昨日、プールが休館日なのを忘れて家で水着に着替えいざ出陣と玄関を出るところまで来て、あれ?待てよ…と調べたら、やはり休館日
その泳ぎたい情熱を発散させるべく他のプールも調べたけど、区内のプールはどこもかしこも第二月曜は休館日ばかり
なのでルームランナーで4キロほど歩いたり走ったり
ということで昨日発散出来なかった欲求を今夜は発散してきます
先日、母の19年の命日でした。
私が26歳の時に卵巣がんで亡くなりました。
来年で20年です。
母と一緒に過ごした時間と亡くなってからの時間があと7年もすれば同じになる。
あっという間にそうなるのだろうな〜と、20年を前にそう思うようになりました。
乳がんになってから沢山の方のブログを読んだりSNSを見る中で癌で闘病され残念ながら亡くなってしまった方の最期の時。。。
最後は強い薬を使うので話す事もできず意識もなく…というのが多いように感じました。
ですが私の母は違います。
亡くなる直前まで普通に話せて。
なので余命を知らなかった私は母の死は突然に感じました。
最後は癌によってできた血栓が脳に詰まったのではないかということでした。
次女姉が看取りましたが、もともと大きな目を更に見開き一生懸命最後まで呼吸していたよと。
最後まで死ぬことを諦めていなかったと。
その呼吸がだんだんなくなっていき息を引き取ったそう。
「ありがとう」が言えませんでした
私が死んであの世で母に会えたなら「ありがとう」と「ごめんなさい」が言いたい。
母の亡くなった年の手帳を開くと、母の最後の入院前、週末は旦那とデートばかりしていて…
平日は朝から夜まで仕事で休日も居なかった
姉達は嫁いで居なかったので、寂しい思いを沢山させてたのだろうなと思います
ましてや体調が悪いのに。
私はすぐに亡くなるような体調とは思ってなかったのだと思います。
あとは旦那と会う事を励みにしていた部分はありました。不安を感じつつ生活する中で旦那と過ごす時間が安らぎだったような…
母より自分の事を優先していたのかな…
あの時、もっと癌の事を勉強していれば、もっと一緒に居てあげれば良かったと、そのごんめなさいの後悔が残っています
今年は母の日にお花を贈らなかったので命日に贈りました
父からお母さんも喜んでいると思うよ!と電話が来ました。
早くお墓参りにも行きたいです。
やはり6月は母の事を強く想います