ジャンルがわからない。
ブログネタが思いつかなかった中、メッセージでご提案いただいたので私の完全な独断と偏見による愛の深さランキングを考えました。
ただ、「愛の深さ」だと莫大な文字数になってしまう上にかなり難しく、私の答えに終わりが見えないので、ユリアという縛りで。
「愛の深さランキング」は定年後の楽しみにとっておこうと思う。
その前にまず働かないといけない。
変な私が女目線で思う、個人的に「ユリア愛が深いわ」と思うランキングなので、完全にただの好みです。
どの人が一番ユリア愛が深いかというランキングではない。
ユリア愛ランキング
5位 トキ
トキらしい愛がゆえの5位。トキもこんな所で1位にされたくはないだろうし、きっと5位を望んでいただろう。それくらい彼の愛とは控えめである。
出しゃばらない、主張しない、ただユリアを見守る愛。静かで清らかな流水のような愛。
トキは愛も柔らかい。
だが、それだけが5位の理由ではない。
トキは達観していて、ユリア愛に限らず等しく愛せる男なのである。
自分を殺そうとした者にさえ、せめて安らかに死ぬがよいと有情拳で葬るのだから。
「俺がこの世でただ一人愛した女性だ」と言っていたように、ユリア愛そのものはトキにとって特別なもので深いんだろうけど、どちらかというとユリアより兄ラオウへの想いの方が印象深い。
「ユリア愛」ではなく「ラオウ愛」なら恐らく1、2位を争うほどの強者。
そもそも、弟ケンシロウの婚約者だしトキならそうする(見守るだけ)よなってことで。
4位 ラオウ
3位と僅差だったが、一瞬でも殺そうと血迷ったので減点しました。
結果そんなこと出来なかったし、ラオウのユリア愛が深いのはそれがあったからこそでもあるが。
ラオウとは、拳王となるべく覇道を突き進む北斗の長兄。恐怖の世紀末覇者であり、偉大なる長兄でもあるべきラオウにとって、愛だの恋だのに心を揺さぶられるなどあってはならなかったのだ。
ラオウにとって欲するもの、望みは全て野望でしかない。ユリアもその野望のひとつ。そう思い込んで闘い続けてきた。
だがしかし。
ユリアの健気な姿に枯れたはずの涙が溢れ、ケンシロウに勝つことしか頭になかったラオウが、ユリアを仮死状態にすることで余命を伸ばす。
それは、愛は奪うものではなく与えるものという、「愛とは?」のテッパン回答であり、ラオウ自身、自分の中にある深いユリア愛を認める瞬間だった。
ただ、私はそれ以前のラオウのユリア愛の方が好きかもしれない。
ラオウはユリアのことをこう言っていた。
「誰を愛そうがどんなに汚れようがかまわぬ
最後にこのラオウの横におればよい」
ケンシロウを愛していようが関係ない、ただそばにいればいいだなんて、要約すると「愛してる」である。
ラオウなら殺りかねないと皆がユリアを守っていたが、多分ラオウをよく知る者はそうは思ってなかっただろう。
というかラオウ自信、ユリアだけでなくトキやケンシロウ、カイオウに対しても愛が深いのだ。ラオウの場合は愛を見失っていたのではなく、愛を否定しているのでもなく、それが愛だと知らなかっただけ。
「このラオウ、いまだ愛を知らぬ ゆえに哀しみが見えぬ」なんて言ってはいたが、わかってないだけで知らないはずがない。
確かに厳しいし、恐い。
私は「最上級の恐怖」を表すときに「ラオウレベル」と使うのだがまあまあ伝わる(世代による)くらい、ラオウって恐い。
だけど、あの無抵抗主義の村で少年に対して言い放ったことも、愛の深さゆえ。優しさだけが愛ではないということを教えてくれた、男らしい愛である。
ただ、拳王様はこのランキングにランクインし、しかも4位などお気に召さないだろう。
バレたら私はウサのように滅殺されるだろう。
3位 ケンシロウ
ユリアの婚約者のケンシロウが何故3位なのか。
理由は2つ。
ユリアに限らずとにかく愛が深いことと、2位と1位の人のユリア愛が強烈だからである。
誰よりもユリアに相応しいユリア愛を持ってはいるが、このランキングは誰が本当の意味でユリアを愛していたかを競うものではない。
そんなもん全員だし、純粋にただ心から愛してるだけじゃ1位にはなれないのがこのランキングである。
2位 シン
ユリア愛と言えばシン、シンと言えばユリア愛というほど、ユリア愛の人、シン。
ユリアが一番拒んでいた相手ではあるが、私的にシンのユリア愛の深さは尊敬するレベル。
プライドが高いというかケンシロウへの嫉妬なのかなんなのか、愛し方はかなり間違えた。
そんなんじゃ女の心は動かないよと小学生の私でもわかった。
だが、大人になるにつれ、シンのユリア愛の深さに「ある意味極めてるな」と思うようになり、今となってはユリアが拒んでいたことなどもうどうでもいい。
シンのユリア愛は誰がなんと言おうと美しいのである。
シンにとってのユリア愛とはシン自身の生きる糧であり、ユリアを愛するために生まれたと言っても過言ではないのだ。
ユリア愛だけで、ユリアを守るためのあらゆる力を手に入れたシン。
結果的に、こんな町も富も名声も権力もむなしいだけになったが、その間ユリアを守れていたことは確か。
シンが守れるならケンシロウにも守れるだろうし、ユリアにとっては例え死んでもケンシロウのそばの方がいいのだろうけど。
忘れないで欲しい。
シンがユリアの為だけにたった一年で関東一円を支配し、街まで作ったことを。
そのせいで自殺へ追いやったのだが、その責任もありユリア殺しの悪名をあえてかぶることで、死んでもなおユリアを守り続けたことを。
それもこれも全てはユリアのため。
そもそも、ユリア強奪がなければあの結末は有り得なかった。
ケンシロウが強くなったのも、ラオウが偉大なる長兄としてこの世を去ったのも、何よりユリアが余生を穏やかに過ごせたのも、そもそもはシン様のおかげ。
こんなこと一体誰にできただろう。
それに、ケンシロウとの過酷な旅を続けていたら、もしかしたら死期が早まっていたかもしれない。
あんな黄砂の中、ろくに水も飲めないなんて病状が悪化してもおかしくないし、もしかしたらシンがメディスンシティから全ての薬を買い取って飲ませていたかもしれない。知らんけど。
シンというストレスは大きかったにしろ、栄養満点の食事が与えられ、空気の綺麗な場所で快適な生活が送れていたことは確か。
まぁ…もう1回言うけどそれでもユリアはケンシロウのそばの方がいいんだろうけどな。
ただ、結果的には奪った幸せ以上の素晴らしい未来をシンはユリアに与えた。
自殺(未遂)するほど追い詰めてしい、その想いが報われることはなかったが、シンにとってはユリアが全てだったことは事実である。
1位 ジュウザ
ダントツです。独断と偏見でダントツです。
ユリア視点ではないから、これ。私視点だから、これ。もうダントツ。
理由は一つ。自由だから。
(??)
幸せの定義なんて人それぞれとは言うが、私は幸せとは愛と自由の獲得だと思っている。愛と自由が全てを生み出す。お金も。
愛と自由とは、知らないという不自由さからの解放なのである。
ジュウザには、我流の拳を極める天賦の才がある。それは己を知ることにあり、自由意志の解放でもある。
要は、
こういうこと。
自己実現に至ったジュウザには、ユリアが全てだという意志と愛、つまりは究極のユリア愛が存在しているのだ。
そしてこれはブレない。ブレようがない。
誰よりもユリアを愛している、誰よりもユリアの幸せを願っている。これを誰よりも自分自身が知っている。
だからこそ、ユリアに命をかけれるのである。
「将よ…あんたに会った時からこの命
ないものと思っていた…」
これがジュウザの生き方であり、ジュウザがユリアに与える愛である。
ユリアが望んでいようがいようまいが、ジュウザはラオウとの闘いを選択するだろう。ユリアのためというよりは、ユリアの幸せを願う自分の意志だからだ。
更には、ユリアが愛するケンシロウがどういう男なのかというのも、自分の目で確かめにいった。
ユリアが選んだ男なのだから大体わかってはいたが、ケンシロウを知るのは死を覚悟するにあたって重要。
そして実際、ジュウザは負けを認め覚悟を決めた。
ジュウザのユリア愛は深いが、それ以上にケンシロウが愛そのものってくらい愛深き男だったからである。
愛する女の幸せを願い、二度も身を引いたジュウザ。彼は最後まで自分の自由意志を貫き、愛に生きた男なのである。
ジュウザのこととなるとどうもおかしな方向へ行ってしまう癖があるので、無理矢理ユリア愛に引っ張った感は否めない。
だが、私の中では誰がなんと言おうと、ジュウザのユリア愛が一番かっこいい。
というかジュウザがかっこいいのってそもそもそこなんですよ。天賦の才を持ち我流の拳を極め、あのラオウの手に負えないほどの自由気まま、好き勝手生きるあのジュウザが、一人の女に命をかけるという所。
あのラオウが泣いた、あのケンシロウが病んだ。あの
ジュウザがユリアのためには動いた。
そういうとこ。
おまけ
ちなみにだが、この5人の中でユリアを笑顔にしたのはケンシロウとジュウザのみ。
(確かめてないので違ったらごめんなさい。)
ラオウにもユリアは笑いかけていたが、あれはラオウが笑顔にしたのではなく、ユリアが無邪気に笑っていただけ。
そう考えるとやっぱりジュウザのユリア愛はケンシロウと同じく「幸せを願う愛情」で、幸せにしたい、幸せでいてほしいという気持ちがあらわらている。
そう言えばシンは死ぬまでに一度でもユリアに笑ってもらえたことがあったのだろうか…。
そんなこと考えてたら切なくて寝れません。