とあるブログを拝見していると、
健聴者が、聴覚障がい者へのサポートについて書いていることに対して、
聴覚障がい者の方が意見をしている記事がありました。
内容の一部を要約すると、
①健聴者の方が、
『手話通訳をしたり、要約筆記が行われたりするのを見ると、そうか彼らは聴覚障害者なのだと認識できる。彼らはコミュニケーションの障害なのだから、その面での手助けが必要なのだ』
と述べていて、それに対し、
②聴覚障がいをお持ちの方が、
『手話通訳が必要なのは常にろう者側でなく、その場でコミュニケーションを取ろうとする双方側、つまり、手話を話す人(ろう者)と音声日本語を話す人(聴者)だということを忘れてはいけない。手話通訳の世界に限らず、音声言語通訳にも同様のことがいわれている。通訳が必要なのは常にマイノリティ側だという考えから脱してもらいたい。』
と返しています。
これも一つの視点の違い、及び視野の問題だと思います。
①の方に悪気はないんでしょうが、②の方々からみると、「一方的な見方だ」、「考えが足りない」ということになったんでしょう。
このようなやり取りを見ていて、色々と考えていました。
現在、採用の現場では、障がい者の方について、
「必要な配慮はありますか?」
と聞きます。もちろん、長く働いて、かつ、活躍してもらうためです。
ただ、もしかすると、「配慮」という言葉は、一方に少し負い目を感じさせてしまったり、あるいは、もう一方に何かをしてあげないといけないっていう気持ちに繋がってしまう側面もあるのかな、という気もしました。
・・・・
難しく考えすぎか??
結局のところ、
「一緒に」に何かするにあたり「お互いに」気をつけることは何ですか?
っていうことなんやと思います。
「人」対「人」なんやから。
基本的に、根っから悪い人なんておらへんねやし、シンプルにいきたいっすね!