人は拘りを持つ人を否定しがちである一方で、
拘りたくても拘れない者も多くいるのではないだろうか?
どういうことかと言えば、拘りを否定する人ほど、
実は拘りがないことへの劣等感のようなものを抱いているのではないだろうか?
拘りがないことは、言ってみればどちらにも振り子が振れにくいということでもあるからだろう。
どちらにも振り子が振れないということは、感動も拘りが強い人に比べ薄くなってしまわないだろうか?
感動が起こりにくいということは、日常の些細なことにも、喜びと感じたり幸せと感じれなくなってしまわないだろうか。
ここで誤解されがちなのが、これは心を中道に保つということとは意味が全く違っていて、
探求心を持ち、興味を抱き、それに熱中できるか否かであって、
心を中道に保つことは、むしろ興味を持ち熱中するためにはとても重要になってくると思っています。
私が危惧するのは、拘れない人の多くに、無関心の状態に陥ってしまっているのではないか。
その事を認めたくないために拘りを持つことを否定したり、拘りを捨てることを心がけようとする。
その事で人を卑下するといった行動に繋がってくるのではないだろうか。
心を中道に保つというのは、どちらにも動かない状態ということではなく、
全く逆で、どんな小さな風にでも吹き飛ばされるような、
どんな小さな流れにだっていつでも動ける状態を保つということであって、
どんな風にも流れにも微動だにしない状態のことではないと感じています。
拘りを持つことや何かに熱中し、やり続けられることは、心の支えになり、前進する際に道標となり得ると感じています。
好き嫌いがなく、何でも受け入れられ、どんなジャンルでもどんな食べ物でもどんな人にも滞りなく対応でき、
拘りを持たず、何事にも難なくこなせることが決して人として素晴らしいことではなく、
単なる臆病者で無関心で感動できない愚か者なんじゃないかって思えてならない。
最後に一言。
今の自民党は昔とは違い、拘りのない人の集まりのように感じてならない。
平均的で癖がなく、当たり障りのない人の集まりのようになってしまっているように見える。
今回の安部元総理の事件にしても、自民党の功労者でもあるはずの人を守れない党が、
どうやって国民を守れると言うのだろうか?
これはたかが一人の死ではなく、日本をどれだけ大事に思い、是が非でも守りたいと思っているか否かの、
重大な問題であるのではないかと思えてならない。
そんな無責任な党がこれから国民にどのようなパフォーマンスを見せてくれるのかどうか、
期待したい気持ちも起こらなくなってしまったのは、私だけではないはずだ。
でも、そういう拘りを持った人を排除してきたのは、我々国民なのかもしれません。
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