真実に関する定義について 17 | Cyprobeのブログ

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自分の中での真実を書き換えないように
そのときそのとき、重要な決断をしていく際には
自分の心や気持ちの決定を撮影記録していくことは
不可能ですが、
別な形で情報化して残していくことは可能ですね。

文章にしたり、メモしたり。。いろいろできます。

それによってそのときどきの応じて行き当たりばったりに
目的のベクトルがあてどもなく紆余曲折することを防げます。

会社での会議は議事録に残りますが
自分の重要な決定に際しても
その時の気持ちの温度を高めた情報で
議事録を残しておくことが結果的に真の目的地に近づく最短距離に
なるのではないかと思っています。

少し脱線しましたが
広義の真実の話に戻りますと
完璧なデータを元に完璧な判断がなされた
先の「広義の事実」に加えて
さらに
「個々の登場人物の完璧な内情の情報」が加味されたとき
それは広義の真実の範囲となるのでしょう。

本当は確実に存在しているそのような情報は
記録することも収集することもできない
なので主体的に考えるためには、
目の前の事実だけですべてをわかったつもりになるのではなく
与えられないその裏の内情を一度読み取ったり、推察してみる過程をもたなければ
本当は真実と呼ぶことはできないというとがわかりますし、
自分自身のことでさえ、時間の経過ととともに
真実がすげ変わらないように記録していくことが重要そうだな。。
ということが考えられます。

さいきん、某N○Kのアナウンサーさんが、ツイッターで
いろいろと暴露してしまって、結果、退社という形になってしまったようですが、
個々人の記憶と違って、会社や組織の場合は、その内情という思考過程や意思決定過程が記録可能なデータとして存在する場合がありますね。

これはすなわち、まさに誰かの主張した単なる事実という一つの風説から
真実に近づいたと呼べる状況ですよね。。

そのことがいいことなのか悪いことなのか、私にも誰にもわかりませんが、
少なくとも一方的に情報を受けわたされて、そのまま記憶に格納することの
危険性というものを垣間見たような気もしました。

少なくとも事実や真実という表現だけで、すべての受け取った情報に
勝手な想像と思い込みを働かせずに、その範囲と特性を理解したうえで
情報を租借した後に格納する重要性には変わりはないと思われます。

おなかすきましたよおそめのおひるごはん
たべてきます☆
(・ω・)/よい休日を☆