仕事納めの朝
昨日、「思い切って」はっちゃけたら、今朝の早めの出勤に遅刻するのが怖くてこんな時間に起きてしまった(笑)今日で本屋さんの仕事が年内最後となる年末なので配送がないそれにしてもクリスマス包装に追われたなぁ、と振り返るとその記憶しかない今まで(勝手に)自分じゃなきゃと思い込んでた役割を手放すことで、なんとなく自分に課してしまっていたことがあったやってたことと同じ事柄にはノータッチ、関わらないようにしてきてた声がかかろうと何があろうと断ることで、同じフィールドに上がらないようにしてきたはっちゃけるなんてもってのほか、とにかく目立たないように、なんてなんとなくそれが礼儀のような、恩義のような、そんな感覚で出来るだけ同じフィールドに立つことを避けてきたきっと周りはやきもきしてたと思う、現にオットがそう思っていただろう今までお世話になってたのに挨拶できないまま「消えた」わたしにサプライズのように次から次へと「偶然」の出会いあ!やっと挨拶できる!お礼が言える!年末に向けた時期に神様が「ちゃんとお礼を言いなさい」と会わせてくれたんだと何度も思った心残りが少しずつ無くなるようなそんなことがあった12月、もういいかなとはっちゃける「約束」をした正直な気持ちはもいいかなもあったけど、なんとなく後ろめたさがあったあんなことしたのに楽しんでもいいんかな、とか思ってたんです年末じゃん、誘われたんだしいいじゃんと自分に言い訳してそれが「勝手な思い込み」やと分かっていても、そうしないと気持ちが悪い周りはそこまでせんでも、思いきりやればええやんと言ってくれるのに、いや、それはできん、やらなきゃいけない(と思い込んでるだけ)ことを放棄したんやからとつくづくアホやなと思うでもそれが自分なんだ、付き合わなきゃいけないんだ、何があってもここだけは変えられんええ加減にできることの方が多いのに、ここだけは意地を張る意地っ張りな自分にどれほど呆れたことかで、はっちゃけることを許した結果地に足がついた浮かれるかと思ったけど、ストンと地球に足をつけられたちゃんとできる大丈夫だったよ、はっちゃけても解放しても大丈夫だった開放感、ハンパないけど大丈夫だったちゃんと戻れた結局、思い込んでただけ、楽しんじゃいけないと欲を封じ込めてたけど、ええんやな、大丈夫やんてもう押さえ込まなくてもええんやないかと思えたそう思えて周りを見たらとても楽しそうに見えたもしかしたら、周りの人はわたしの禊のような時間に付き合ってくれてたんじゃないかと思えたそんな必要ない、けどそうしないと気が済まないんだよね、思うようにやればいいと見守ってくれてたのかもしれないなとそういえば授業の最後の日も生徒さんから「来年ははっちゃけるよ、付き合ってよー」と言われたなわたしの禊のような時間に付き合わせていたのかもしれない、と気づいたほんとはもっと自由にやれるはずなのに、付き合わせてしまっていたのかもしれない事あるごとに「今は無理でもいつか」と言ってくれてたこと、それもそうだったのかもしれないと気づくわたしの周りにいてくれる人たちは、わたしのその妙な義理堅さや頑固さを理解しながら、それに付き合ってくれてるのかもしれない会話の中で「なんで?て思うこともあるけど、そこがあなたの良いところでもある。周りなんか気にせずやればいい、やれる力があるのにもったいないと思うけど、でもそれをやらないとあなたは前に進めないから。もういいと思うまでやればいい」と言われたことも思い出した2019年、やっぱりこれがわたしの目指すところだと「声」に出していこうと思うもう身勝手な遠慮をして礼を尽くしてる「気」になってないで、欲しいものはほしいと、やりたいことはやりたいと声に出していこう合える機会を増やすその場を増やす忘れんうちに書いとこ