秋葉原殺傷事件から一年
その事件の内容については、語らずとも良いだろう。
あれから一年、秋葉原は、いや世界は、日本は、身近な社会、そして自分自身はどのように変化したのであろうか。
私にとってあまりに身近に起きた事件であり、思考転換の重要な一因となったことは確かなことである。
このブログにも昨年の6月9日に記事があった。
昨日のことのように覚えている。
これを契機にこの一年、いままでの人生の中で一番本を読んだ。
その多くはネットビデオニュース、「丸激トークオンデマンド」からの影響からチョイスしている。
そんな本を色々読んでいくうちに、一つ、しかし私にとっての最大のしこりであった“虚無”が解けた。
この事件を起こした加藤もまた鬱蒼として、大きな闇に閉ざされていたであろう“現代社会”の本質が線になったのだ。
細部はもちろん、論ずることはまだまだできないが、頭の中で確信的な解答はぼんやりとだが力強く描くことができるようになったのは大きい。
これは加藤の事件を契機に自分自身が進歩した、とも取れるが、これがなくとも何かを契機に気づくことは可能であったと思う。
即ち、加藤が事件を起こした原因というものも、判然とするものではないのだ。
掲示板でのやりとり、コンプレックス、ゲーム、どれをとっても普通に存在する因子である。
社会学者、宮台真司氏もこんな感じのことを言っている。
引き金を引くきっかけは社会にいくらでもあるが、火薬をに抜いておけば惨事にはいたらない。
マスコミはきっかけ(理由、原因)に執着し、本質的な問題を扱えない。
そのほうが、怒りの矛先が解りやすく、非常に扱いやすく視聴率も稼げるからだ。
マスコミが無責任な電波の垂れ流しによって、つまりマインドコントロールによって自分たちに有益な“大衆”を創り出している。
それはテレビと同じ系列である新聞も同罪で、これらの裏には多くの問題があり、ここでは語りつくせない。
興味がある方は本を読むなり、先のネットニュース番組を視聴していただきたい。
視聴料で成り立っている番組はスポンサーを気にすることもなく、運営ができる。このことは公平な報道の実現には欠かせない条件ではないかと思う。
さて、
表面を形式的に安全を装っても何も解決はしない。
むしろそういったオトナ世界への不信感が静かなるモンスターを作り上げるのだ。
そして大量の火薬を抱えて暴発する。
火薬を抜くこと、これが現代社会に課せられた本当の意味での安全を獲得するための使命であろう。
しかしそれは一筋縄ではいかない。
大きな社会構造の変革が必要であり、それは決して小泉内閣が掲げたアメリカ金融資本主義への改革ではない。
それも昨年サブプライムに端を発した金融破綻で証明されている。
GMも破綻したが、実体経済である車の売れ行きではなく、その原因は金融方面での損失であると言われている。
リストラでは再建できないほどの負債を抱えた果ての国有化。
アメリカは既に資本主義国ではなくなった、とさえ言われる金融腐敗が起こっていたのだ。
しかし、そこで誕生した大統領はオバマである。
ここでオバマが現れ、大統領になれる国、それがアメリカ・・・
さて、超大国アメリカが牽引した世界経済、この構造が大きく変化してきているが、まだ最後のバブルではないとの見方もあり、ハゲタカがもうひと暴れするかもしれない。
狙われているのは民営化された日本の郵便貯金であるとも言われている。
日本は色々問題はあるが、政権交代を実現させ、民意を反映させやすくするか、
政界再編を経て、政治の若返りを実現させるかが焦点になりそうだ。
私的には、まず政権交代、そしてその膿を出してから政界再編へ進むことを期待する。