東日本大震災から昨年で1年が経ちました。
個人的には色々とありすぎて「まだ1年か」という感想を持ちました。
ここでこの震災を振り返ってみたいと思います。

2011年の3月11日、地震発生当時は工場の端で品物の箱詰めをやっていました。
震源地から大きく遠ざかっていたこともあって、長い周期の横揺れだったのでしょう。
たまたま他の作業者のいないところで、大きくかがみこんで作業をしていたのと相まって
「何だかフラフラするな」とは思ったのですが、軽い眩暈を起こしたのかと思って「早く寝るか」と思ったのでした。
直後に休憩時間だったので休憩室の方へ行く時に工場内の照明が揺れているのに気付いて「何だろう?」とは思ったのですが、
周りの人が騒いでいたので初めて地震と知りました。

直後の休憩時間にワンセグでテレビを見ていましたが、
発災直後のため東北が震源であることが分かっただけで、被害も何も分かりませんでした。
その後、帰宅してから津波などで大変な事になっているのを知りました。
特に火の海になっている気仙沼の映像などは言葉を失いました。

時間が経つにつれて被害の状況が分かってくるだろうと思っていましたが、
原子力発電所の状況は少々気がかりでした。
10条通報、次いで15条通報と来ていましたので尋常ではない、と。
この時はまだもたらされる情報が不確かで、
「大丈夫だ」という発表がある以上、大丈夫なんだろう、と思っていました。

しかし翌日、状況は一変します。
私は友人たちと屋外にいて、時々携帯のワンセグでニュースを見ていましたが、
大した動きは無く、昼過ぎにはまあ、終息に向かうだろうと適当に思っていました。

そして夕方、一人の携帯に家から電話が入ってきて「早く帰ってこい、大変な事になった。」
と。
再度携帯のワンセグでニュースを見てみたら
各モニタリングポストの数値に極端な変化は無い、みたいな情報だったと記憶しています。
一応胸をなでおろし、大事には至っていない、と判断。
全員でいつも通り風呂屋に行きました。

移動の際、NHKラジオで原子力災害の原稿をアナウンサーが繰り返し読み上げているのを聞いて、
あくまで万一の際のものだろうとは思っていましたが、大変な事になったかもしれない、とは思いました。

この夜、風呂上りに全員でかじりつくようにして見たニュースが20時30分の官邸の会見だったと思います。
枝野官房長官(当時)の水素爆発の模様、という発表を聞き、
格納容器が健全であらば、何とか大丈夫か、との印象を持ちました。

この後、例によって全員でファミレスに向かったのですが、
これまた携帯のワンセグでニュースを時々見ていました。
友人の一人に「電力の備蓄が底をつくから~」という例のチェーンメールが来たのもこの時でした。
ちょっと待て、電力の備蓄ってなんだよ、って即座に突っ込みましたが。

翌、13日(日)の夜からは夜勤だったのですが、仕事中には時々ラジオを聞き、
情報の収集に努めました。
たまに緊急地震速報が鳴り、ついには工場がわずかに揺れたことも。
帰宅後の朝11時ごろには毎日首相官邸での記者会見、あるいは東京電力の記者会見があり、
ちょうど朝食と風呂が終わる時間だった事もあり毎日、目にしていました。

出勤前にもニュース(ニュースしかやってなかったんですが)を見ながら、
時々出てくる生存者発見の報に涙したりしました。
16日あたりにはカップ麺や乾電池などの買い占めで店頭から消えた、とのニュースが聞こえてきました。
12日に見た時は何ともなかったので、大げさな報道だと思ってましたが、週末に見に行って愕然としたのも事実。

この辺りには東京電力管内で輪番停電もありました。
管内ではない我々は大丈夫でしたが、やはり初めての経験に「これはただ事ではない」と思ったものです。

16日には4号炉、使用済み核燃料プールに対する陸上自衛隊ヘリでの散水が検討されましたが、中止。
翌日には実行されました。
ちょうど、朝に帰宅した頃に線量を測定するUH-60が上空に到着した頃で、
散水するCH-47Jの姿をテレビで見ながら作戦の成功と隊員の無事を祈っていました。
この作戦の実行を指示するべき総理大臣も防衛大臣も判断を投げた事に対し、
私は今でも憤りを覚えます。

この後、効果の高い地上からの放水に切り替わり、警視庁の機動隊も放水を実施しました。
特に後者は作業が遅れた事もあり、
ラジオを聞きながら「どうなった?どうなった?」と気にしながら仕事をしていました。
最初、意思疎通が上手くいかず、「機動隊の放水は失敗」と報道されましたが、
成功したことを彼らの名誉のために書いておきます。

この後、各県の消防による注水作業が行われ、多少なりともコントロールされ始めるのですが、
皮切りとなった東京消防庁による放水の映像とその後の会見には今見ても胸が詰まります。
逆に彼らを恫喝した当時の経済産業省の大臣には今でも憤りを覚えます。

長くなってきたのでこの辺で止めますが、
今回は大きな地震が起きて大変だった、だけでなくその後も不安な状況が続いたという意味では難しい災害です。
1年経ったとはいえまだまだ見通しの立たない部分が大きいのですが、
少しでも早く復興されることを願います。

それと同時に今回は今後の教訓とするべきところが多く、見直し、反省が碌に行われていないと感じます。
一刻も早く問題点を洗い出し、対策をとるべきだと私は思います。

最後に亡くなった方々のご冥福をお祈りします。