洒落た紅茶屋 -6ページ目

洒落た紅茶屋

自由奔放にのんびりと趣味の話語り



渇望しろ




近くのセブイレについにチリトマトヌードルが入荷してた。

私が一番好きなカップヌードルのチリトマト。うましうまし




今日の一日の前半は

クソみたいに時間損した。言いたいことは分からんでもないが、やるならやるでしっかりやれや阿呆が

なに案の定グダってんだよ、フラグ回収乙!じゃねーよ



おっと、口が悪くなってしまいましたね、自重自重

その代わり、一日の後半は相も変わらず楽しかったらまぁいいや




金が本格的に危機なのに

それ以上に欲しい本がどんどん増えているこの状況




なに?バイトしろってこと?


今ではルイス・キャロルの「不思議な国のアリス」が大好きな私ですが、


実は小さい頃は嫌いでした。




まぁ当然といえば当然だが、小さい頃はディズニーのアリスを視聴、


高校の頃に原作を読みました。






初めてアリスを読んだときは言葉が遊びが面白くて、楽しんで読んでましたけど、


小さいころ、アニメで見た時は、なんか「怖かった」記憶があります。


あれってホラーだっけwwと思われてもしょうがないですが、たしかに不思議な国のアリスに恐怖感を抱いていました。のくせに、定期的に見たくなって、あまり気乗りしないのに見てましたねww






なんでだろう?




不思議な国のアリスの魅力の一つは、「洒落」いわゆるユーモアある言葉遊びと


あの文字通りの「不思議さ」だ


日常にいたアリスがウサギを見つけて追いかけたことにより始まる非日常さ、不思議さ、ファンタジー


これがアリスの魅力であり、また同時に小さい頃の私が恐怖した原因の一つなのだろうか






人は説明できない未知なものに対して恐怖や不安を感じる。(例:幽霊とか、初めてやることとか)


私の場合はあの物語に対して、「今まで自分が蓄えてきた常識が一切通じないという事実」から恐怖感じたのだろう。


またそのことから


今までの経験から見ると、あの完全な非日常さは私にとって「狂気」に感じられたのだろう。


(まぁ確かにあの話はデタラメで、出てくるヤツ全てがイカレてるけども)






自分の常識で説明出来ない+経験から感じる狂気こそがアリスに感じた恐怖感である。


と私は推測する。




また恐怖と同時に、その常識から脱却している狂気に、私は魅了されていたのも事実だろう


もちろん小さい頃の私がそこまで考えてはいないので、完全に無意識のことだろうね




ルイス・キャロルが、9歳か10歳の女の子の「ためだけ」につくったこの話に、


どんな意味を持っていたのか、楽しませるだけが目的だったのか、何か伝えたいメッセージがあったのか


今では分からないが、




話の内容、つくられた経緯からも「異様性」を帯びている作品だと私は感じている。(良も悪くも)






ハンプティ・ダンプティが 塀の上

ハンプティ・ダンプティが おっこちた

王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも

ハンプティを元に 戻せなかった






さぁ、ハンプティ・ダンプティは何かな?

人のことを言えたぎりではないが、

今の大学生はひどい有様である。


親にこんなべら棒に高い金を出してもらっているのに、遊んでばかり、単位が取れればいいと考え、講義も適当

なんのために大学に来ているのか疑問でしょうがない。


まぁレベルが高い大学はそんなことがないのだろうけど、私が通う大学のような場所もあることはたしか

どうしてこうなったのか?

なにが欠けているのか?


「探究心」「向上心」が足りないのが原因の一つと考える。

私のブログを読んでいる人はだいたい知ってると思うが、私の中の大学という場所は「探求心」と「向上心」を満たし伸ばす所だ。有り体に言えば、自分が勉強したいことを勉強する場。


でもそれが足りない。なぜか

その一つが学校を含む「教育」だろう

いわゆるゆとり教育。つめこみ教育がいいとは思わないし、ゆとりがいいとも思えない。

ただ明らかにこのゆとり教育で「競争」ということが失くなった。



最近は小中受験も増えてきて、受験ということが身近になってきてはいるが、私が言いたい競争とはそういうことじゃない。第一私は受験というものに疑問を持っているし、そんなものじゃ人の知識を計ることは出来ない。目安となる学力を計れても、それが教養と=になるとはいいがたい。まぁ一般教養がない私が言っても説得力がないが・・・


話を戻して

競争とは自分以外の誰かと優劣を決めるものである。また自分自身を試すことでもある。他者に負ければ悔しいし、自分の力の低さを知れば情け無いともおもうだろう。しかしそこからじゃあ勝つためには、じゃあよくなるためには、と思案し動き、そして人は成長していく。


しかし、競争がない、みんなが足を揃えて「せーの」の今の教育では

自分を比べることがなくなる。みんな一緒なら、そこから飛び抜ける必要が感じなくなる。それは仲間はずれになることを意味する。他者と自分を比べることをしなくなれば、自分の力量を底から知ることはできない。みんな一緒に歩くなら、成長することも、挑戦することもなくなる。

挑戦しようとしなければ、目標設定もできない。目標設定ができても自分の力量を知らないからすぐ諦める。競い慣れしていないから「結果」を知ること「失敗」することを極度に恐れる。


そうして人に宿る「探究心」と「向上心」という無限のエネルギーが尽きてしまう。


それが今のこの大学の状況を作り出した原因の一つと言えるだろう。


だから変える必要がるし、変わる必要がある。

教育だけではない。日本の政治も経済もだ。

こんな保守的で、現状安住していたら成長なんかしやしないし、むしろ衰退するのは眼に見えている。

世界はどんどん先へ行っているのに、日本は座って見ているだけ

そんなんでどうするんだ、なぜ気付かん


型を破れよ、なんで足を揃える必要がる。なぜ先を行くやつを狂気と見なす。

翼があっても羽ばたかなければ空も飛べんだろうが、いつまで巣にいるつもりなんだ。


だからこその「私は私の戦士をいたわらない」

これはニーチェがツァラトゥストラで言った言葉。

正しく使っている分からないし、独断と偏見だが私は

傷ついてもいい、失敗してもいい、それは必要経費だ。挑め、戦え、進め。と解釈している。

最初から自転車乗れるやつなんていなくて、傷だらけになりながらも練習した時と一緒だな


もっと貪欲にいこう。自分の可能性を信じよう。「探究心」と「向上心」が大きな力になってくれる。

狂気こそが正常であり、その先に自分たちの望むものがある。

そのことを私達は知らないのではない。

「知っていることを知らないのだけで、そのために自分がそれを知らないと思い込んでいるだけなのだ」


と私は考え、想っている。





人に偉そう言える立場ではないのは重々承知。

根拠もなく、主観で、論理性に欠ける。

でもこれは紛れもなく私の考え、現在の私を形成する信念でもある。



みなさんはどうお考えですかね?

これを気に少しでもなにか考えてもらえたらうれしいですね




―では、これにて沈黙

今日の夕飯は

松屋→ミスド 完璧な布陣


ゴールデンチョコレートうまし



夏バテでしょうか、なんか最近体がおかしい

なんか講義中に強烈な睡魔が襲ってきたり

頭痛がしたり



気温も日差しも強いですから気を付けないといけないですね


ドーナッツ化現象があるならその派生で


ポン・デ・ライオン化現象とか

ゴールデンチョコレート化現象とかもあるだろ


と思ったので、それをある講義のレポートテーマにしようかと思っている。

まぁ普通に考えてそんな名前のやつはないけど、


従来のドーナッツ化現象に加え、都市部よりその周りの郊外の消費電力量が多い。という夜の高空写真の様子がゴールデンチョコレートにそっくりな、ゴールデンチョコレート化現象


と自分で決めて、色々調べてみるのは面白いと思った

まぁ資料が集まればの話だけどねー