才能とかなんとかより、
その前に自分の行動を制御する
“脳”の機能をなんとかすることが、
課題だな、とたどり着いている感じです。
「なんたら脳トレ」とかの類ではありません。
鍛えるのではなくて、
緩めるのです。
解放するのです。
もともと目の前にある事が多かったり、
〆切りのプレッシャーがあると、
脳がフリーズしたりロックされたりする性分なのですが、
今は、それが自分でよくわかる。
わかるだけましで、これをコントロールするのが、
課題です。
働かなくなった時は、
発達障害ということで薬を処方してもらったり、
サプリやら、睡眠、エネルギー分配を考えるとか、
試してきましたが、
なんとか“パターン”を作って、
自分で制御できるのが一番。
余計なものを外していく…あるいは、
自己暗示(催眠?)をかけていくわけです。
“謙虚”を美徳とする環境で育ち、
すり込まれてしまいましたが、
“自信”を持つことの良い部分はもっと取り入れるべきでした。
傷や癖が多いのか“達成体験”を重ねる事が、
とても効果的だとも感じています。
でもそれだけでない外界との関わりもこれから考えたい。
ウチの犬は、以前は得意げに階段の上り下りをしていましたが、
プツッと何か回路が変わったのか、
もう登れなくなりました。
何度か抱っこして上ってしまったことか、
一度すべってしまったこととかが原因。
「失敗が傷になって二度とやらない」がわかりやすくって興味深い。
(ただ、大好きなウチの両親が二階に泊まった時は、
一階二階を激しく行ったり来たりできてびっくりしました)
下りは、
私の励ましがあると、たまに降りれたりします。
大丈夫大丈夫となだめ、手をパチンとたたき
『サンはいっ』 と一緒に階段を下りる。
そうすると、降りられる。
私がかけ声を掛けると降りられる…とインプットされると、
脳が少し “できる” を作ってくれます。
あるいは 「大丈夫だよ」と応援する力の凄さでしょうか。
ちゃんと降りられたら、犬を大袈裟に褒めます。
きっと教育も同じでしょう。
絵を描く集中力がないとき、
「この曲をかけると、大丈夫」と言うアルバムがあります。
ザーッと、体内から変わる感じです。
「風呂にはいる」というのも気持ちをキレイにするステップ。
(こういうのを増やす事ですね。)
いきつくところは、修行僧みたいな生活ですかね(笑)
19歳の時に、バイクの中型免許を取りました。
“一本橋”と言うテスト課題があり、
その名の通り、一段高い橋の様な細いラインの上を走るのですが、
練習ではフラットな白線の上を走ります。
その低いラインは何度もクリアできるのに、
同じ幅で高さのあるラインは、
「落ちる」と言うちょっとした恐怖で真っ直ぐ走れない人が多いのです。
単純なものです。
(私は数度やったら、楽々できましたが)
身体の能力でも、
才能の問題でも、
ないのです。
脳が硬直して“GO”を出せなかったらおしまい。
“脱落していくクリエイター”のテーマで言えば、
仕事の問題でも、
金銭の問題でも、
結婚した相手の問題でも、
…ないのではないかな、
だって、
本当は20分でも1時間でもあれば、
作れる作品はあるから。
子育てをしていても、
仕事がハードでも、
本当は関係なくできる可能性があるのです。
(ちなみに私はできんかった類の人です)
私が 人が何か言おうと制作を続けたいと願うのは、
“才能”を戦わせるステージにさえ行かないからです。
欲しいのは、お金でも、名誉でもなく。
自分がそれを出せているかどうか、
自分で判断できる感性は必要ですけど。
人が評価しようとされまいと、
できている時は自分でわかりますから。
できない理由を考えて、理想に近づけていく。
それが60や80になってもいいじゃないですか。
頂いた才能を有難く使える様にすることが、
生の醍醐味ではないかな。
『才能がない』 とは傲慢な話で、
だいたいが、この引き出すための、
脳のコントロール力が原因かなぁと思うのです。
極たまに降りてくるけど、
縮こまっちゃうんだよね。
どうしたらいいものか。