対人不安と自己呈示から人の本性を考えてみた。
対人不安は簡単に言えば、他者からの評価に対する不安。
自己呈示は、他者から良い風に思われるために印象操作を動機づけるもの。
つまり人との対人関係において、他者からの評価とそのための印象操作が大部分を占めている。
人は社会的報酬のために、他者から良い評価を受けたい、良い印象を与えたいと思い、行動する。
これは人として当然のこと、普通のことであるが、
自己の利益だけを考え
そのためだけに行動する。
これは「エゴ」といえるのでないか?
そうすると人は、本能的にも意識的にも自己中心的であるといえないか?
人との関わり合いに不安を強く感じる、対人不安傾向が高い人というのは、それだけ他者からの評価を気にして、より良い評価を得たいと欲しているからであり、
より良い評価を、良い印象を、自分の利益なることしか考えない。
つまり対人不安傾向が高いということはそれだけ自己中心的傾向が高いと考えられる。
また、
親切な行為、献身的な行い、こういった一見無利益な行いも
他者からの評価を良くしたいと、周りからの自分の印象を良くしたいという動機からの行動であると考えると
この一見「善」の行いの根底にあるのは「偽善」であることになる。
なんの見返りを求めない、得られないというのは事実上不可能。金や物品以外にも、どうしても相手から評価・印象を与えられてしまう。または相手からそういったフィードバックがなくても、「現実のあるいは想像上の他者の認知や評価は、自己概念と自尊心に影響する」(象徴的相互作用主義)つまりは、よく見られていると思うだけで、実際にそう他者から評価・印象を与えられたと感じる。
この考えでいけば、人のとる行動の根底にあるのは「ただ自己の利益のために」であり
それはつまり人の本性というのはどうしようもない「エゴイスト」もしくは「エゴイズム」ではないかと考えた。
まぁ以上のことは、私が勝手に思ったことですので
根拠なんてありません。根も葉もないただの妄言です。
ただ最近私は自分をそういうモノと実際に考えています。
そうすれば、今までの自分が人との関わりを避けていたこととかが説明できるからです。
でもそういう風に説明してしまうのはとても悲しくあります。
だって、今まで自分がやってきたこと、これからやることその全てが偽善であり、自分のエゴだなんて信じられないじゃないですか?
友達との付き合い、恋人、上司、ただの他人その全てとの繋がりがお互いのエゴというなら
「人」ってどんなに寂しい存在なんでしょうね
いや、その考えすらも私に対しての「評価」のためなのかもしれない・・・・
この考えはかなり根拠の欠けた極論であるが、まったく否定できるものでもないと思います。
しかしこれだけではないはずです。
人は確かに「エゴ」なのかもしれないけど、
それだけではないはずです。そんな寂しい存在じゃないはずです。
人と人の繋がりって、生まれた赤子とその母親のように、純粋で温かいものじゃないなのですか?
「人の本性、根底にあるのは」
これからの学生時代あるいは、残りの人生を使ってでも追求してみる価値のあるものじゃないですかね?
てか、私はこれから『これの答えも』見つけていくつもりです。
ただ貪欲に、知識を、真実を追い求める。
知ることが人生。 と私は考えています。