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私にとって、忘れられない7月25日が2回あります。

もっとも忘れらない、そして最高に長~い、『ロングェストディ』は、25年前です。

暮帰別の浜中町の分譲地の一画を購入してはじめた、『霧多布里』でしたが、毎晩遅くまでうるさい宿業は、人気の少ない場所に移転するべきと思っていました。

それでも借金だけではじめた仕事なので、1万人は泊めないと返済は無理でした。
たぶん7年は掛かると思っていましたが、思っていた以上に多くのお客さんが、あの狭い家に押し寄せてくれたので、3年少々で1万人を超えてしまいました。

そこで、移転場所を探し、今の『ゆうゆ』の立っているあたりも、湿原から岬まで一望できる場所として候補に考えていました。

結局、今の榊町が一番現実に近かったので、ここに立てることになりました。

当日の前後1週間以上は、実は霧の日が続いていました。しかし、この日だけは、快晴。トラックの荷台で布団を運ぶつもりだったので、天気が悪いなどという心配は全くしていませんでした。
やっぱり、天気は氣合いだ。

3時におきて引越し作業が開始しました。といっても、宿は休み無し、まずは母機別最後のお客さん20数名の朝ごはんを作り、食べ終わってから、布団を運ぶことから始まりました。

午前中保健所からの検査を受け、電話も切り替えてもらい、さて、風呂の準備と思うと、水しか出ない、昨夜遅くまで作業してくれた設備屋さんが、水とお湯の表示を間違えただけでした・・・

今は、釧路の禁煙のお風呂屋さんの社長になられている、成沢さんが当時、この建物の担当で、朝から晩まで、問題処理に当たってくれました。

そうして、初日から30人満員で、新霧多布里がオープンしました。30人分の寿司を握っていました。

まあ、20代最後の無謀だったんでしょう。

引越し当初の写真と、外観改装前の霧多布里と、今朝の顔です。