自由は、責任と同じ意味を持つ言葉。
責任が無い自由などありえない!!!
少なくとも、この世の中
自分ひとりだけが生きてきているわけでもない。
自分ひとりだけで生きているわけでもない。
自分が自身が存在している限りにおいて、
自分というのはその人自身、自分ひとり以外のすべての人こそ、が、自分自身なのです。
故に、自分のことを考えながらの、「世渡り」が必要なのです。
それが平和の原則であり、自我の欲望を実現させることは、自分に対しての暴力でもあります。
それを理解出来る自分を手に入れた時、自身がい、かに解かっていないのかと知ることなる。
その時に人は不安になる。
とてつも無い不安感にさいなまれる。
でも、安心して下さい。
それが普通なんです。
プロセスなんです。
決して、自分自身を否定することではないんですよ!
このプロセスが解かる、
経験がある物者にとっては、大変なことではなく、
それが当たり前のことであって、別に負い目を感じることではないんですよ!!!
それを自分自身の責任として背負ってしまう、
その人の真面目さ。
「自由」と、言う言葉もあるのだから、
どうか、自分自身を追い詰めないで下さい。
自分自身がわかることは、自分自身が経験できたことだけしかない、のだから。
どうか、それがすべてだと思わないでほしい。
どちらにしろ、
それぞれの個人なんて、たいした者ではないのだから...
思いつめた時、
他の人は、どんな者なんだろう?と思って、考えているのだろうか?と。
別にどうってことないんだよ!!!!!!!!!
人は完璧を目指すが、
自分自身を必ずしも解かっているわけでもなく、
完璧を達成できるほどの考え方も出来ていないから。
出来ないからって、悩むことは、無い。
自分を追い詰めて、悩み苦しめるのは、そのくらいにして
「悩み苦しむ」のを楽しもう。
解かっていない自分」自身を知らないで
絶望に自分自身を追い込むのは、
都合の良い自分自身を
「他人に依存した」
その自分自身に甘えている、だけに過ぎない。
少しだけ、
そんな自分自身を受け容れてもいいんじゃないかな。