今回のブログは、

自分の記録用の記事。

 

 

この気持ちを自分は絶対に、忘れてはいけない。

この想いを自分の大切な人に、受け継がなければならない。

 

 

なのでお店のことや日常を一度、

離れたブログになりますので

 

 

すこしお話をさせてください。

 

 

 

 

 

 

先日、僕の家で飼っていた

愛犬エアロが天国に行きました。

 

 

17歳でした。

 

 

以前、ブログでも書かせていただきましたが、

誕生日は6月10日だったので、

このときが17歳になったばかりでした。

 

 

こういうことは実際に今ペットと一緒に住んでいる方や

同じ境遇の方にしか理解しがたいのかもしれませんが、

 

 

「飼い犬・愛犬」と一括りにまとめるのには言葉が足りないくらい、

月並みの言葉になりますが、

 

 

本当に家族の一員です。

 

 

単純に17歳と年を数えると、

生まれてすぐ彼が家にやってきたので

 

 

高校2年生の弟がいた感覚です。

 

 

その「弟」が、

7月15日に亡くなった。

 

 

今でこそこうやって記録用・・・として

キーボードを叩けるまでになっているが、

実際は15日早朝にその連絡があってすぐは

朝から泣き、嗚咽し。

 

 

今年の三連休というのは、

僕の人生の中で、亡くなったことへの空白感と、

彼への感謝を抱いたまま行った”海の日”の営業だった。

 

 

・・・

 

 

振り返ること、7月6日。

この日ディーリバーは定休日だった。

 

 

定休日ながらあちこちを行き来しまわって、

ようやく家路について腰をおろし、食事をとるための準備をしていた

夕方18時38分。

 

 

涙声の母から、一本の電話が。

 

 

「エアロがもしかしたら、危ない」と。

 

 

僕は夕食の支度そっちのけでアパートを飛び出し、

10キロほど離れた実家へと車を飛ばした。

 


最近では体の不調が多く、

肝臓に腫瘍が見つかっていたり

足腰もだいぶ衰えがきていたのは聞いていた。



どこか漠然とそのことが頭にはよぎりながら…


 

車で走りながら心の中で

まだ会えるか?という不安を抱きつつ、

会ったとしても自分になにができる?という無力感に苛まれながら。

 

 

勢いよく車を降り、家のドアを開けて

リビングへと駆け込むと、

 

 

そこに先ほどの涙声からいたって平静な母と妹がいた。

 

 

慌ててエアロのほうへ駆け寄ると・・・

 

 

生きていた。

 

 

目は虚ながらにあいて、

いつもよりすこし大きく呼吸をしながら

普段通り寝ているように横になっていた。

 

 

自分はいろんな感情が込み上げたが

何より先に

会えたということへの安心が先に雪崩れ込み、

 

 

「よかった・・・」と漏らし、

声をあげて泣いた。

 

 

しかし安心してから束の間だ。

 

 

やはり先ほど述べた通り、

すこし弱っているように写る

いつもと違う様子の彼は、

 

 

立ちあがろうとしてはどこかへ歩こうとする。

 

 

どうしたの?と聞くと

「全てではないが犬の習性として、死ぬ場所を探す傾向がある」

というお医者様からの酷な情報を僕にも伝える母。

 

 

しかし立ちあがろうとしても

足に力がはいらないのであろう、

その場に座るというか、落ちる。

 

 

その姿を妹がそっと彼の体をサポートしながら

ほんのすこし歩きたがる方向へアシストしては

戻って・・・というのを何回も繰り返した。

 

 

自分には弱っている彼のサポートができるほどの度量もなく、

想像していた通りの無力感が襲った。

 

 

時折、彼が

「ハァハァハァハァ」

舌をだしながら呼吸を乱し、

起きあがろうとしている姿が見ていて本当に辛そうで、

僕は手を合わせ、願うことしかできなかった。

 

 

神様もうすこしだけ、彼に力を・・・と。

 

 

苦しんでいるのか、生きるために闘っているのか・・・

どちらにせよ「弟」のそんな姿は、

心がギュッと締め付けられるような感覚で

僕は手を合わせ、願いながら再び涙が溢れてきた。

 

 

そこから5時間ほど。

 

 

様子を見ていると

呼吸も元に戻り、立ちあがろうとするのもやめて

いつの間にかスッと眠りについていた。

 

 

そのまわりには父、母、妹、自分と

家族全員が囲んでいた。

 

 

家族の中その姿を見ながらほっと胸を撫で下ろし、

「とりあえずは大丈夫そう」

ということと、

 

 

病院嫌いの彼だったので

「明日、無理に連れて行ったとして、心にダメージを与えたくない」

という話からその翌日に母と妹が

様子を見たうえでこのまま家で療養をするか

病院に診てもらうかの判断をするとのことだった。

 

 

複雑な胸中で帰宅した。

 

 

「17歳という年齢」は犬で言う大往生だ。

 

 

「死」は必ず受け止めなければいけない、、ということ。

 

 

だがしかしそんな「年齢的なもの」で

「それならしかたないな」で心の整理がつくはずもない。

 

 

連れ添って17年だ。

 

 

言葉が喋れるわけではないし、

一緒に外出といっても近所の田圃道をぐるりと歩く散歩コースだけだけど、

 

 

家族の中に、彼がいた。

 

 

そんな彼がその日、俺の前で見せたのは

 

 

大きく呼吸をあげ、あかない目をカッと開き、

足がすくむ中で立ちあがろうとする・・・

 

 

今日を生きよう、と歌舞く姿。

命を燃やすような立ち姿だった。

 

 

いつまでも涙を流していたらいけないなと

自分もそれに鼓舞されて、

 

 

そこから一週間、

また暑い日が続くたびに彼の体調が心配になりながら

 

 

翌日「病院に行けた!」という母からの連絡があったら

仕事終わりはそのまま自分のアパートも寄らず実家に戻り、

 

 

彼の顔を見ながら「おつかれさま!今日は自分を褒めろよ!」と伝えて

そのままアパートの自室に戻り、

 

 

彼は飲まず食わず、

というか立てないので自ら飲めず食えずだった状態から、

「奇跡が起きた!」という言葉と添えられた

寝たきりの姿から小さく千切られた食事を頬張る動画を見て

心から嬉しくなって実家に戻り、

 

 

「よくやったな!俺も明日を本気で生きるから、生きろ!」と伝えて

そのままアパートに戻り・・・

 

 

そんな行ったり来たりの

一週間を過ごしていました。

 

 

走る往復の車の中で心中は、

「どこかで”覚悟”はしておかなければならない。」

 

 

きっと前回「木曜日」を狙って容体が急変したのも

俺への「覚悟の知らせ」が定休日にできるのだと思うようになってからは

気持ちのどこかに

 

 

「もしかしたら今日別れがくるのかも・・・」とふと考えたり、

メーカーさんからの電話の着信にも

「彼の悲しい連絡」でありませんように・・・と"普通"では過ごせなかった。

 

 

彼が家にやってきた日のことは、

今では朧げですが、記憶していた気でいました。

 

 

突然、父がなんの突拍子もなく

「犬を見に行こう!」と家族全員を車に詰めるようにして、

知り合いのペットショップへ車を走らせて、

 

 

正直それまで犬に接することのなかった自分としては

一切、気乗りしないまま・・・w

 

 

「まぁ見るだけなら」と仕方なしに同乗した記憶がありました。

 

 

そこで本当に生まれたての子犬たちが

フェンス越に6〜7匹?ほどうじゃうじゃあちこちと動き回っていて、

 

 

中学2年生のころで

「動物」に触れたことのない、ということへの稚拙な恐怖感で

可愛いなぁとも思えませんでした。

 

 

しかし僕は父の言動に、衝撃をうけます。

 

 

「まぁ見るだけなら」というモチベーションで見に行ったはずが、

隣の父を見ると財布から中学2年生になるこれまでで

一度も見たことのない現金を取り出して、

 

 

「この子にしよう」と抱き抱え出したんです。

 

 

「はぁ??」

と悪態をついていたのは、、、俺一人。

 

 

一緒にいた母、妹はいたって普段といたって変わらない表情で、

というか可愛い犬を抱えてどちらかと嬉しそうな姿でいて、

 

 

ただ俺だけ

「そんなの話と違う!!!」と

今思えば思春期真っ盛りの小っ恥ずかしいエピソードですが、

 

 

そのまま怒り心頭でペットショップから

飛び出したのを覚えています。

 

 

彼が眠りについてからそのことについて

家族と話をする機会があり、

 

 

打ち明けられたのは、

 

 

「隼人が反抗期の真っ盛りだったから、犬を飼って会話やコミュニケーションをとれるように」

 

 

と言う自分だけが知らされず

父、母、妹のなかではある種、

17年越しに発覚した

「計画的犯行」だった。

 

 

今となっては本当に、

彼がいたから自分も生きていくなかでの分岐点でも

背を向けずに正面からやってきたと思えるし、

それはお客様や仲間はもちろん、「家族」があってこそ。

 

 

その家族の会話の中心にいたのは、

間違いなく「弟」だった。

 

 

僕が中学2年の時にやってきて、

高校入学や就職などの人生のあらゆる分岐点も、

 

 

なにかに失敗して泣いて帰った日も、

なにかに成功したけど体が動かないくらい疲労していた日も、

 

 

帰れば尻尾を振って飛びいてきて、全力の「おかえり」を伝えてくれて、

仕事で遅くなった夕飯を足元から覗いて、食事をせがんできたり、

実家にこたつをだした!というときは猫のように、自分の隣で丸くなって眠り、

実家から仕事に行くときは玄関のギリギリまでついてきて、車のエンジンをかけ

ディーリバーへ向かう姿をカーテンから体を乗り出して見送ってくれて。

 

 

そんな普段、思い出さなかったことが

この正念場になってからいっきに

フラッシュバックをする。

 

 

かれこれ連絡を受けて、実家へ車を走らせた日から10日ほど経っていて、

最後に顔を見たのが7月11日。

「奇跡が起きた」と連絡が受けた日から4日が過ぎた。

 

 

そして迎えた三連休初日・・・15日。

 

 

その日の前夜はぐっすりと眠りにつけて、

なぜかアラームより先に目が覚めた。

 

 

15日は雨の予報だったのがびっくりするくらいの大外れ。

早朝からの暑さとカーテンから漏れる陽の光が、自分を起こした。

 

 

何事もなく朝スマホを見ると。

 

 

7月15日2時35分、

聞きたくなかった「天国へ旅立ったよ」というメッセージだった。

 

 

すぐ母に電話をした。

 

 

母は冷静に、昨日の亡くなったことの経緯・・・

痙攣を起こして生死の境を彷徨い、

1時間ほど必死に命を燃やして闘って、

しずかに眠るように息を引き取ったということを俺に伝えた。

 

 

聞きながら、朝の静かな部屋に自分の嗚咽の声だけが響いていた。

 

 

覚悟ができていた・・・

というと嘘になる。

しかし、覚悟はしていた。

 

 

今すぐにでも駆けつけたかったが、

今その顔を見たらたぶん自分はこの三日間、

ディーリバーに立っていられないのかもと思った。

 

 

話によれば15日は自宅でそっと体を冷やしてあげながら最後の時間を過ごして、

連休の中日16日に霊安室に連れて行ってあげることになったと。

 

 

とりあえず、朝の支度をして

いつも通りお店をあけた。

 

 

お客様は連休初日ということもあって、

たくさんご来店いただき、

皆んなと話をしているときは「今朝の出来事」をすこし忘れられた。

 

 

しかしお客様とお客様の間、

一人の時間になると気がつけば涙がこぼれる。

目は腫れて充血し、これは心配されるレベルでヤバいと

冷蔵庫にあった保冷剤で目を冷やす。

 

 

そして皆んなを迎える・・・そんな繰り返しの1日の営業を過ごした。

 

 

19時になり、帰路に着く。

 

 

この日は慌てて駆けつけた7月6日と違う感情で

早く会いたいという思いと、

「会いたくない」という思いだった。

 

 

「会いたくない」とは

改めて目にすることで、別れを受け止めたくない感情だ。

 

 

しかしそれは口だけで、

行動は彼のいる10キロ離れた実家に足が運んでいた。

 

 

会いたかった。

 

 

到着し、

その日は車をそっと降り、

歩いて玄関の扉を開け、

リビングのドアに手を掛ける。

 

 

いつも彼が眠っている場所へ行くと・・・

 

 

「寝てる?」

 

 

普段となんら変わらない寝姿に、

今にもお腹が動いて息を感じられるように

綺麗な姿で横たわっていた。

 

 

しかし違うことが、

 

 

普段嫌がる「足」を触ることを

この日は嫌がらなかった。

 

 

 

 

そのときに遅れて、

自分の中から感情が解き放たれた。

 

 

この感情は悲しみがもちろんあったが

 

 

それよりもずっと

「ありがとう」

という思いが湧き上がり、

何度もその寝姿に伝えていた。

 

 

多くの家族の中で反抗期の頃の自分と、家族のところへ

選んできてくれたことへの「ありがとう」。

 

 

そしていつも家には彼がいて、

皆んなの心を癒してくれた懐の広さへの「ありがとう」。

 

 

辛いとき、投げ出したい時にそっと人に寄り添える

優しさを身を呈して知らせてくれて「ありがとう」。

 

 

最後の最後に、

本気で"死ぬまで生きる"ことを教えてくれたことの「ありがとう」。

 

 

悲しみではなく、感謝だった。

 

 

たくさんのことを教えてくれて、

 

 

愛情をたくさん注ぎ注がれ過ごした17年間。

 

 

大往生で弟・エアロは天国へ旅立ちました。

 

 

そして彼に最後の別れを告げたのは葬儀場の混雑で1日あけて、

17日、、海の日だった。

 

 

普段は鯖江への抜け道で使っていた田圃道をひたすら走ると

そこにペットの葬儀場がある、という

抽象的にもほどがある父の案内だけだったが、

たしかにそこにあった。

 

 

9時30分からの葬儀に、10分ほど前倒しで到着すると

そこに家族と、祖母がいた。

 

 

5人を引き連れてスタッフさんが案内してくれた会場は、

人間のスケールを少人数にしただけ、のような立派な葬儀場だった。

 

 

お経を読上げ、最後の別れの時間。

 

 

さすがに、涙が止まらなかった。

 

 

最後にまた

「ありがとう」

を伝えた。

 

 

火葬を家族全員で見送り、

薄暗とした会場から表にでると

照りつける煌々とした日差しが待っていた。

 

 

ちょうど灰皿があり、

タバコに火をつけると、

父も横でタバコを咥えていた。

 

 

眼鏡工場の職人である父とは、

家で会話はするし、7.TEEN サングラスのことで相談なんかもするが・・・

 

 

こうしてベンチに腰掛け、白昼からタバコを吸い

自販機で買った缶コーヒーを飲む

なんてこと・時間はなかなかなかった。

 

 

すこし男同士で話をしたあと

11時になった時計を確認し、家族皆んなに仕事へ行くと告げ、

俺は一人、会場をでてディーリバーへ車を走らせた海の日だった。

 

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

 

俺は弟エアロから、

「死ぬまで生きろ」

そんなメッセージをもらった気持ちです。

 

 

彼が息を上げて力の入らない足で立ち上がった姿や

あれだけ小さな体で一週間も食事や水が喉を通らなくても、

最後の最後までみんなと生きてくれた事実。

 

 

彼は最後まで自分のために生きた。

 

 

でもそのなかで

その姿から命の火が消えるまで

戦っている生命の力を感じた。

 

 

あんな小さな体に、だ。

 

 

俺たち人間が10日間、飲まず食わずでも

相当なことだと思う。

 

 

これから何んにもない退屈な1日なんて、

死ぬまでに数えられないくらいきっとある。

 

 

自信がなくなってしまって、

1人で塞ぎ込む日も、

 

 

うまくいかなくて悔しさでいっぱいになる日も

 

 

そんな壁にばっかりぶつかるだろうという

線路(自営業)を辿ってきたし、

 

 

これからそんなことが、

どうせ死ぬまでにたくさんあると思う。

 

 

エアロが生きた17年間にいろんなことがあったし、

これから先はもっといろんなことがあるよな。

 

 

ただ何かで俺がブレそうになったときに

俺はこのブログを見返して、絶対思い出してほしい。

 

 

 

 

 

 

死ぬまで本気で生きよう。

自分の大切な人たちへ本気で愛情を注ぎ、

最後まで妥協なく"自分"のために生きればいい。

 

 

 

 

 

 

そして、絶対にこれから先もお前だけが、俺の弟だ。

 

 

もう一度最後に・・・ありがとう!

 

 

悪ぃーけど、まだまだ俺は、生きます。

 

 

 

2006.06.10~2023.07.16

AERO Thank you.