はい! 奈央です。

 

 

先のブログで、神夏磯姫(かむなつそひめ)の事を調べました。

その結果、神夏磯姫アマテラスとの類似点について、次のような点を書き連ねました。(妄想の類ですが)

 

と称される  天照大神 神夏磯媛

・巫女的な女王

・三種の神器 

  八咫鏡草薙剣八尺瓊  ⇔  八咫鏡八握劒八尺瓊

八握剣に纏わる接点

 

今回は、神夏磯姫の後裔である

山門(ヤマト)の女王 田油津媛 (たぶらつひめ)について書いてみたいと思います。

 

北部九州の古代豪族分布図   山門 (ヤマト) は有明海沿岸

行橋市デジタルアーカイブよりおかりしました。

 

田油津媛について、日本書紀 神功皇后摂政紀 に小さく記載されているにすぎません。

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日本書紀 神功皇后摂政紀

丙申。転至山門県。則誅土蜘蛛田油津媛。時田油津媛之兄夏羽、興軍而迎来。然聞其妹被誅而逃之。
          
【意訳】

 丙申、一転して山門県(やまとのあがた、筑後国山門郡)に至り、そこで神夏磯姫の末裔土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)誅殺した。その時、田油津媛の兄・夏羽が、香春(かわら)神社がある本拠地・田川(福岡県田川郡香春町)で援軍を組織して迎え討ちに来た。しかし、妹が誅殺されたことを聞いて逃げた。

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神夏磯姫の末裔田油津媛が土蜘蛛?

神功皇后が田油津媛を誅殺??

 

一体どういうことなのでしょうか。

 

 ここで土蜘蛛とは、近世以後は巨大な人面蜘蛛や妖怪「牛鬼」のような姿であると広くみなされるようになりましたが、古代では、ヤマト王権に恭順しなかった土豪たちを指しました。

 

土蜘蛛

no+e レコの館HPよりお借りしました。

 

この神功皇后田油津媛の争いについては、豊前国鷹羽(福岡県田川市)の若八幡神社由緒書きにもう少し詳しく書き残されています。

 

若八幡神社由緒

旅人のブログHPよりお借りしました。

 

若八幡神社由緒

祭神三座: 仁徳天皇、応神天皇、神功皇后

  相殿: 地主神  神夏磯媛命

      輝徳霊神 小笠原忠真公

 人皇十二代景行天皇の熊襲征伐に際し天皇を周防の佐波(今の防府市)迄出迎え、九州平定に寄与されたのが我が

夏吉地域開発の祖神、神夏磯媛命でした。「榊の枝に八握剣、八咫鏡、八尺瓊をとりかけ、船の舳先に素幡をたてて参向した」日本書紀には記されています。年代は下がって姫の後裔夏羽は朝廷に恨みを持ち、神功皇后の暗殺を企てた妹、田油津姫を援けんと軍勢を催してかけつける途中で妹の敗戦を知り逃げ帰って館に立て篭もったところを追って来た皇后の軍勢に焼き殺されました。(岩屋須佐社横の洞窟との説もある)それ以来、夏羽焼ー夏焼と此の村が呼ばれる事になったのです。後に、夏羽の亡霊の祟りを鎮める為に宇佐より八幡宮が勧請されましたが(光仁年中1173~4年前)今の大宮司屋敷から現在地に鎮座されたのは慶長13年2月3日(375年前)の事です。現在は仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祭る為に若八幡と、となえますが、これは平清盛が香春岳鬼ヶ城の守護神として平家の氏神、仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より香春岳の中腹に祭り、その後いかなる理由でか当社に鎮座されたのです。江戸時代小笠原藩祖忠真公廻國の折り当社に参詣され困窮のどん底にあった村民を救うため色々の施政をされると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました。

 村民は以後の繁栄を感謝し、公の逝去の後若八幡宮の相殿に公の神霊をお祭りして来ましたが、享和元年(182年前)朝廷に願い出て、輝徳霊神号と霊璽とを頂いたのです。当社の神紋が、小笠原家の家紋と同じ三階菱であるのは以上の理由によります。

                宮司 原田丈路 謹識

 

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田油津姫神功皇后の暗殺を企てた! 

えっ、どうして?

 

しかも、兄の夏羽は朝廷に恨みを持ち、妹 田油津姫を援けようとしたが叶わず、逆に神宮皇后の軍勢に焼き殺されてしまった!

一体、何があったの?


このことを理解するには、少し、時を遡って整理する必要がありそうです。

 

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景光12年 12代 景行天皇神夏磯媛の出逢い 

 の依頼により、豊前国に跋扈する土蜘蛛たちを景行天皇の軍が征伐

 九州一円を征討して廻る

 

邪馬台国の会HPよりお借りしました。

 

景光19年 日向から大和に帰還

景光27年 熊襲がまた背いて、辺境を頻りに侵す

 ヤマトタケル(16歳)が熊襲征伐

 

仲哀2年 14代 仲哀天皇

 仲哀天皇 気長足姫尊を皇后(神功皇后)とする

 熊襲が背いて貢を奉らなかった → 熊襲討伐

仲哀8年 仲哀天皇 神功皇后とともに筑紫

 岡県主の先祖・熊鰐(くまわに)との出会い

 筑紫の伊都県主の先祖・五十迹手(いとて)との出会い

 熊襲征伐するも勝てず帰還

仲哀9年 仲哀天皇 筑紫の香椎宮にて崩御

 神功皇后 鴨別(かものわけ)を遣わして熊襲を討つ

      荷持田村の羽白熊鷲を討つ

      山門の県にて土蜘蛛・田油津媛を誅す

 

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以上のように、大和政権による九州一円の土蜘蛛・熊襲征伐親・景行天皇から、子・ヤマトタケル孫・仲哀天皇神功皇后の3代にもわたり続けられたのです。

 

日本書紀に記された九州一円の土蜘蛛・熊襲征伐の経緯の中に、取り立てて夏羽・田油津媛兄妹朝廷に恨みを抱く事由は見出されませんでした。

 

しかし、正史に残らない各地の伝承には、その原因が色濃く残っているようです。

 

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一つの原因: 景行天皇による九州征伐

 

綾杉るなさんのブログ:ひもろぎ逍遥に以下のようなことが記述されていました。

 

ひめちゃご17 宇津羅姫と葛築目の明暗 : ひもろぎ逍遥

 

景行天皇は各地の王国、女王国に、まつろわぬか、まつろうか、二者選択を迫って巡行した。
まつろわぬなら滅ぼされまつろうなら身を差し出さねばならなかった
景行天皇の筑紫国巡行は、それぞれの弥生の国々にとっては、クニが滅ぶかどうかの大問題だった。

筑紫の各地に、景行天皇と対峙した女王たちの名が残っている。『日本書紀』に書かれているのはほんの一部に過ぎない。
しかし、景行天皇との攻防が、奇しくも当時の邑の分布を教えている。

景行天皇を受け入れた女王としては神夏磯姫(かむなつそひめ)が有名だ。
しかし、田川の香春岳の開発に追いやられた
美貌の姫だったが、不幸な生涯となった。
その後裔に夏羽田油津姫兄妹がいる。

 

田油津姫が居たのは山門(やまと)

そこには、田油津姫先代・葛築目(くずちめ)がいた。
葛築目景行天皇を受け入れずに殺された。


夏羽は朝廷を恨み、田油津姫神功皇后を暗殺しようとした。結果は失敗し誅された。


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先の神夏磯媛から夏羽・田油津媛に至る経緯について、下記の動画が丁寧に解説されています。

少し長いのですが、宜しければご視聴ください。

 

動画時間: 14分43秒

 

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私は、この夏羽・田油津媛兄妹朝廷に恨みを抱く原因として以前から考えていたことがあります。

それは、銅、鉄、金、銀といった鉱物資源の争いにあるのではないかと考えています。

 

そのことについては後のブログに書きたいと思います。

 

それじゃあ、またね。