同じ23歳のころだった。その後息子はこう言ってくれた。50年たって僕がお父さんぐらいになったら、僕が日本に行って、お父さんのやろうとしたことを引き継ぐよ。平和のために、命をかけて写真をつたえていくよ。





(ジョー・オダネルさんの肉声のテープから)



「たとえ小さな石であっても、波紋は広がっていく。それは少しずつ広がり、いつかは陸に届くはずだ。アメリカという陸にも届く日が来る。誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。そしていつか、誰もが平和を実感できる日が来ると信じる。」



●緊急情報【拡散切望】

京丹後市が米軍レーダー施設を受け入れようとしてます!←--クリック(nonベクレルさんからの情報です。拡散希望!)

京都府京丹後市の自衛隊基地に米軍レーダー施設建設が強行されようとしています。
僕は戦争が国策だとは思っていません。もう分かってる人も沢山いると思いますが、経済と言うゲームの成れの果てに位置するのが、原発をはじめとする核開発であり、殺し合いによって資本家が儲ける戦争なんだと思っています。
毎年8月になると広島、長崎の原爆と終戦を思いだす日本人は、一体あれからどんな道を歩んで来て、これからどうするつもりなのでしょう?全く世の中は変わっていない。変える努力をして来た日本人が果たしてどれくらいいたのでしょうか?
でも、今は変えようとしている人が急激に増えていると思っています。

下記は京丹後が故郷の友人のfacebookの投稿です。
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いまのままだと、自然豊かな京都に米軍基地建設が強行されてしまいます。何度となく申し入れをして実現した昨日の8/7の住民説明会でも、中山市長からは建設ありきでの回答しか帰って来ません。もう地元の宇川の方々がどんなに頑張ってもこれは越えられない問題なのでしょうか?
みんなも京丹後市役所に「米軍基地建設反対」の声を届けてください。
これは丹後や京都だけの問題ではありません。いまの政府だと日本全国にある自衛隊の施設がなし崩し的に米軍基地と同居する可能性すらあります。
また、この交付金を前提にした立地ありき、住民主権を完全に無視した強引なやり方に対して、誰一人納得していません。

抗議の声は京丹後市役所まで
電話:0772-69-0001