今日は母の命日。
亡くなってから18年。
6月10日、日付が変わってまもなく亡くなりました。
当時私は26歳独身。若かったな〜
旦那とは付き合っていて、もう結婚話もしていました。
結婚式を急ぐかという話も出ていた頃。
あの日、夜遅い時間の病院からの電話。
もうそんな時間にかかってくるんだから嫌な予感しかない。
実家から病院まで車で1時間かかる距離だったので病院へ駆けつけた時には既に息を引き取っていました。
まだ母の体温が感じられ、脇の下には温もりがあるのに全く反応をしない母。
母が唯一抱っこできた孫。
長女の姉の娘。姪っ子は当時一歳。
(今では孫が5人に増えたよ)
姪っ子は小さいし時間も時間だからと、同じ市内に住む姉を私がピックアップしてから病院へ向かうから父に一人で先に病院へ向かってと言って別々の車で向かったんです
(後から義兄と姪も来ました)
ですが、私飛ばしていたのか姉の所に寄ったのに途中父の車に追いつきまして
焦る気持ちがアクセルにつながっていたのでしょう
6月4日に個室に移ってからは、次女の姉が仕事を休んで付き添いをしていたので母は一人ではなく姉が看取ってくれました。
私も亡くなる前日に有休を取って付き添いをしていました。
その日は確か病室には夜20時半頃までいたかもしれない。
翌日は仕事もあるし姉と付き添いを交代して帰りました。
そして家に帰って数時間で病院からの電話でした。
亡くなる直前は毎日仕事帰りに面会に行ってから家に帰るという生活を続けていたので、疲れてるだろうから明日は来なくていいよと言われて、じゃあ明後日来るねと言って、ベッドの柵越しに手の平をポンポン
と2回合わせたのが母との最後の会話でした。
酸素は付けていたけど、亡くなる数時間前まで割と普通に喋っていたのにね。
昏睡状態がなかったので急過ぎて「ありがとう」も言えなかった
母はチャキチャキした人で、太陽のような人だったねとも言われました
一生懸命だから生き急いじゃったんだなと思っています。
病気になってから写真を撮られたくないかなと勝手に思い、あまり母の写真を撮ってなかったのが亡くなってからの後悔の一つでした。
いつも何かあると思うのは「怒られちゃうかな?」です
よく怒られていた訳ではないのに、母を想うとなぜかこんな事で悩んでると怒られそうとか思っちゃうんですね
今でも生きていたら、しょっちゅう遊びにきて長期滞在していたかな
東京に住んでみたいと言っていたから。
オバ様向けのブティックとか見ると(もう私もおばさんだが)母が居たら吸い込まれて行っただろうなと思います。
昔、次女姉と母と3人で沖縄旅行へ行った時に母が洋服屋さんで足を止めるのに、姉が旅行中にわざわざ服を買わなくてもいいと歩いていってしまって、2人を見失わないようにアワアワした覚えがあります。
それも思い出ですね
先日買ったあじさい。
なぜかこの色が私にとって母カラーなんです
この色を見ると母を想う
亡くなって数年は5月下旬〜命日まで涙もろくなったりすることが多く、やはりこの時期は仕方ないと思っていました。
ですが今ではそうでもないです
3日前に大したとこでもないのに考え事してたらツツーって涙が流れたから、あ、そろそろ命日だからか…なんて思いましたが、前みたく悲しい気持ちになるとかはなくなりました。
今夜は父に電話しようと思います