Twitterで色々書きました。

活動再開から一年半。

その間にも何度も何度も、Goosehouseのことを書く事が

ファンの皆さんにとっては、不快にさせてしまうかもしれない、という気持ちもあります。

もしそうなら、本当にごめんなさい。



けれど、語弊を恐れずに言います。言いたいんです。



僕は、今、d-iZeを応援してくれているファンが何よりも大事です。

もちろんGoose houseをきっかけにして知ってくれた人もいると思う。

そうじゃなくてd-iZeソロが好きな人もいるかもしれない。

けど今、こうして僕が歌っている事を応援してくれている人は、全て大事です。




だからこそ、申し訳ないけど、全部の人には全力では応えられません。

『今の』d-iZeファンには僕が応えるしかないから。

感謝はある。ここまで育ててくれたあの頃のGooseファンの皆さんにも。

色んなきっかけや思いをもって僕を知ってくれている人たちにも。




けど、そのGooseを僕は離れました。

色んな人を傷つけたり戸惑わせたりもしたとおもう。

自分を正当化しません。

僕が振り回して、迷惑いっぱいかけたことは本当に申し訳ないと思います。





だからこそ、言わなきゃいけないと思いました。

嫌いにもなれずに、ずっとGooseの頃の僕をおいつづけている人たちに。

忘れも出来ずに、すっきりしないままGooseと一緒に歌う日を待つ人たちに。




こういう風に思ってくれる人がいる事。

切り刻まれるほど痛くて申し訳なくて、

同時に身に余るほど嬉しいことです。




だから、あえて言います。

みなさんに償う事とか納得してもらうことのために、今の自分の時間を使うことはないです。

それが一番大事なら、僕はGooseをどんなことがあってもやめなかったと思います。




僕には、今もあの時も、僕の譲れないものがあります。

『全力でいること』です。

僕は、自分が全力でいられる環境を求めていました。

音楽を作る事でも、楽しむ事でも。



けれど、あの時のGooseにとって、

僕の全力は方向性がずれていたんだとおもいます。

僕が必死になればなるほど、みんなは楽しくなくなる。

みんなの楽しさに合わせたものを作るには、僕は持て余してしまっていた。



能力がどうこうではなく、ものをつくる、っていうことに対して

僕は”自分の全力”をとにかく出したかったんです。

若かったし、プレッシャーもあった。

けれど、チームでやっていくには、”みんなの全力”が必要です。

時にはそのために誰かがスピードを合わせたり、待ったりすることも必要だった。

でも、頭で分かっていても、

それが出来なくてイライラしたり、不安定になったりしました。



2013年のHOYの次の日から一ヶ月間、僕は原因不明の身体の症状で強制入院することになりました。

ストレス、とかそんな風には言いたくないし、結果よくわからない症状で

今もあれが何だったのかよくわかっていません。

(それまでもそのあとも、本当に健康体です。ご飯がおいしい毎日です。御心配なく。)



けど、入院なんかした事なかったぼくが、

そのときはじめて思えた事。

「もう無理だ」ってことでした。

それまでどんなに悩んでも出せなかった答えを、ようやく出せました。



楽しく歌いたいし、楽しく歌ってほしい。

それがGooseだから。

なのに、自分が全力を出せば出すほど、楽しさを奪っていく。

だからって、僕は僕をおさえられない。

それは、きっともう、そういうタイミングだったんだなと、今は思います。



不器用すぎて、なのに自分のこと器用だって過剰評価しすぎてて、

ものすごく振り回さないとこんなことも決められなかったのが、僕なんです。

兄さん、なんて言われていたけど、

本当の僕はメンバーの誰よりもわがままで目立ちたがりだから。



何より大事なもの。僕なりのプライド。

ファンの皆さんが悲しむ、ってもちろん思ったけど

それでも、最後は僕は、僕である事を選んだんです。



Gooseメンバーも色んな事で腹が立ったと思うし、

最後は誰も何もいってはくれませんでした。

自業自得だと思うし、同時に僕は僕で腹も立ちました。

でも、それまで僕がやってきたことが真剣で全力だった事は伝わっていたと思うから、

だから結局は、みんなもすこしは認めてくれていたのかなと、今はそう信じています。

僕も、彼らがGooseを大事だと思う気持ちの強さに、だからこそ僕とぶつかっていた事に

今は気付けたから

全然前とは違う気持ちで、Gooseっていうものに向き合えています。




これがあの頃あったこと。

正直、あの前後半年くらいは記憶とか順序がうろ覚えだし

見る側が違えばきっとまた"真実"は変わるものだとおもうので、

僕が書けるのはこのくらいです。

(今は、ずっと前の楽しかった事だけ思い出してしまうくらい都合のいい脳みそですが。)




すべてを説明することが、責任なのか。

それとも、好きだったファンの皆さんを失望させないことが、責任なのか。




迷う中で、僕もメンバーも逃げるような事ばかり言っていたと思う。

ごめんなさい。彼らにも、やめたあとも酷な事を強いたと思います。

申し訳ないです。



けど、そんなんだからきっと

ファンのみんなが終わりをちゃんと迎えられてない事態を生むのかなって。

もう二年も経って、

僕がいなくなってからのGooseのファンの方が多くなっている時期にもかかわらず

過去のリーダーが蒸し返すようだ、とお怒りになる方もいるかもしれない。



だけど少なからず、あの頃から、思いのやりどころを失ってしまっている人たちがいて、

それなのに、僕の事もGooseのことも好きでいてくれる。



そういう人に、僕は真剣に向き合わないといけないと、あらためて思った次第です。



僕は、今目の前にいる人すべてに全力で向かいたい。おこがましくも。

けど、それは目の前にいる人すべてにとっての良い方向ではないかもしれません。



今、前にあるものを、再び投げ出す事なく全力でカタチにしたいです。

そのためには、今の僕は、過去を振り返ったり、償ったり

昔の失敗を整理したり、決着をつけたりすることには、

チカラをいれることはできないくらいいっぱいいっぱいです。



どうでもいい、なんて思っていない。

でも、誰からも良く思われたい、なんてことも思ってません。

そういう意味では、強く、ずるく、したたかになりました。

開き直りと思われても仕方ないでしょう。




僕は、元Gooseのリーダーとしての最低限の責任は今もあると勝手に思っています。

今のGooseに迷惑をかけたくないし、彼らが築いてきたものを傷つけたくない。

だからそれに恥じない歌を、作品を出して活動していくこと。



でも、逆に言えば、今の僕に出来る事はそれしかないのです。

いつか一緒に歌う姿を見たい、と思ってくれる事は嬉しいけれど。





待っていて、なんて言えません。本当は、約束なんかできないから。



今の僕にとって、

またGooseと一緒に歌う事っていうのは、

個人的にはすごく思い入れのあることではあるけど、

d-iZeというプロジェクトから言えば、

はっきり言って、今のチームメンバーを動かしてまで

達成すべきものの中には入っていません。

それはきっと、僕以上に、今のGooseにとってはいっそうのことでしょう。

彼らが本当に僕と一緒にやるべきタイミングなら、そういってくると思うけれど、

でも、彼らは彼らで、こんなところでとどまっているタイミングではないはずです。

正直、最近のGooseは、もっといけるはずなのに、って僕でも思うくらいだし

多分、メンバーは相当必死になっているとおもう。いや、そうであってほしい。



だから、今は僕らおたがいにとって、

あまり意味のある事ではない、ということです。

将来あるかもしれないし、ないかもしれない、ということです。



けれど、それはファンのみんなにとっては違う。

色んな時の、色んな思いのファンがいて、

その人たちがどう思うか、何を好きかは自由なんです。

僕が彼らと一緒に歌う事の意味を、多分僕以上に感じていて

すっきりしないって思っている人もいるし、

楽しみにしてくれている気持ちも、イタイくらい伝わってくる。

逆に、今更僕にこられてもって言う人も当然いるはずだし、

d-iZeがいないGooseがいいって思う人がいるのもわかります。

どう思ってもよくて、ファンは自由だし、そうあってほしいです。




だから、戻ってほしいって言わないでください、と僕は言わないし、

またいつかみんなと歌う姿がみたい、っていうファンを否定したりもしません。




それが出来ない今。僕に出来る事。




ただ、真剣に向き合います。

納得しないなら、納得しないと言ってください。

期待しててねーと、簡単にも返しません。



今の僕も、Goose houseも

どっちもあまりにもまだまだ目指す場所から遠すぎるとおもう。



僕は、今のチームのみんなと、ファンのみなさんと約束してます。

もっとでかい場所にみんなを連れていかないと行けない。

最低ZEPPツアーと、チームのみんなに言ったら

目標が小さいと怒られました。恐れ多くも、嬉しかった。




Gooseのファンのみなさんも、きっと

まだまだこんなもんじゃないだろ、Goose!って思っているんじゃないかな?

それとももう満足ですか?いや、そんなはずはない!




どちらにしても、言葉ではないものを皆さんは求めていると思います。

僕も、Twitterやブログじゃなく、

音楽で伝えないと意味がないと思ってしまうから、

ついいつも言葉にする事を怠ってしまいますが。






やめるまでの過程も、今日までの道のりも『後悔』はたくさんありますが

けど、正直、『反省』はしていません。

僕は、あの時Gooseを抜けた事も、今こうして好き勝手やってることも、

結局、全部そうあるべきだったと思っているし、

納得してもらえなかったとしても、突き通すべき道だと信じています。




今の僕の音楽。

僕は、他の誰でもない自分のためにやっています。

そしてきっとGoose houseの時も、心の底ではそうだったのかもしれません。

僕は、自分の中にある”なにか”を、音楽として外に出すことに、すべてを賭していたいんです。

もちろん、ステージにたつときは、伝わるように、って思って歌います。

でも、作るとき、部屋でずっと一人でこもりながら、スタジオで色んな人とバトりながら、

僕は自分の中にあるものを研ぎすましていくその行為自体を、とても尊く思っています。

そこには、誰かにうけたいとか喜ばれたいっていう意識はなくて。




僕のその、研ぎすましてカタチにした何かは、他の誰かにとっても価値があるのかどうか。

純粋に、その部分で勝負してみたいと思っています。

31歳。全うな成功を望むのであれば、

Gooseにいた方が利口だったのかもしれません。

けれど、僕にとってもGooseにとってもそのカタチはあり得なかった。

結果的に僕は、それが今の僕の道を切り開くきっかけになったと思っているし、

だから今はここで、僕は自分の中に輝く何かが本当にあるのか、

勝負したいとおもっています。

単純に売れる、とかそういうことだけじゃないとおもうけど、

それも大事な指標のひとつなんだとすれば、そこにも真っ当に向き合いたい。

(そういう意味では遠過ぎる道のりかもしれないけど。)

ここで、今のチームで、今とこれからのファンのみんなと、

目に見える結果も、目に見えない感動も、全部手に入れたい。

欲張る僕は、なりふり構っていられません。

見ていてほしい、とは言えないかもしれない。

けど、それしかできないんです。




最後に、今更だけど。

二年前の卒業の前後、2014年のHOY、

すべて僕のわがままと至らなさで

たくさんの人にご迷惑やご心配をおかけし、失望させてしまったこと

深くお詫びします。申し訳ありません。

そしてなにより、

今、Gooseとの再演を望む人たちの期待に、応えられそうもない事、

申し訳なく思います。ごめんなさい。



無理して納得しなくていいです。

なんでもぶつけてください。

それも含めて、それもエネルギーにかえて、

それでも僕はなりふり構わず進みます。


朝になっちゃったけど、久々にブログを書けてよかったです。

最近、作業におわれて、皆さんに向き合うのを怠けていたのかな。

ごめんね。

もっともっと皆さんに向き合わないと!と心を引き締めて。

今日は月曜日。また一週間始まります。

自分を突き通すことの苦しさと充実感とを同時に抱えて、

今週も、これからも、とまることなく進む事を宣言して、

ブログを締めたいと思います。


So What? Be POP!!

だからなんだ?POPであれ。




d-iZe