いつの頃からか音楽を聞かなくなった。
多分それは、聞く音楽、聞く音楽が全て同じに聞こえてしまうようになってしまったからだろう。

男は、ある日家の近所の潰れかけの中古CD屋に立ち寄った。
その日は会社の親睦会で酷く酔っていた。

ブラブラと店内をヨレヨレの足取りで歩き回っていたとき
J-POPのCDが集められている箇所で足を止めた。

CDのジャケットにプリントされている聞いた事のない女性の歌手が、
うれしいのか悲しいのかどっちつかずの表情で自分を見つめていた。

値段も300円と安かったので、
男はCDをカウンターに持っていきお会計をしてもらった。

家路の途中、3回くらいゲロを吐いた。

ヨレヨレになって家に帰った男は冷蔵庫から、買い置きしていたペットボトルのお茶を
取り出してそのままラッパ飲みした。

意識は朦朧としていたが、
体は勝手にさっき買ったCDを袋から取り出しノートパソコンの中に入れていた。

回転音が部屋の中に響き、男がディスプレイの再生ボタンをクリックすると
透明感のある女の歌声がギターとパーカッションに合わせて流れた。

男は床に転がってぼーっと天井の一点を見つめ続けていた。

いつの間にか、曲が一曲終わっていた。

パソコンのディスプレイを見ると5:04の長さの曲だった。

この世の中は複雑に絡み合っているけれど、
音楽はその曲が流れている時間は、その世界だけ考えればいい。

男はその曲をずっとリピート再生して深い眠りについた。

”一緒に帰ろう”とパソコンのスピーカーからどこか寂しい声が部屋の中に流れ続けていた。

”私の妻が最近おかしいんです。”

男はそう告げた。

”ある日、私が会社から家に帰ってドアを開けようとしたら中からものすごい騒音が聞こえるんです。”

”鍵を開けて中に入ると、家の中が何かのダンスミュージックが大音量で流れていました。”

”妻はベッドによりかかりながらずっとお腹を撫でていました。”

”私は妻に&”何をしているんだ??”&と聞きました”

”妻は&”なんかサイケデリックトランスが胎教にいいらしいの”&としれっとした顔でいいました。”

男の目の前には、口元以外を黒い布で覆った女が座っていた。

男は続けて言った。

”別の日には妻が&”最近太ったの。。最近ヒモなしバンジーがダイエットにいいって聞いたの。今度試してみようかしら”&という訳の分からない事を言っていたんです。”

”妻のそのような変化に私は違和感を覚えて妻の身の回りの品を調べていたら、
カツマ*デ*ヤル子という人物の本を見つけました。”

”何人かは知りませんが、笑顔の写真をみたときにその真っ白い歯がとても印象的な女性でした。”

”私はもう家に帰って爆音の中で暮らすのも、ヒモなしバンジーも嫌なんです。どうしたらいいのでしょうか?”

女は男の話を一通り聞き終わるとその真っ白な歯をむき出しにして笑顔を作った。
ecoで始まる単語というのはegoではないか?
ecology=egology
economy=egonomy
と最近思う。
環境についてつきつめて考えたら今の生活水準を放棄すべきだと思う。
経済は人間のエゴの象徴であると思う。
エゴとはなんだろう。zazen Boysというバンドの歌で
「繰り返される諸行無常、繰り返す性的衝動」という謎な歌詞があった。
多分、この性的衝動が根本にあるような気がする。
まあ、世の中はオナニーの押し付けあいみたいなもんだと最近よく思う。
「あの人のオナニーの仕方はとてもおしゃれだ。私も真似してみよう」
「俺のオナニーはとても合理的で効率がいいから君達の国でも取り入れなさい」
みたいな。
偽(いつわり)という漢字は人の為と書く。人の為に善行いをすると書いて「偽善」だと博士が喫煙所で言っていた。
まあ、恋人、家族、会社、社会に地球のために何かすると言っても要は回りまわって自分のためなんだと思うしでもそれは悪いことじゃないとも思う。
むしろ自分が満たされてなければ周りを満たすなんてできないんじゃないだろうか?
偽りの善でも時に救われることもあるし。
まあかと言って自分の事ばっかり考えるのはだめで、自分のためにすることが少しでも周りのためになるように心掛けるのがベストなんだろうな。
酔っ払って朦朧とした意識の中、知らない女の子が捨てられた彼氏について
「私こんなに尽くしたのに、なぜ?」と言ってたからこんな事を書くのかもしれない。
まあ、よく分からん。
腹が減り 野山駆け抜け のたれ死ぬ
会社の事務所の隅のドアを開くと、そこは製品の出荷場で
喫煙者はそこの一角に備えつけられている灰皿の周りでタバコを吸っている。

いつもそこにいるメンバーは大体決まっていて、話す内容も
ゴルフのスコアがどうとか、
金が無い。
愚痴。
スナックに行った話。
とお決まりの内容を毎回繰り返している。

先週のとてもよく晴れた日の事。
ヨシオカさんという、北海道出身の50代のガチャピンのような
とろんとした目をしている同じ部署の人とその喫煙所で金の話をしていたら、

「話を聞け!」

ヨシオカさんと僕が話しているのを割って入るように、
コマイさんという体のでかい40代のこれまた同じ部署の人が近寄ってきた。

「どうしたんですか?」
と僕がコマイさんに聞くと。

「外になあ、羽の折れたハトがおんねん。」
と言った。

「はあ。。」
と答えてヨシオカさんとみんなで出荷場の外に出てみると、
確かにそこに羽の折れたハトがトボトボと歩いていた。

コマイさんが、「何もするなよ」と僕らに念を押すので
僕は、「何にもしませんよお。」とヘラヘラ笑いながら言っていたら、
横でヨシオカさんがポツリと、
「介錯せなならんなあ。。」と言い出した。

この、おっさんは何を言い出すんだろう?

ヨシオカさんは
「このままだと、食べられてしまうやろう。首を折って楽にして
やろうじゃないか。」と言う。

コマイさんは「やめときいや。自然に死ぬやろ。」と言いなだめる。

一旦、みんな事務所に戻ったが、

ヨシオカさんはさっきのなだめを聞いていたのか聞いていないのか、
机の中からハンマーとビニール袋を取り出してスタスタと
出荷場の方に出て行った。

しばらくして戻ってきたヨシオカさん。

「終わったで」

と一言僕に言って自分の席に戻っていった。

気になった僕は、外に出てハトの様子を見に行ったが
そこにはハトの姿は無かった。

やりやがった。。

近くにいたコマイさんに、

「ヨシオカさんやってしまいましたね。」

と言うと、

「いや、ハトどっか歩いていってしまってできんかったみたい。
ただ、あの場所に残ってたらあのおっさんやってたやろ。」

この話。

北海道の大自然の中で育まれた価値観なのだろうか。
ヨシオカさんの考え方はある意味正しいような気もする。
ハトからしたらはた迷惑な話な気がするが。

いつか、僕もあのハトのような状態になる時がくる。
その時、介錯されたいと思うのか、自然に死にたいと思うのか。。

ハンマーで叩かれるのは嫌だなあと思った。
先週末、僕は実家に車で帰った。
高速道路は夜10時を過ぎると割引料金を狙ったトラックで一杯になる。

追越車線をずっと走っていたら、前にとても遅い車がいた。
チキンな僕はあおる事もせず、一定の車間距離をおいて後ろを走り続ける。
前の車が気づくのを期待して、ずっと、ずっと。

そんな事を続けていたら、左側から一台の車が猛スピードで走ってきて、
僕の前に車線変更して、僕の前を走っていた車をあおるあおる。
ピカピカ。ピカピカ。

すると、前の遅い車はすぐさま左側に退いて、
追越車線はまたスムーズに流れ始めた。

ふと、北風と太陽の話を思い出した。

旅人のコートを脱がそうと、北風がぴゅーぴゅー息を吹きかけたが
旅人はますます身を縮こまらせてしまう。
そこで、太陽がテラテラと光を浴びせかけると
旅人は暑いのでコートを脱いだ。
という話。

僕は太陽のようにテラテラと後ろから前の車にプレッシャーを与えていたのに、全く動じなかった。
しかし、横から来た北風のような車がパッシングする事で前の車はのいてしまった。

絵本に出てくる北風も、竜巻くらい起こしてたら旅人は
逃げるためにコートを脱ぎ捨てていただろうに。

やるならとことん。
有名人のプロフィールを見るのがとても好きです。
なぜ、この人は世に名を馳せる事になったんだろう?
何にもしないでなったわけではないだろう。
名前はなんとなく知っているけれど、この人はどんな道を
歩いてきたんだろうか?

今日はホーチミンについて調べました。

たまたま、開高健の本を読んでいてホーチミンに関する逸話が
あってとても面白かったのです。

若かりし頃のホーチミンはグエンアイコックという名前だったそうで、
色んな国を回っていたがあるとき、フランスで写真の修正をして暮らしていたそうだ。
当時ベトナムを支配していたのはフランス。
「こんな時代に芸術などなんの役にたとうか?」
とグエンアイコックは革命の道に進んでいった。
当時フランスに住んでいた日本人画家の小松清という人が
偶然にも同時期にフランスにいて若かりし頃のホーチミン、グエンアイコックと友達だったそうだ。
その頃のホーチミンはとても陰惨な殺人鬼のような目をしていた。
とその小松清は記憶していた。

数十年後、日本敗戦と共にベトナム人民共和国の臨時政府が設立され
その長にホーチミンが就任したが、閣僚の誰一人このホーチミンと
グエンアイコックが同一人物である事が分からなかった。
そこで、このホーチミンがグエンアイコックと同一人物であるかを
証明できる人物としてこの小松が秘密裏に呼び出されホーチミンと
面会する。

しかし、そこで出会った老人は確かにグエンアイコックに姿形はそのままでそのまま老人にしたような出で立ちだが、小松を見ても昔話の一つもなく懐かしさも顔に表さなかったという。
一番変わった事は昔の殺人鬼のような目が好好爺の目に変わっていたという。
そして、面会は当たりさわりのない会話で終了。

へえ、何かがあったに違いない。
と思いウィキペディアでホーチミンを検索。

一番気になった一節。

「ホーチミンは自伝の類は残さなかった」

結果的にアメリカを唯一負かした男は何て謎が多いんだろう。

この話、

①この日本画家の小松氏が虚言を吐いた。

②ホーチミンはどこかの国が仕込んだ、影武者。

③それか、本当に何かグエンを変える何かがあった。

③だったら、何があったかとても知りたい。
過去の記憶がぶっ飛ぶような事があったんでしょう。

でもウィキペディアにはのってない。

メタモルフォーゼの瞬間が見たいし、知りたい。
ポトンと釣り糸を水面に垂らしながら、
橋の上を行きかう車を眺めながら。

中学校時代の友達が第三のエネルギーを探しに行くと
言ってどこかへ旅立ったという風の噂を思い出し。

「石炭、石油。。原子力か」

リールを巻いて、糸の先端を手繰り寄せ
シュッとまた遠くに竿を振ってほおり投げる。

ヘッドハンティングされて最近地元に戻ってきたんだよね、
という電話があった事を思い出して、

「ヘッドハンティングってヘッドじゃなかったらただの転職だろう」

またリールを巻きポーンと竿を振ってエサを飛ばす。

加藤和彦が死んだと朝からテレビでやってた。
もう最近いろんな人が死ぬから、不感症になってきた。
自分の役目が終わった事を感じたのだろう。

隣のおっさんはとても上手に竿を振る。

それを見て佃煮にするほどおっさんがいる光景を思い出し。

ため息がでる。

そもそも淀川で釣りをする事が間違っているのだろうか。

今日は会社を休んだ。足が化膿して熱が出たから。
アルコール中毒の作家がいました。
とても売れっ子の作家です。

ウィスキー、テキーラ、ラム、ズブロッカ。
毎日とりあえずなんでも飲んでいます。
工業用アルコールを飲まないのがせめてもの救いです。

「かかあ、酒だせ。」

作家には奥さんが一人います。
奥さんは「もう、やめときなよ」といいながらも黙って
夫の酒を飲む姿を見続けています。

いつの頃からか、作家は年のせいかすぐ酩酊するようになってしまい。
作品を書く際に口頭で奥さんに文章を伝えて奥さんがそれを書記するようになっていました。

「あれ?俺こんな事言ったっけなあ?」

作家は酔いつぶれて寝た次の日、自分の書いた物を見て
首をかしげながらそうつぶやきます。

「言いましたよ。あんた自分の言った事も憶えてないんかいな?」

次の日も、

「あれ?これ言ったっけか?」

「言いましたよ」

こんな調子で作品は完成に向かって進んでいきました。

こうしてできあがった作品が賞を取る事となり、作家は授賞式でスピーチをする事になりました。

「ええ、本日はこんな賞をいただいてありがとうございます。。
ただ、僕書いた記憶が全くありまへんねん。。あはは。」

会場の記者達も作家の酒癖の悪さを知っているので、冗談だと思い笑い流して受賞式は終わりました。

家に帰宅した作家はいつものように、

「かかあ、酒だせ」といい、奥さんは黙って夫が飲み続けるのを見ていました。

「ああ、明日までにこの広告のコピー考えなかん。。」

そういったかと思うと作家はいびきを書いて眠りにつきました。

翌朝起きると

「あれ?この広告のコピーこんな事書いたっけなあ?」と言い
ました。

返事は全くありません。

「ああ、そういえばあいつは去年死んじまったんだっけなあ。。」

と言いまた酒をあおって寝ました。
おじいさんと5歳になる孫は居間でおせんべいを食べていました。

「おじいさん、この退屈な日常を打破するような話をして
くれませんか?」

おじいさんはとつとつと話始めました。

「あれは、わしが大学生の頃だった。お金が無いわしは
図書館に毎日通っておった。 その時、よく読んでいたのが
藤子・F・不二夫の短編集だった。
その中に、本能と直結した行為例えば排泄や性行為というのは
世の中では恥ずべきものとされているが食事はなぜ
公の場で行う事が許されているのか?という話があってとても興味深かった覚えがある。」

孫は言いました。

「おじいさん。食事という行為もマナーが無ければ見るに耐えないもの
でしょう。やはり、マナーが食事というものを見るに耐えるものに昇華
させたに違いありません。すなわち他の排泄や性行為もマナーや
作法を取り入れれば公の場で行う事が容認されるようになるのではないでしょうか?」

おじいさんと孫は紙とペンを用意して、つらつらと色んな
アイデアを書き連ねていきました。

「排泄の作法」

1.互いに向き合い正座をし、一礼を行う。

2.懐から懐紙を取り出し床に広げる。

3.着衣を脱ぎ、床に広げた紙の上に排泄口がくるように構えをとる。

4.しばらく、その構えのまま座談を行う。(天気の話など当たり障りのない話がよい)

5.排泄の瞬間が近づいた時に、一言「参ります」等、相手に声をかける。

6.排泄が終わった際に、相手方が排泄物に対しての品評を行う。(よいお手前で)等。

7.最後は相手方が懐紙を取り出し、丁寧に排泄者の排泄口をふき取る。

8.排泄物はそのまま紙にくるんで、排泄した者が自分の懐に戻す。

9.最後はお互いに一礼をし、フィンガーボールで手を洗い席を立つ。


「わびさびですね」
孫はとても満足したようでした。

おじいさんと孫の様子を見ていたお母さんがいいました。

「今日はカレーだよ。ばかたれが。」