……ねぇ 今日ちょっと無気力じゃない?

ちょっと座りなさい

どうしたの?

……え?
あぁ そう
毎日それなりに仕事頑張ってるのに
手応えがなくて

前よりできるようになった気もしないし
評価されてる感じもしない

「私 全然前に進んでないんじゃないか」
そんな気持ちが
じわじわ来てるのね

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ねぇ 慧能〈えのう〉さんの話 

聞いてみる?

昔ね
仏教の世界で
ちょっと変わった立ち位置の

慧能さんって人がいたの

この人ね
最初から優秀だったわけでも
修行エリートだったわけでもない

貧しい身分から

悟りを目指した側だった

そんな慧能さんが
こんな言葉を残してるの
 

悟りは漸しばら〉くにあらず

〈とん〉なり

---

今の言葉にすると こういうこと

「漸く」っていうのは
少しずつ積み上げるって意味

慧能さんはね
悟りは階段みたいに
一段ずつ上がるもんじゃない
って言ったの

ある日いきなり
「あ そういうことか」
って気づく瞬間が来る

その前は
進んでないように見えるだけ

---

これ 今のあなたに当てはまらない?

毎日やってることが
全部バラバラに見えて

意味があるのか分からないし
成長してる実感もない

でもね
慧能さんの言い方を借りるなら
まだ「気づく前」なだけ

積み上がってないんじゃない
まとまって見えてないだけなの

---
前に進んでないように感じる時期って
いちばん力が溜まってるの

焦って
「もっとやらなきゃ」
って自分を追い込むより

「今は準備中なんだな」
って思ってあげなさい

気づく瞬間って案外
努力してる本人が
一番遅く気づくものよ

---

今日はさ
成長を実感できなくてもいい日

ちゃんと頑張ってる人ほど
自分に厳しいんだから

**これでも食べて 元気出しなさい**

ポケットに入れたらだめよ 粉々になるから

 

 

進んでないんじゃない
気づく前なだけよ

 

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慧能禅師(えのうぜんじ 638-713)は

 

中国禅宗の第六祖で

 

禅宗史上最も重要な人物の一人です

 

貧しい薪売りの出身で文字が読めませんでしたが

 

『金剛経』を聞いて悟りを開きました

 

第五祖弘忍のもとで修行し

 

「本来無一物」という偈で深い悟りを示して

 

後継者に選ばれました

 

「頓悟(とんご)」つまり悟りは一瞬で開けると説き

 

南宗禅の祖となりました

 

その教えは『六祖壇経』にまとめられ

 

後の禅宗に決定的な影響を与えました

 

日本の禅宗も慧能の系統を受け継いでいます

 

 

 

 

 

……あら、なんか元気ない顔してるわね

ねぇ、
ちょっとこっち来なさい。

どうしたの?

……え?
あぁ、そうか。
また続かなかったのね。

ダイエット。

 

三日くらいで止まっちゃって、
「私って意志が弱いなぁ」
って、しょんぼりしてる感じ。

ねぇ、阿難って人の話、聞く?

昔ね、
お釈迦さまのそばに
いつもくっついてた人がいるの。

阿難
っていう人。

この人、
話を聞くのはめちゃくちゃ得意で、
覚えるのも上手。

周りから見たら
「できる人」だったのよ。

でもね、
悟るのは……
わりと遅かった。

みんなが先に進んでく中で、
阿難だけ
「あれ?まだ?」
みたいな立ち位置。

そんな阿難が言った言葉が、これ

聞きて行ぜざれば

聞かざるに同じ

ちょっと固いけど、
意味はシンプル。

今の言葉にするとね

「聞いただけで終わってたら、
まだ途中だよ」
ってくらいの感じ。



阿難は、
「自分はダメだ」
なんて言ってない。

「そっか、俺
お釈迦様の話

聞いてただけだったな」
って、気づいただけ。

それだけ。

これ、今のあなたも同じじゃない?

三日坊主になるたびに、
「私は意志が弱い」
って思ってるけど。

阿難だって、
話はいっぱい聞いてたし、
分かってたつもりだった。

でも、
できるようになるまで
時間かかっただけ。


続かなかった=失敗、
じゃないのよ。


「まだ途中だった」
それだけ。

やめちゃった日があっても、
思い出した日に
またちょっとやればいい。


今日はさ、
自分に×つけるのやめなさい。

また気が向いたら、
その続きでいいの。

これでも飲んで、元気出しなさい。

選べるって素敵よね。

 

 

 


三日坊主ってね、
始めた人にしか
つかない称号だから。

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阿難尊者(アーナンダ)は釈迦の十大弟子の一人で

 

釈迦の従弟にあたります

 

25年間

 

釈迦の側近として仕えました

 

記憶力が抜群で「多聞第一」と称され

 

釈迦の教えをすべて暗記していました

 

釈迦の入滅後

 

第一回仏典結集で経典の編纂に

 

中心的な役割を果たし

 

「如是我聞(このように私は聞いた)」

 

という言葉で多くの経典を伝えました

 

穏やかで優しい人柄で

 

女性の出家を釈迦に

願い出たことでも知られています

 

仏教の教えを後世に伝えた功労者です

 

 

 

 

さっきからスマホ見てるけど、
手が止まったまま。


難しい顔して

どうしたの?

 

……え?
あぁ……そう。


選択肢はいくつかあるのに、
「どれが正解か」ばっかり考えて、
結局、何も決められないのね。

 

間違えたらどうしよう。


失敗したら取り返しつかない。

 

「間違えたら終わり」
 

そんな言葉が、
頭の中でエンドレスワルツ。


ねぇ、龍樹さんの話、してもいい?

昔ね、
仏教の考え方を
根っこから掘り下げた人がいるの。

 

龍樹さん
っていう人。

 

この人、
白か黒か、正しいか間違いか、


そうやって決めたがる人の考えを、
ごっそり崩した人なの。

 

そんな龍樹さんが、
こんな言葉を残してる。

「空を知らざる者は、仏法を知らず」

 

「空」っていうのはね、
むずかしい言葉だけど、
一言で言うとこう。

 

最初から“これが正解”って
決まってるものなんて、ない

ってこと。

 

成功も、失敗も、
正解も、不正解も、


あとからそう呼ばれてるだけ。

 

選ぶ前から
「これは間違い」
なんて、
本当は決まってないのよ。

 

動けなくなってる原因はね、


能力でも、勇気のなさでもない。

 

選択に“実体”を持たせすぎてるだけ。

 

この道を選んだら成功。
こっちは失敗。
一度ミスったら終わり。

 

そんな重たい札を、
全部の選択に貼ってるから、
足が動かなくなるの。

 

間違えたら終わり、じゃない。


間違えたって、修正できる

 

というかね、
やってみてから
「思ってたのと違った」って気づくのが、
普通なの。

 

正解はね、
決めてから動くものじゃない。


動いたあとに、育っていくものよ。

 

今日はさ、
人生の正解を出さなくていい。

 

小さく一歩、
軽い選択でいい。

 

考えすぎた日は、
頭も心もエネルギー切れなの。

 

これでも食べて、元気出しなさい。

甘じょっぱくて いい感じよ。

 

 

 

動けなかった日があっても、
それで終わりにはならないから。

 

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竜樹菩薩〈ナーガールジュナ〉

 

(150-250年頃)は

 

古代インドの仏教僧で

 

大乗仏教を代表する思想家です。

 

「空(くう)」の思想を深め

 

すべてのものは関係性の中で成り立ち

 

固定的な実体はないと説きました。

 

『中論』などの著作を通じて

 

仏教哲学の基礎を築きました。

 

その教えは中国や日本にも伝わり

 

多くの宗派に影響を与えました。