流石に歳をとり過ぎているからなあ
そんな言い訳めいた切実な事実に背を向けては通れない無情を噛み締める時、
人はため息を打つ。
私も仕方がない、ため息を打つ。
静かに聞こえる時は、まだ冷静だ。
激しい滝の打つ音が聞こえれば、それは叫びを通り越している。
滝壺には、この世の怨念が渦巻いている。
恐ろしいがそれが現実、凡人という人たちの無念の叫びがそこには群れをなしている。まるでイワシの群遊のように
歴史の中でどのように無名の人たちは葬り去られたか。
私はため息を打つ、この世で生きているならばその存在を知らしめる生き方をしようではないか。
まともなことを思いつく。
そんな考えが、そのような考えが、この年でないと出て来なかったことは不幸なのか。
肉体と精神のバランスに時間がかかり過ぎた。
叫びをため息を吸い込むタイミングが長過ぎただけ。
