こんなに、お客さんがいないのは、

宿を始めた39年前以来です。

 

もっとも、最初の年は、7月7日がオープンなので、

いなくて当たり前ですが。

 

そういうわけで、7月7日で、霧多布里は満39歳、

いよいよ、40年目に突入します。

 

今年で、延べ7万人くらいのお客さんを泊めたことになるかなと、

計算していましたが、この調子では、行かないね。

 

7月7日は、霧多布里を始めるきっかけとなった、

石神井高校2年の修学旅行の時の同級生4人が、

お祝いに来てくれるということで、

一応、貸し切りにしています。

 

でも、もし、以前に宿泊された方で、

気楽にお祝い宴会に参加できる方なら、

予約をお受けします。

 

個人的には、昨日で、法子と入籍して丸19年、20年目に入りました。
それをネタに、頂き物のカレイの唐揚げ、白魚の刺身、横井さんのチーズ、
母が採ってきた蕨の煮物等の豪華メニューで、ワインをいただきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
今年は、コロナウィルス君のおかげで、忘れられない特別な年になっていますが、
5月の末には、浜中町民40年目、
7月7日には、霧多布里が40年目に入るという、節目の年となっています。

サッポロビールのクラシックが、ちょうど7月7日に、
35周年記念バージョンの缶ビールを発売しますが、
霧多布里が榊町に引っ越したのも、ちょうど35年前の7月25日でした。
(面白いことに、その缶には、北海道の地名がずらっと書かれていますが、
真ん中の1番良い場所に、浜中と書かれています。)

宿は休まず、引っ越したので、未だに人生で1番長い日として記憶されています。
それ以外にも、最初のログハウスを建てたり、裏の防潮堤までの木道を作ったり、
働き者のえっちゃりがいてくれたからではありますが、いろんなことをやりました。

最近、並木良和さんの話を聞いて、
「過去の許せない思いや不安、恐れ、非難や批判を、捨てきる方法」
を実践していると、過去のすべてが良い想いとして、蘇ってきます。

(過去のいやな記憶・恐れや不安・人への非難や批判・許せない気持ち等の
重くて固いものを、宇宙の源へ返し、エネルギーにとして受け取るという、方法のセミナーです。
今回の夏至までに、出来るだけ身軽になっておくことが大切だそうです。
おかげさまで、大分。軽くなってきました。)

昨日は、先のことも、過去のことも,考えず、
今、この瞬間のために、草だらけの畑の土と、戯れていました。

今年は、豚君に畑を荒らされることもなく、
豚君たちの排泄物の発酵菌だらけの畑も増え、色々なものを植えています。

「石神井高校へ行きたい」「農工大へ行きたい」「霧多布(浜中)で宿をやりたい」
「自分でできる環境をよくする生活がしたい」「動物を飼って、畑をやりたい」「農家になりたい」
というのが、今までに思い付いた、夢・目標でした。

『農家になりたい』というのだけは、叶っていませんが、
そこにこだわる気はないので、畑三昧が出来る今は、最高です。

今までは、自分を奮い立たせるために、夢や目標を立てましたが、
今は、自分を信じて、地球や宇宙の波動が上がっていく様に成る生活を
していきたいと思っています。