ここまでで、なんとなく明らかになってきたのは、
事実と言っても
2種類ぐらいありそうだということで
一つは
A.物理的証明可能な本当の事実
もう一つは
B.そう思い込んでいるだけで実際は間違っている事実
A.は少なくとも事実と言っていいはずですよね。
ではB.は?
言葉の意味からあてはめられる近い言葉は
”感想”でしょうか??
事実と感想はとても似て非なるものであり
感想もまた、まず情報・データがありそれが何らかの認知システムに読み込まれる
その結果その認知システムが1[Rcg]未満の性能だった場合
必ず感想である可能性が含まれてきます。
現実に即して考えてみると
「どんなにもっともらしい話であってもそこには必ず
厳密には単なる感想である可能性・確率が含まれていて、
それがどの程度の確率なのかはわからないが
それが十分に確からしい確率に達していたら、
便宜上、まるめてその感想を”事実”と置き換えて表現してもいいかもしれないような命題」
のことだけを、我々は事実と言ってよくて、
しかも何でもかんでもまるめていいわけではなくて、
せめて物理状態に関しては徹底的に検証されて
人間の認知バイアスの介在することのない、クールで確かな判断がなされたものだけを
事実であると、区別しないと感想と事実が置き換えられてもそのまま鵜呑みに
してしまう危険性もあるということになりうることですかね。。。
ニュースなどで伝えられる情報は、
信頼できる、言ってみれば[Rcg]の性能が一人の人間が判断する数値よりかは
高い数値の認知処理システムで、いってみれば大人数で、専門家の意見や見識によって
高度にデータを読み込み判断し、結論の意味を事実として情報の変換がなされるべきです。
しかしながら、先の例のように、認知的不協和は集団の人間にさえも起こり得ますし
論理的にも意図的に歪曲された事実が導き出されることもあるということになります。
製品のように出来上がってきた”事実”という情報を