これ聴いて、もう、怖くて怖くて仕方がなかったんですが・・・。
買ってしまいました。
あらすじを知っていながら、この仕事をしていながら、何故火中の栗を拾いにいくようなことをするのか?
それは、【表現】を仕事にしているからなんです。
「知らない」ということが耐えられない。
「人」を演じ、書き、演出する者として、この苦しみを体験しなければいけない。
使命感。
そんな、サイコパスが多いのが、僕達の世界です。
本当に、表裏一体。
ギリギリダン(ス)
・・・---・・・
さて、読んだ感想なのですが・・・。
胸が痛すぎて、心臓がおかしくなるかと思いました。
この作品は、何のために世の中に存在しているのか?
「諦めること」 o r 「諦めないこと」の大切さを説きたいから?
いや、描かずにはいられなかったんだと思います。
描けてしまうから。
で、僕達はどう受け止めるのが正解なのか・・・。
「二階堂は俺だ!」
「俺は、二階堂ほどひどくない!」
「自分は、いつ二階堂になってもおかしくない・・・。」
なんか、そういうことじゃないんじゃないかな。
だって、これを読んだからって、続ける人は続けるんだし、読まなくたって、諦める人は諦める。
いや、「諦める」って言葉が良くないのかもしれない。
だからと言って、適当な言葉はないのだけれど。
僕達俳優の世界でも、「食える」と「食えない」には大きな差があります。
だけど、僕は「食える」ようになること自体は、そんなに難しいことじゃないと思っています。
その先が肝心。
食えているけど、腐っている。
ここに陥らないために、もがいている。
それが、僕の現状。
だから、二階堂とは違うんです。
だけど、二階堂なんです。
なんて説明していいのかわからないけど。
この作品は、誰のことも助けてくれない。
知らない方が幸せかもしれない。
これからも、目が離せません。