ブログをご覧になられている皆さま、ありがとうございます。
朝礼ジャーナリストの黒河龍二でございます。
今回は、先日の山本直樹社長のお話しの続きになります。
バージャー病のショックに対して、苦悩の日々を過ごした山本少年でしたが、家族と仲間の温かい愛に支えられ、ようやく現実に向き合うことが出来ました。
そしてバスケットの夢を諦め、今後の進路に悩んでいた山本少年はある仕事を極めたいと思います。
それが
「料理」
昔から料理をすることが好きだった山本少年は周囲の反対を押しきり、高校へ進学せず、辻調理士専門学校に1年間通い、その後単身フランスの専門学校へ7ヶ月勉強に行きます。
その後、日本に戻ってきた山本少年は料理を極めるべくレストランでひたすら修行をしました。
特にその思いが現れたのが、休日の日に他店で勉強させて欲しいという
姿勢です。
このひたむきな姿勢と情熱に対して、上司である店長もここでは出来ないが、他店のヘルプなら紹介すると言って色々なお店を紹介してくれます。
山本少年がこんなにも休みなく働こうと思ったのは、同期10人いても馴れ合いで仕事をするのではなく、やるなら一番を目指したからであり、まさにその想いを実践し続けました。
そして21歳のとき、その時の上司が新たに独立して自分の店をもつから、その店のNo.2として一緒に来ないか?と誘われます。
もちろん答えは
「yes」
通常は21歳の若さでお店のNo.2になることはありません。
(早くても20代後半のようです)
しかし、若くして料理を学び、ひたむきさと情熱的な姿勢が、この異例の誘いとなって現れます。
こうして新たなお店のNo.2としてスタートした山本さんは、学ぶことを通じて将来は自分もこんな素敵なレストランを持つという具体的な「夢」を描きます。
前途洋々な状態が続いたある日、山本さんの夢を打ち破る出来事が起きます。
バージャー病の悪化
これまでも料理の合間に座るなど、出来るだけ足の負担を軽減するようにしていましたが、それでもこの病が治る訳ではなかったのです。
ここで昔からずっと通い続け、山本さんを自分の子供のように診てきた医師から、これ以上は料理の仕事は出来ないことを告げられます。
山本さんは悩みます。
そんな時、想ったのがお母さんの事でした。
女手一つで自分を育ててくれたお母さんにこれ以上の迷惑はかけれない。
この想いが決め手となり、山本さんは料理の道を諦めます。
山本社長にとって二度目の挫折。
また、気持ちが落ち込む時期が来ます。
しかし、ここでも中学生の時と同様に、家族と仲間の温かい愛により支えられます。
山本社長はこうして人生で二度も同じ病で自分の「夢」を諦めることとなりました。
しかし、その度に周りの人の愛情を感じ、その想いに感謝し、病に負けない生き方を選びます。
今回も話の途中ですが、続きは次回にさせていただきます。
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