「もう駄目・・・限界」




五分刻みに「熱い」「死ぬ」「無理」をしつこく繰り返していた敏弥が


とうとう本格的に根を上げ、ひょろ長い痩躯を丸めて地面に座り込んだ。




こんなところで休んでいる暇は無いのだと文句をぶつけてやろうかとも思ったが


もとより熱さに弱い彼にとってこの状況は少し酷ではないかと考えを改め


脳天に照りつけるオレンジに熟れた太陽を苦々しく睨み付けてため息を吐いた。




「分かった。ちょっと休憩しよっか」


「ううー・・・・」


「ほら、そっちの木陰入って。こんなトコに座ってたら干からびるよ」




もう一歩も動けない、とか何とかぐちぐちと零しながらも


這いずるようにして目と鼻の先にあった木陰に身を寄せる敏弥。



10分だけだからね、と念を押すが果たして聞こえているのどうかも定かではない。


ぐったりと木の幹に背を凭れている敏弥の横に腰を据え


これから先まだまだ歩き続けなければいけない道の先を恨めしげに眺める。


空気中の熱が集まって、細い一本道の先はゆらゆらと蜃気楼のようにたゆたっていた。




それにしても、暑い。


これでは、敏弥がバテるのも仕方が無いか。


現に私でさえ、日の光をたっぷりと吸い込んだ身体はじくじくと内側から湧き上がるような熱に火照り


全身に玉のような汗粒が噴き出しているのだから。




「・・敏弥」



すっかり青白い顔をしている彼の前髪をそっと掻き揚げる。


さらさらと指先で踊る毛先を指の腹で弄んでいると


薄く瞼を持ち上げた男は、ゆっくりとこちらに目玉だけを寄越した。



黄金色にも近いガラス玉を嵌め込んだような瞳。


白い肌はまるで血の通わない人形のよう。


この暑さの中、汗の一筋も流れていないその異様な風体に


全く違和感を抱かなくなってしまったのはいつからだろうか。




「平気?」


「・・・、じゃないかも」


「だから夕方から夜に移動しようって言ってるのに」


「夜は眠いから無理」


「・・・あんたね、それでも一端の吸血鬼?笑われるよ?」


「誰にだよ」




そう、敏弥は普通の人間ではない。


世間一般では吸血鬼、と呼ばれる忌むべき存在。


家畜を殺し、人を襲う生きた死体。



それなのに、この男ときたら。


日の光は別に平気だし、十字架なんか屁とも感じちゃいない。



とことん、常識の範疇から逸脱した人物なのである。



さらに極めつけといえば。






「はいはい、そんだけ喋れるなら大丈夫だよね?もう行くよ」




夕方までに次の町に到着できなければ、また硬い地面の上で惨めに野宿だ。


それだけは避けたい。安宿の貧相なベッドでも構わないから屋根の下で眠りたい。



恨みがましくこちらを睨んでいる敏弥を綺麗に無視して立ち上がろうとすると


ふいに右腕を強く引かれて中途半端な体制から盛大に尻餅をつくはめになった。


カラカラに干からびた地面からせり出した太い木の根に腰骨をしたたかに打ち付けてしまい


思わず眉根に深く皺を刻み顔を歪めた。



「ちょっ・・・・と、痛っいなあ!」




思わず大声で文句を浴びせるが、敏弥はまったく悪びれる様子もなく


倒れた私の上に圧し掛かってきた。


掴んだ右腕はそのままに、彼は透き通った目で私を見下ろしている。




「何・・?」


「言ったっしょ、流石に限界。三日以上食事してないし」


「はぁ?!・・ちょ、こんな往来で・・冗談・・」




ひく、と引きつる私の表情を他所に敏弥は至極涼しげな笑みを浮かべていた。




「大丈夫、誰もいないし」


「ま、待っ――――」




待って、といい終わるよりも先に敏弥の冷たい舌が左の首筋をべろりと舐め上げた。


まるで消毒を施すかのように何度か同じ場所を行き来した舌が離れると


今度は鋭利な針のような感触が皮膚の表面に突き刺さる。


不思議と痛くはないが、耳元に響く“何か”を啜りあげる音と


それに伴ってすう、と頭のてっぺんから冷たく冷えていくような感覚だけは未だに慣れない。




「ふ・・、敏・・・・!」




まずい。


血の気が失せていって、ぼう、と視界に薄靄がかかり始めたところで


慌てて敏弥の身体を引き剥がしにかかる。


この時ばかりは、持てる力と気力の全てを総動員させて


この図体のデカい男を跳ね飛ばすしか生きながらえる方法はない。



三日ぶり、ともなれば自然と摂取量も多くなる。


大量に血気を抜かれれば・・干からびるのは私の方。


だから嫌なんだ。




話は少し前後するけれど。


敏弥の吸血鬼らしからぬ所以。



この男は血が嫌いなのだ。




だから人を襲わない。


ほとんどと言って良いほど、血をとりたがらない。



かといって人も獣も魔性の者にも沸き起こる生理的欲求・・食欲が無い訳ではない。


空腹だって感じる。


敏弥は、それを無理やり抑え込んでいるに過ぎないのだ。



私の血は、何故か彼にとって至極口にしやすいものらしいけれど。


それでも、毎日の食事のように摂取したがる事はなかった。





だから、彼は基本的にいつだって餓えている。




そもそも、私と敏弥のこの奇縁だって


ほとんど干からびて骨と皮の塊みたいになっていた彼を


気まぐれに拾ってやった所から始まったのだから。














「ごちそーさま」




腹は満たされど、自分が嫌悪するものをたらふく摂取した彼は


苦々しい表情を浮かべながらも律儀にそう一言添えて私を解放した。




不快感をあらわにしたような顔でそんな事言われても・・といっそ殺意すら沸くが


言い争うだけの気力も体力も残っていなかった私は


薄く血の滲んだ噛み傷を掌で抑えつつ


くらくら揺れる頭を木の幹に預けて力なく溜め息を吐いた。






「毎回毎回一気にがっつかないでよ・・身がもたない」



「あんな生臭いモンこまめに摂取したくねーよ」



「あんた私に喧嘩売ってんの?いっそ、そのまま干からびて死んでください」



「ひでえ!俺がいなきゃ困るのはお前だろ?!」



「別に一人でもやってけるしー・・・」








ずっと、一人でやってきたのだ。




親はいない。周りは奇異の目で私を見る。



腫れ物を扱うような接し方にもいつしか慣れてしまった。





流れるように放浪しながら



私は、私の中に流れる血と戦う。








ダンピール。



それが私の忌み名。








「ほんと、可愛くないんだから」






至極不満げにそうぼやくと、彼は私の首筋に残された傷跡にそっと指先で触れた。



真新しい傷は、ひりひりとほんの僅かな痛みでその存在を主張している。






「ま、それでも」






何の温度も感じない指がすっと離れたかと思うと



その跡をたどるように、敏弥が薄い唇を寄せそっと口付けを残した。



指と同じように、冷たさすら感じさせるような不思議な感触。






「この傷と、血が在る限り俺の契約者は永遠にお前だよ」







ダンピール、とは



吸血鬼を廃する能力を備えた人間を示す言葉。




けれど、何のことはない。



それは正義の味方でも、民衆間から生まれた勇者でもないのだ。




それらの体内に流れる血の半分は、吸血鬼のもの。



だから敏弥に血を吸われた所で、私自身が自我を失い化け物と化す事はない。





私は元々が人と魔の混じり物なのだ。




それ故、恐れられ迫害の対象ともなる。




吸血鬼からも、人の側からも。













「一人にはしないから」








この妙に人間臭さを残した人外の生き物と



人の範疇にありながら、呪われた血を身体に宿す私。






バケモノ、は



一体どっちなのだろう?
























* * 隙間を埋めるもの * *



またパラレル・・。

オブスのPVより生まれた産物。あの敏弥綺麗だよね。



こんな姿になって改めて気付いた事がある。








****





「おら、お前のメシはこっちやで」




食卓に並ぶインスタントのラーメンを椅子の上でじっと見つめていたら

首根っこを掴まれて床に下ろされてしまった。


目の前に置かれた浅いお皿には乳白色の液体。

ぬるく暖められたそれを見て、非難がましく一声鳴いてやる。



にゃーん

(不通のご飯が食べたいんですけどー)



そう。

猫の姿になってから、人間のご飯なんて食べてない。

流石にキャットフード食べる勇気はなくて

ずっと何も食べずにいたら、薫は気を効かせて(?)ミルクをくれるようになった。


でもこんな液体ばっかの毎日じゃ

いい加減お腹空いて死んじゃう・・・・。



「おー、そーかそーか。嬉しいかー(棒読み)」


にゃーん!

(違うっつーの!)


「黙って食べーや」





だめだ。

猫嫌いな薫がエサくれるだけ良しとしよう(哀愁)




猫の姿に成り変わって早くも2週間。

私の姿が無いというのに薫は淡々と毎日をこなしている。


部屋ではギター弄ってばっかだし

夜中遅くにお酒の匂いプンプンさせて帰ってくる事なんてザラ。


私の存在って一体・・・。




「うまいか?」




何だか考えていたらちょっと悲しくなったけど

猫は涙なんか流せないように身体のつくりが出来上がっている。


しぶしぶ、目の前に並々注がれたミルクを舐め始めると

頭上から薫の声が降ってきた。


そう、この姿になって改めて気付いた。




この人は、愛情表現が下手なのだと。


猫は嫌いだと豪語していた彼のことだ。

私だと気付く間もなく、外にほっぽり出されて終わりだと思っていたけれど

気付けば専用のトイレの砂から、ふかふかの寝床、犬猫用のミルクまで

いたれりつくせりといった感じに、私の身の回りの世話を焼いてくれている。


直接撫でたりはあまりしてくれないけれど

毎日、ミルクの皿を目の前に置くと

私が飲み終わるまで横でじっと見ている。


そして時折、「うまいか?」とか「零すなよ」とか何と無しに声をかけてくるのだ。



つまり、ツンデレなのよねこの人。




そう言えば、人間の姿をしていた頃

アタシはよく、薫にこう問いかけた気がする。



「愛してる?」



その答えを強要しようとしていた。


なんて頭の悪い女だろうと、自分で自分に嫌気がさす。

言葉になんかしなくても、私は沢山の愛を受けていたのに。

それに気付かなかったワケじゃないのに。


何故、言葉に出させることにあんなに執着していたのだろう。





優しい口付けも

柔らかく髪を撫でてくれる指も


全てが叶わなくなってやっと気付くなんて。






「・・何やねん、お前」



空になった皿を片付けようと差し出された彼の指に頭を擦りつけ

流せぬ涙の代わりに、弱く鳴き声を上げて薫を見上げた。















* * セピア * *










「なー、コレ誰か貰ってくれへん?」



バッグに敷き詰めたタオルに爪を立ててしがみついているそいつの首根っこを掴み

無理矢理引っ張り出すと、テーブルの上に乱暴に放りやった。



「えー何なに、何かくれんの?」



お菓子でも貰えると思ったんか、目をキラキラさせた敏弥は

キョロキョロと辺りを見渡す小さな毛の塊を見ると益々瞳を輝かせた。



「猫っ?!」

「薫くんが拾うたん?」



堕威も興味津々とばかりに、指先で子猫をじゃらしはじめた。



「・・ちゃうわ」

「だよね。薫くんって動物嫌いじゃん」

「あ!じゃあ彼女が・・・・・って!」



ニヤ~っと嫌な笑みを浮かべた堕威の赤毛をばしっとしばく。



「・・・・ったいなー;」



アイツが俺の目の前から姿を消してもう1週間。

・・・・・1週間や。

荷物も、大事にしていた指輪も、こんなチビ猫まで

何もかも残して、俺の前からふっと消えおった。



「・・コーヒー買ってくるわ」



自分自身で思っていたより、俺は相当参っているようだ。

アイツの名前を出されそうになっただけで、こんなにも心が乱れる。

曲を作っていても、ベッドで一人眠っていても

そう、何をしていてもアイツの面影にどうしようもなく胸が締め付けられる。


俺は逃げるように楽屋を後にした。




****




「はー、恐っ。・・珍しく荒れてるねぇ」

「何、薫くん彼女と上手くいっとらんの?」

「え?!堕威くん知らねーの?薫くんの彼女・・・」



部屋を出ていく薫の背中を追いかけようと

慌ててテーブルから飛び降りる。


子猫の姿になって、早1週間。この身体にも大分慣れてきた。

最初のウチは上手くいかなかった爪の出し入れの仕方もやっと覚えて

爪とぎも随分と上手になったし(うっかり壁でやると怒られるけど)

綺麗に丸まってぬくぬく眠る方法だって覚えた。

高いところからのジャンプだって最初は恐かったけど今では・・・。



「いっ・・・・!」



いつもなら音もなく綺麗に床に着地できるのに、今回は何故かダメだった。

勢い良く膝を打ち付けて、思わず苦痛にうめく。

赤くなった膝を掌で撫で・・・・・って



「っ・・・戻って、る・・・・?」



5本の指に二本の足。懐かしい人間の足。

呆然と全身を眺めていると、アタシの声に気付いたのか

ひょい、と敏弥くんがテーブルの下を覗き込んだ。



「っ・・・・・?!!」

「とっ・・・・敏っ・・」



絶句する彼とバチン、と目があってアタシは慌てて体を小さく丸めた。

何を隠そう、いや・・隠すものも無いほどに、今の私はすっぽんぽん。

そりゃ、猫は毛皮があるから良いけどね。

人間に戻った私は見事に全裸だった。



「だ、堕威くん・・ちょっと!!」

「んー?」

「・・そこのカーテン持ってきて!」

「カーテン??」

「いーから!適当にはがして持ってきて!」



敏弥くんは、はっと我に返ったのか

数秒の静止の後、慌てて顔を背けると堕威くんに向かってなにやら叫んだ。

堕威くんはワケも分からず、しかし物凄い剣幕の敏弥くんに気押されて

厚手の生地のカーテンを乱暴に引き剥がし

くるくると丸め、敏弥くんに投げつけた。


アタシはといえば、膝を抱えて小さくなったまま

この状況を何といって説明するべきか

その言葉をひたすら頭の中に巡らせていた。




****




「・・・あんま見てないよ、多分(苦笑)」



真っ赤になって俯くアタシを気遣いつつ

敏弥くんはそんなようなことを呟いて

ベージュ色のカーテンでアタシの身体をすっぽりと覆ってくれた。



「嘘や、絶対嘘やろお前」

「やー、良かったね。第一発見者が赤いエロスな人じゃなくて」

「男はみんなエロスの塊です」(断言)

「(無視)・・・・で、何でこんな事に?」



思いの外、冷静な二人に囲まれてソファに移動した。


何で・・と言われた所で正直、困ってしまう。

自分でも、何故こんな状況に陥っているのかサッパリ分からないのだから

説明や弁明の余地もなく、ただ首を捻るしかなかった。



「分からないんだよね。気付いたら猫の姿になっちゃってて・・

薫は私だって気付いてないみたいだし・・逆に気付かれてもアレだけど」



薫の事だから、変に気を使うに決まっている。

人間のアタシが居なくなって、少なからず落ち込んでくれているみたいだけど

彼女が猫の姿に変わってしまった、なんて

それこそ神経質な薫に耐えられる筈ない。

この二人ほど柔軟な頭を持ち合わせているとも思えないし・・。


アタシが言葉に詰まって、くしゃくしゃになったカーテンの裾から覗く

久しぶりに見る二本足に視線を落していると

遠く廊下の向こうから何やら話し声が近付いてきたのが分かった。



「あ、薫くん戻ってきたんじゃね?」

「とりあえず、事情説明して・・・・。

こんなん見られたら、俺ら誤解されるやろうしな(苦笑)」



堕威くんの言葉に、アタシは首を横に振った。



「いいよ、また喧嘩になるだけな気がするし・・・。

猫になってたなんて言ったら、それこそ頭オカシイ子だと思われちゃう;」

「せやけど・・・・」

「いいから、言わなくてい――――――」



ドアの向こうで微かに聞こえる笑い声。

薫と・・・京くん、かな?

ドアノブがゆっくりと動いて、薫がひょいと部屋に顔を出した。



「・・・・・何しとんの、お前ら」



久しぶりにアタシの顔を見たらなんて言うかな、なんて淡い期待もどこへやら

何とも素っ気無い言葉にうな垂れると

アタシの両目に映った膝はまた毛むくじゃら。


・・って、また猫に戻ってる?!!



「おー!誰の?誰の猫?」



京くんが足早に近付いてきて、アタシの身体をひょいと抱き上げた。

アタシはがっくり落胆。

高みから見下ろした堕威くんと敏弥くんは

目をまん丸にして猫の姿に戻ったアタシを眺めている。



「・・・・・・なぁ、俺ら夢でも見とんのか?」

「・・何なら往復ビンタでもプレゼントしよっか?」

「・・・・・遠慮しとくわ」



ソファの上で丸まったカーテン(無理矢理引き剥がしたやつ)を見つかって

薫とマネージャーさんにこっぴどく怒られた敏弥くんと堕威くん。

はたから見れば、いい年こいて猫とじゃれついて

ハメを外し部屋を荒らしたかのように見えたのだろう。


京くんの腕の中に収まったままのアタシの姿を

何か物言いた気に眺める敏弥くんに向かって

小さく小さく一声鳴いて、彼のその言葉を封じた。









* * 相 談 * *



「ねえ、薫はアタシのこと好き?」



年月が恋の熱を冷ますとは思わない

月日を重ねれば愛がより育まれるとも思わない


恋愛にも人生にも

絶対なんて言葉はきっと存在しえない

永遠も、不変もどこにも無い


だから、不安になるんだよ。

だから、形だけでもそれを示して欲しいんだよ。



どうして分かってくれないの?






「ねえ、愛してるって言って?」

「・・・・は?何言うとるん。今更」

「だって、薫の口から聞いたことないもん」

「そんなん口で言わなくても分かってるやろ」



口にしたら安っぽくなる気がして

この胸の中にある君への想いを形にする事ができなかった。

どれだけ沢山の言葉を並べたって

君のことを想うこの気持ちを表現しきる事なんて、きっとできない。


だから、言わない。


窒息するほど抱き締めて

眩暈がするほど口付けて

溶け合ってしまうほどに身体を重ねた。


俺の存在全てで君に想いを伝えられると。




「何で言ってくれないの?」

「俺がそんなん言ったって寒いだけやん」

「・・・・・・・・もういい」




例えば天に神様がいるのならば。



これは薫を困らせたアタシへの罰?

それとも彼女を悲しませた俺への罰?




一体、何の意味があって


今こんな状況になっているのだろう。




****




「おーい、・・・・っかしーな。どこ行ったんや?」



薫と些細な口喧嘩をした後、どうやらアタシはソファの後ろ

いつもの定位置にうずくまったまま眠りに落ちていたようだった。

ふと頭上で薫の声がしたので、はっと意識を覚醒させたアタシは

思いっきり彼の顔を睨み上げてやった。


いつもだったら、困ったように笑った薫に宥められて仲直り

・・・・・・できる筈だったのに。



「うっわ!何やお前・・・!!」



ひょいと首根っこを掴まれて、薫の眼前にブラ下げられた。

ん・・・?首根っこ??



「あいつ・・俺に隠れてこんなモンまで拾ってきてたんか・・。

っとに・・自分の面倒もマトモに見れへんくせに・・しょーもない」



思わずむかっと来て抗議の言葉を吐き出したが

それはまともな文句にならなかった。



「ぶにゃー!!!!」



にゃー?!


思わずぎょっとしてぶら下げられた足元を見る。

そう言えば、宙吊りにされている位置は信じられない程高い。

慌ててブラブラ揺れる足元を見た。


しましまの靴下を履いたような毛むくじゃらの足。

両足の間でくりんと丸まった、同じく縞模様の尻尾が左右に小さく揺れている。


首の皮を摘まれて身体を持ち上げられているのに、まったく痛くない。

混乱に乗じてしなやかな身を捻ると、薫の手からするりと抜けた身体は

遥か下のフローリングへ華麗に着地。

柔らかいクッション付きの靴下を履いているみたいに、別段足に痛みもない。


これはどう見ても・・。

猫、ですよね。



「あーあー、毛ぇ散るから暴れんなや」



薫はあからさまに嫌そうな顔をしてアタシをつま先でしっしと追い払った。

多分薫にとっては何気なく足先でつついた程度なのだろう。

しかし、小さな身体をした猫の目線で見ると

物凄い勢いで大木が飛んでくるぐらいの勢いがあって恐い。

慌ててソファの下の隙間に逃げ込んで、薄暗い空間で再度自分の身体をチェック。


鏡は無いけど、あまり器用に動かす事のできない前足で顔を撫でてみる。

頬には髭、頭の上の方にはぴんと三角に尖った耳。

前足の裏っ側にはピンク色の肉球が存在していた。


何でアタシ猫になっちゃったんですかね。


意外にも落ちついた心境で状況を整理してみるけれど

喧嘩してうっかり眠っちゃったぐらいで特に目立った行動は起こしていないはず。

じゃあこれは夢落ち??

頬っぺたを抓ろうにも、物を掴む事ができる指じゃないから無理だし・・・。



「おーい、いい加減機嫌治して出て来いやー」



ソファの下からそろっと覗くと、薫はあちこちの部屋を開けたり閉めたりしながら

アタシの存在を探し回っているようだった。



「携帯も荷物も全部家にあるし・・どこ行ったんや?」

「にゃー・・」

「うわっ、おま・・・しっ」



毛が落ちるから動物は嫌い、と言っているプチ潔癖な薫の傍に擦り寄って

アタシはココよ、と言ってみたけれどやっぱり人間の言葉にはならなかった。



薫


貴方の名前を呼びたくても

貴方の腕に抱かれたいと想ってみても

この姿じゃ何一つ叶わない。


何だか無性に切なくなったけれど

涙を流す事もできずに

居やがる薫の足元に擦り寄って身体を丸めた。









* * 起 死 回 生 * *


「あー・・・痛いわ~」



ライブの次の日の薫の決り文句。



「また筋肉痛~?」

「多分ー」

「ていうか、どう考えてもヘドバン痛でしょ、それ。」



腰の窪みを指圧していた指で、首の付け根をぎゅっと摘むと

薫は「いで」とか情けない声を上げた。



「いや、確かに首もやけど・・・・それより腰と腿のが痛いわ」



首根っこから手を腰に戻してごりごりと凝り固まった筋肉を解す。

力を入れすぎると痛いといって薫が床をばんばん叩く。

我侭なんだから(怒)



「あんだけ長時間中腰だからじゃない?もうそろそろ無理できる年でもないし」

「うるさいわ。翌日筋肉痛になるって事はまだ若い証拠やろ」

「はいはい」

「うわ。流すなよ」

「若い若い。ヤンゲストですよ薫さーん」

「・・・・むかつくなぁ」



だって若い人は彼女にマッサージさせたりしないもん。


もともと細い目を更に細め、ぐったりとうつ伏せに寝そべってそのまま眠りそうな薫を眺めてると

おじいちゃんの肩揉みをしてあげてる孫の気分になる。



ステージではキメキメなのに、ライブ終わった途端これだもん。


まぁ、こんなダルダルな薫を見れるのはアタシだけだと思って良しとするけどね。






* * 筋 肉 痛 * *