えちこ:
もう7月も後半に向かってる

7月はバタバタしていて1度もブログを書いてなかった

娘との生活でバタバタしてるのは勿論なんだけど、
今月中旬、私の大好きな父方の祖父が94歳で旅立ちました

私が産まれてから18歳で東京に出るまで、農家で母も働くうちでは、ほぼ祖父母に育てられたようなもの

特に私は[じいちゃん子]だったから

実家が遠い私は保育園からスクールバスで通っていたけど、小学校5年生でバレーボールを始めてから、帰りは必ずじいちゃんのお迎え

中学校も帰りは部活動で遅くなるから、必ずじいちゃんのお迎え

高校生になってからはスクールバスも無くなるから、行きも帰りもじいちゃんの送り迎え

聞いた話によると、私が小さい頃はじいちゃんの姿が見えるとどこかに行きたがってじいちゃんが仕事にならなかったから、隠れて家の周りを通っていたとか

甘えん坊の私が、小学校中学年にもなってじいちゃんに肩車してもらっていたのは、私もハッキリ覚えている

去年の12月、安定期前にして里帰り出産の為に帰省する事になったのも、やっぱりそれなりの意味があったんだろうなぁ

じいちゃん...
じいちゃんの珈琲を作る担当は私だったなぁ

『〇〇、じいちゃんに珈琲作ってくれや

』
もう聞けないんだなぁ

ここ数ヶ月は、年齢のせいで忘れちゃうのか、何度もくれたお小遣いも、もう使えないじゃんね

遺影の写真はとても良い写真で、じいちゃんのいつもの優しい顔をしてる

10日経った今も、本当に辛い

私はなによりも、
じいちゃんにひ孫を見せられて本当に良かった

じいちゃんがどんどん弱っていくのを目の前で見ていて、娘の誕生が間に合わないかもしれないのは若干覚悟はしていて。
このご時世 病院は面会禁止だから、入院してしまったら見せられないかもしれない危機感もあって

でも、じいちゃんも頑張ってくれたし、
誰よりも娘が頑張ってくれた気がする

予定日よりもちょうど1週間早く産まれた娘

その1週間がとてもポイントで

私と娘が退院して5日後、
祖父が入院する事に。
入院してからじゃ、
こうはいかなかっただろうなぁ

『こんにちは』 『こんにちは』
って、何回も何回も話しかけて

入院生活の最後あたりは面会が許されて、毎日のように娘も連れてお見舞いに

ある日
『お寿司が食べたい』と

胆嚢癌だったから、じいちゃんの口から何かを食べたいと聞けるなんて

ほんの2・3口だったけど、お寿司を食べさせてあげられて良かったなぁ

じいちゃんに病名の告知はしてなかったけど、きっと、半分わかってて、半分わかってなかっただろうな。
兄とお見舞いに行った時、私に向かって
『ダメだぁ

』
と言ったじいちゃん

じいちゃんの前で泣くのは絶対にダメだと思ったから頑張ってこらえたけど、辛かったぁ

はぁ

きりがない

じいちゃんの定位置、見ちゃうよねぇ

沢山書きたい事あったのに。。。
家族みんなが、娘が居てくれて良かったと言ってくれて嬉しい

娘がいなかったら相当暗い家だろうなぁ今は

無邪気な娘が癒しだね、本当に

じいちゃん、
私達をずっと近くで見守ってね

沢山、ありがとう
