うこんばんは!!
朝礼ジャーナリストの黒河龍二です。
東京の「てっぺん自由が丘店」への修行に行って、一心不乱にノートに書き写した物があります。
それが女子トイレに書いてあった「伝説の新入社員」です。
これは夜中4時ごろ、徹夜で揚げ物のレシピを覚えるために店に泊まっていた時に、スタッフのみんなから読んだほうが良いと薦められて読み、その後ほかのことを何も覚えていないほどひたすらに手書きでこの文章を書き写したものです。
それだけこの文章は私の心を鷲掴みにしたものなので、是非このブログを読んでいるあなたにも読んでもらいたいと思い書きこみます。
それではどうぞ。
~伝説の新入社員~
高校を卒業し板前になった。
調理することは夢って訳でもなかったけど、思い出してみると幼稚園の頃に「お寿司屋さんになりたい」って書いてあった。
これも潜在的に選んだ道なのかな?
別に踊るような気分で板前になった訳ではないけど、料理をするのは決して嫌いではなかった。
そんな中、僕の板前生活は始まった。
噂では厳しいと言われていた板前の世界だが、「先輩からの強烈な指導は辛かった」。
賄い飯は全先輩が座るまでは食べられないし、やっと食べられると思ったら、なぜか俺だけが冷や飯なんだよね。
しかも親方が食べ終わると、「お前いつまで食ってんだ」って良く叱られたもんだ。
だからさ、座った瞬間に口に詰められるだけ冷や飯を詰め込んで必死になって食ったんだ。
でも、この冷や飯が腹減ってるから旨いのなんのって、ていうか食わないと倒れちゃうくらいハードだったしね(笑)。
包丁の柄で頭をね「ゴツ」って殴られたこともある。
ありゃ体罰とかそんなんじゃないレベルだった。
でもさ、俺って何やっても器用な所があって、先輩の技術みても俺の方が上手いだろって入社して1週間ぐらいで感じたよ。
というか、1ヶ月もあれば抜ける自信もあった。
だから入社して10日もしないうちに燃えるような目標が出来たんだ。
それが、「1年で先輩たちの技術もセンスも手際も味もすべて抜いてやる!!」って目標だった。
次の日から出勤を30分早くして、誰もこないうちに親方が使う調味料の一升瓶に『俺だけがわかる印をつけた』。
そして休憩時間に使った量を完全にコピーして親方のレシピを全て盗み出した。
洗い物も率先してやった。
同僚なんかに絶対負けない洗い物の速さ。
同僚たちは洗い物を嫌っていたけど、俺とは見てるものが違うから仕方がないって思った。
洗い物ってね、先輩方の嫌がらせのポイントでもあるんだ。
熱い鍋わざと素手で掴ませてね、「あーごめんごめん」とかコノヤロ!って感じになる(笑)。
でも、洗剤で手が荒れて首の方まで湿疹が出たことがあったけど、洗い物は宝の宝庫、先輩方の使った鍋の味いをできるからね。
レシピで覚えて、舌で覚える。
洗い物を先輩のもとに取りに行き、目でしっかり覚える。
どのタイミングで裏返し、どんな工程なのかを目と鼻と耳でしっかり記憶する。
こんな考えだったから同僚なんかに負けるわけないでしょ?
先輩だって瞬間的に抜いてたね。
大根のかつら剥き何かさせたら、親方より上手いんじゃないかってくらい練習したしね(笑)。
それで入社して半年くらいで賄い飯を作らせてもらえるチャンスをもらえたんだ。
実はこの時をずっと待っていた。
だからこの時の「お前賄い作ってみろ」って言われた時にめちゃくちゃ良い顔で「はい!!!」って返事は板場の空気が変わったのが分かった。
初めて作る新人が何でそんなに手際が良いんだ?材料のある場所全部知ってんだ?そんな調味料何に使うんだ?って諸先輩方が自分の仕事をしながら見る目が観客のようで本当に燃えたよ(笑)。
そして僕が作ったのが魚河岸の吸い物とかき揚げ丼。
その出来栄えの良さは当時に携帯電話があったら写メールで友達に送りたくなるような一品だったかも(笑)。
親方の最も得意とする料理を完全にコピーした訳だから、そりゃ自信満々で親方に「どうぞ」ってだした。
すると親方が「誰がこれを使っていいって言った?」って時は鳥肌が立つほど嬉しかった。
自分で創ったものと全く気付かなかったからだ!
「まさかこれお前が作ったのか?」って何かもう料理のドラマ番組みたいだよね(笑)
あの時僕が涙目になって「僕が作りました」って誇らしげに言った時、親方のいつもは怖い目が優しくなったとき、愛されているんだなって気が付いた。
それから1か月もしないうちに新しい仕事がどんどん任されるようになり、ポジションを上げていった。
焼き場、揚げ場、煮物、刺身ってあっという間に任されるようになった。
そして入社して1年が過ぎようとした時に料理の祭典があり、誰でも参加できるという事なので、自分も参加させてもらいました。
今まで学んだ事をすべて出し切って作った。
懐石料理は天然の落ち葉を拾いに行き、川にある石で飾り付けをする。
ここで1年の成果が出ると思って先輩が帰る中、徹夜して料理を作った。
そしたらその料理の祭典で最優秀賞を取る事が出来た。
親方はめちゃくちゃ喜んでくれた!!!
それは地元の新聞でも取り上げられるくらい快挙であった。
新聞にのる19歳の少年、板前の帽子の下には何故か茶髪のロン毛で耳に無数のピアス。
人は見かけによらないって言うけどわが身で証明した感じだった(笑)。
この1年間が飲食業を一生やっていこうという土台を作ったのは間違いありません。
そういえば、あのときの冷や飯って親方が盛ってくれてたんだよな。
もしかしてあれって熱いご飯だと一気に口に入れられないから俺だけ冷や飯にしてくれたのかな?
考えすぎか(笑)
熱いサムライ
ラーメン屋のけん坊