先日 バレンシアの火祭りのことを書いたので
バレンシアの話につなげます
建物と歴史シリーズで
マドリードのシベーレス広場周辺の
建物のことを書いてたのが まだ残りがあるのだけど
マドリードはまた別の機会に
(しばらく後にして)
(だって飽きたから
)

スペイン バレンシア州には
バレンシア県、
アリカンテ県、
カステリョン県があります
おばあちゃんの家があったのは
アリカンテ県ですが
今日はバレンシア県から
バレンシアは昔 城塞都市でした
城壁と12の門がありました
・Portal de Quart
・Portal dels Serrans
・Portal Nobu
・Portal dels Tints
・Portal del Coixo
・Portal dels Innocents
・Portal de Saint Vicent
・Portal de Russafa
・Portal dels Jueus
・Portal de la Mar
・Portal del Reial
・Portal del la Trinitat
しかし今では
城壁は壊され、門も2つしか残ってません
その1つが、
塔とも門とも呼ばれるので
Portal de Quart
Torres de Quart
クォートの塔と呼ばれる由来は
Quart de Poblet
クアルト・デ・ポブレットという町からの
商人が入ってくるバレンシアへの入り口だったからです

ナポレオン ボナパルトの軍隊が
侵入しようとした1808年6月28日に
フランスのモンシー元帥の軍隊が
クォートの門に現れたとき
8,000〜10,000人の侵略者は撃退されて
撤退しました
(この戦い全体ではスペインは負けたけれども
)
「ゲリラ豪雨」とかで使われる
「ゲリラ」の語源は
この戦いは
王侯や貴族がするものではなくて
人民が自分たちで侵略者から
自分たちの土地を守るために立ち上がり
正規軍の装備より安上がりであり
戦い方も非正規兵法で
スペイン語でこの戦法を
ゲリーリャ(guerrilla:小さな戦争)と呼び
これがゲリラの語源になっています
こんな戦いが各地であったけれど
クォートの塔はその時
砲弾に耐えて城壁の中にフランス人を入れませんでした
これはクォートの塔の裏
(城壁の内側)

14世紀末
(1392年から1398年の間)に建てられました
日本でいうと、
「金閣寺」が建てられた頃です
この門はバルセロナへの道の門でした
昔 この門の外側にいた人々は
Teruel(テルエル)周辺の出身者たちで
Serrans セラン(山の人々)と呼ばれていました
それがSerranosの門の由来です
これも、もともとは目的は要塞であったので
頑丈な石でできています
長い間、包囲や攻撃の際に都市を守ることを目的としていましたが
大使や王の公式の歓迎式などの儀式にも
使用されていましたが
その後は、
塔は騎士や貴族のための刑務所
(一般市民とは別に)
に使われた時代もあり、
さまざまな目的で使用されてきました
フランコのスペイン内戦の間は
プラド美術館などの
芸術作品を守るために塔内に保管されていました
頑丈なので芸術作品を守れました











