ピアノを始めて14年の娘ニコをもつ父親です。


今日は娘には関係のない話しです。

夏のピティナコンクールが終わってから書こうかなと思っていた事柄について。

長くなったら分けるかもしれませんが、できるだけ1記事でいきたいと思います。


ピティナのカテゴリーで言うと、A2級から特級まで、全ての世代・レベルのコンクールに挑戦してきました。

ピティナの場にすると、ステージの回数は10~20回位と多くはないのかもしれませんが、長い間ステージの場を経験させて頂きました。


良い思いも悪い思いも沢山あり、なかなか意見の言いにくい業界でしたが、今回思い切って書いてみます。


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 コンクールの光と影


はじめに:コンクールは素晴らしい。しかし現行の仕組みに感じる違和感。


最初に、私は、ピアノコンクール推奨派で、娘も私も大好きだから、幼少期から今に至るまで毎年参加しています。


教育論でいえば、目標に向かって努力し、張り詰めた空気の舞台を経験することは、他では得難い機会と思います。わが家で言えば、目標に向かって先生、親子で伴走した日々はかけがえのない宝物です。


一方で、その様な価値を信じているからこそ、その周りを取り巻く、大人側のシステムのもらたらす歪みのようなものも憂いています。


SNS全盛の昨今、「うちの先生は指導者賞を取った」、「〇〇さん、今年も飛び級で全国大会だって」など見かけることは多いです。


その華やかな言葉の裏で、子どもたちが、「決められた課題曲を完璧にトレースする機械」のようになっていないでしょうか。


これらについて、いくつかの論点毎に深掘りしてみたいと思います。


 1:指導者賞について

1つ目に唐突感のある指導者賞について。

これを1つ目にあげたのは、自分なりに、これが起点なのかなとも思うためです。

  • メリット: 指導者賞は、孤独なピアノの先生方のの努力を可視化し、モチベーションを高めたと思います。その結果、ピアノ指導の質に留まらず、日本のピアノレベルの底上げにもなったと思います。
  • デメリット: 一方で、賞が「教室のビジネス(集客)」や「業界内での見栄」の道具と化して、先生側の実績のために、生徒をステージへ過剰に誘導する主客転倒が起きている様に思います。立場上、生徒側からこの流れを断ち切るのは非常に困難です。
指導者賞も継続に主眼をおいた、いわゆる春基準型の評価に重きを置くのが良いのではないかと感じます。

 2. 「課題曲偏向」による「伸び悩み」

私がブログを書く目的は「日記」ですが、伝えたい事があるとすれば、「基礎が大事」と言うことです。

ということで、2つ目は、切っても切り離せないテーマです。

  • メリット: 課題曲を数ヶ月〜場合に寄っては1年かけてミリ単位で突き詰めることで、圧倒的な本番力が育つ事と思います。子ども達の演奏力は恐らく世界でもトップレベルではないでしょうか。
  • デメリット: 一方で、楽曲をコピーとして「耳と形」で仕上げてしまうため、「読譜力」や多様な曲に触れる「多読の経験」が致命的に置き去りになっている様に思います。中学生以降、曲が高度・複雑になった時点で、多くの子たちが「自立できずに失速」する事も見聞きします。
専門の道を目指す、目指さないに関わらず、一生懸命時間をかけて取り組んで来た子たちが、大きくなって伸び悩むのは悲しい事です。
ブルグミュラーを今そこまで仕上げる必要が本当にありますか。

 3. 「採点基準」と「複数回参加制度」による確率ゲーム

  • メリット: コンマ数点の差という厳しい現実があるからこそ、子どもたちは一音のミスも許されない極限の集中力を養える。一方で、不確定要素への救済として、演奏事故や審査員との相性で終わらせず、別の地区で再挑戦できる仕組みは、努力を無駄にしないセーフティネットとして機能している面もあると思います。娘も、落ちた後にもう1箇所追加で申し込んで全国大会に進み入賞した事があります。
  • デメリット:不確定な採点基準をクリアするために複数回エントリー(確率アップ)を助長することになります。そして、この確率アップが機能するのは、多くの場合、実力がある子向けなのだと思います。元来上手い子が複数回受けるわけですから、多数のボーダー層には過酷です。そして、週末毎に繰り返し、精神的・金銭的負担が増える事になります。
複数回制度は、少子化で参加者の減る主催者側にとって、「延べ参加者数」を維持するための絶好のビジネスモデルになっている。本番に魂を込める芸術の本質は失われ、大人の仕掛けた確率ゲームに子どもが消費されている様に思えてなりません。
複数回制度で良い考えがあります。同じ曲での複数回エントリーを不可すれば良いのではないでしょうか。力のある子はたくさんの曲に触れられるし、幾分、ボーダー層の通過確率は上がるでしょう。


 4.「飛び級制度」について

  • メリット:年齢の枠に縛られず、器用さや技術を持つ子の受け皿になります。また、その話題性は音楽会のスターを創出する華やかな仕掛けでもあると思います。
  • デメリット:例えば小3が小6もいるカテゴリーで入賞することは、年長者の努力や情緒の成長価値を「早期から仕込まれたスピードと音圧」で圧倒してしまうような不条理さがあるのではないでしょうか。相手も小学生です。そして、飛び級した先のよくできる子も飛び級しているかもしれないので、その価値もどう測って良いのか分からないのではないでしょうか。結局、空洞化を招いているのではないでしょうか。

 5.「ガラパゴス」な制度

日本のピアノコンクール界では、海外の権威を思わせる名称が氾濫しているように思います。〇〇国際コンクール。ですが、中身は日本独自の事情に最適化され、エンターテイメントとして極めて完成度が高くなっているように感じます。前述した複数回参加や飛び級制度もその例かと思います。
  • メリット:細分化された学年分けと段階的なステージは、コンクールを身近にし、ピアノ人口の維持に寄与していると思います。全体の技術的な底上げに大きく寄与していると思いますし、私のような、音楽知識のなかった親まで、四期の音楽に慣れ親しめたのは、その仕組みのおかげです。
  • デメリット:教育理念よりも商業優先、指導者優先に感じることでしょうか。少子化の中でエントリー数を維持しビジネスを成立させるために複数回制度を導入している面もあると思いますが、理念と乖離してきている様に感じます。一人の子に何度も同じことをさせて参加料を集める構造は、自立した音楽家あるいは、音楽を楽しむ人になるための教育理念とは乖離している様に思います。
指導者協会であり、一般社団法人でもあるので、ボランティア団体ではないため、目的のためにビジネスの存続は絶対必要な事と思います。難しいところです。

【一歩踏み込んだコラム】一生懸命な大人たちが陥る過熱の罠

これらの制度が起こしている現実を、保護者目線からもう少し考えてみたいと思います。

現行システムが「純粋な指導者」と「我が子を想う保護者」の双方の熱意を巻き込み、ブレーキを踏めない過熱状態を生み出している実態についてです。


  • 「良い人同士」だからこそ利かないブレーキ
    突然ですが私は性善説思想の持ち主です。
    現場の先生方は生徒に一生懸命に向き合う「本当に良い人」であり(幸い、関わった先生方は皆さまそうでした。)、親も「我が子の才能を伸ばしたい」と願う「良い親」だと思います。この両者の熱意が結びつくからこそ、コンクールで短期的な結果を追い求める事に過熱し、お互いにノーを言うことが困難になるのだと思います。
  • 狭い「コミュニティ」という逃げ場のなさ実績のある教室は、地元の楽器店など通じてコミュニティは密接で狭い世界だと感じています。先生の方針に内心疑問に思うことがあっても、狭い世界ゆえになかなか意見をしたり違う行動は取りにくいです。先生同士の繋がりや地域のしがらみを気にするあまり、他の教室への移籍やコンクールからの撤退という選択肢は躊躇せざるを得ません。最終手段ではないでしょうか。外的な環境が自らの逃げ道を断ってしまうのが、この閉ざされた世界が保護者側に強いる残酷なリアルなのだと思います。もちろん、先生側にも色々思うことはあるでしょうが、先生と呼ばれる立場の方が一般に立場は強いと言えるでしょう。
こんな環境が生み出されているという保護者側の想いでした。

  第6章:まとめと提言 〜『型の再現』から『自己表現』へ~

私たちが音楽を学ぶ最終的な理想は、「楽器を通じて、自分自身を表現できるようになること(音楽的自立)」だと思います。楽譜から作曲家の想いを読み解き、自分の心と地続きの音を奏でる。平易な言葉では、自分の好きな音楽を好きなように奏でられる事。これが生涯の財産となる。演奏者のレベルに関わらず共通だと思います。
しかし、現行の「指導者賞」や「複数回参加」など、ビジネスに最適化された仕組みは、その理想から乖離し、「決められた課題曲を完璧にトレースする機会」を量産する構造になってしまっている様に感じます。
少子化の中で「延べ参加者数」という数字の維持に固執し続ける限り、この歪みはさらに悪化する様に思います。主催者側の立場で勝手に言わせていただくと、今こそ、「高付加価値・高単価の教育ビジネス」へシフトすべきでなのかなと思います。例えば、以下のような仕組みであれば、単価が上がっても、レスナーとしては参加費を払うのかなと思います。
  1. 評価の質の転換:優劣をつけるだけの減点法の審査は廃止し、参加費を上げてでも「自己表現力を伸ばすための詳細な個別フィードバック」も合わせて提供する。演奏のカットをせず、コメント記入時間増やすなどして。
  2. 課題曲依存からの脱却: 課題曲部門を縮小して、1年で数曲しか弾かない土壌を排除する。「複数曲の自由曲部門」や「初見・アナリーゼ部門」などを創設する。
  3. 指導者賞の改定: 賞の基準を「人数(量)」ではなく、「1人の生徒の定着率・長期的な成長率(質)」へと重きを変え、指導者側による生徒の消費的行為をできない仕組みにする。
一生懸命な先生と、我が子を想う保護者が一緒になってシステムに踊らされ、誰もブレーキを踏めずに子どもが消費されるのを防ぎたいです。少子化時代に大事なのは子どもです。子どもたちがコンクールの結果を気にするのをやめ、「ピアノで自己表現できる輝き」を得るために、今こそバランスの取れたたシステムへの変更を願っています。
敬具

あとがき

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回このような記事を書いたのは、決して特定のコンクールや団体を貶めたいからでも、現場で熱心に指導してくれている先生方を批判したいからでもありません。
今のピアノ界を取り巻く大人の事情に、立ち止まって目を向けてみたかったからです。
きっかけは、娘と周囲にいる子を見て、あれだけたくさんの時間をかけて練習していたし素晴らしい演奏をしていたのに、こういうことができないのか、と思うことがあったのです。
娘も大きくなり、自分で道を切り拓く力もついてきたので、これまで言いづらかった事に言及してみました。
この記事が、「これでいいのだろうか」と悩むどなたかの気持ちに寄り添えるものになれば幸いです。
ピアノを学ぶ子どもたちや愛好家の皆さまかが、いつまでものびのびと音楽を愛し楽しみ続けられますように。🔥ウインク