若年性アルツハイマーの家族との軌跡 -2ページ目

苦悩のスタート

堰をきったかのように書いてるw

しばらくしてどーにもこーにも様子がおかしくなる父を野放しにできない
多分父が変わってくのを認めなくないであろう母を再度説得し病院へ

かなり進行しています

そりゃそーだ、飲まなきゃいけない薬飲んで無いもの 通院してないもの

さぁここから介護?てか監視よね半ば
スタートします

まず家の中で覗きのような行動(笑)堂々と側に来ればいいのに覗きのような行動になりましたね 病気だから仕方ないけど正直気味が悪かった その次は何でも捨てる!近くに神田川があったんですが、最初は郵便物とか小さなものだったけど(それでも大変な目にもあったけど)次第に自転車やストーブなど大型まで!いやいや困った 留守中に家の中の大事な物捨てられたらかなわないので苦肉の策で二階に上がる階段にカギを付けられるドアを設置しました。その頃から介護センターのデイサービスとかを利用 けどね、やはりしっかりしている時もあって、たいそう年配の方々の中になぜ自分が要るのかふと我に返るんでしょうね 行かない日々があったりで
話変わるけど認知症あるあるとでも言うんでしょうか?認定の審査の人の前だとなぜあんなに正常になってるんですかね?毎回こっちが嘘か大袈裟に言ってると疑われてしまう位に普通になりますね

話もどしますm(__)m
まだこの頃は父は自分の足で動けてました そして同時期に借地として土地を貸してた人間に卑怯なやり口で騙され土地を乗っ取りされました
詳細は触れないけど借地権は長いから更新したら貸してた方が不利になると勉強になりました、結果として
まぁ乗っ取りされてから色々裁判などありまして母も心身疲れはてたんでしょうね たこつぼ心筋梗塞とやらになってしまって そりゃバタバタしました 母がいないから私が実家で父を監視?してましたが前に述べたドアを年がら年中叩く叩く!父は1階で私は小さな娘と母のいた2階にいましたがそりゃ疲れ果てるまでドア叩くからこっちも気が狂いそうになりました
そして次第に昼夜逆転になり近所の防犯ベルならすわ、トイレがわからなくなり家中でするわ… 幸いどういう訳だか遠くへ徘徊はなかった ただあんなに嫌がってたデイサービスの場所にはかなり頻繁に出向いてました
もちろん昼夜問わずに…

嫌いながらも不安だった異変

公務員の父が償還退職の道を選んだ
定年の3年前に 退職金も増えるので家族は自分がいいならいいんじゃない?
のレベルだった
今思うと、本当は辞めたくなかったけど、どうにも記憶力が無くなり、不安になっての退職だったのかもと思えてならない
退職してもまだまだ若いんだからと仕事をさせた 衰えては困るからまだ50代なんだし!
けど無理に決まってた
なぜならもう発症してたんだから

やる事やる事続かず、しまいには引きこもりがちに そして言動がただの引きこもりではないと私は感じた

すぐさま母をも説得して病院行かせた

若年性アルツハイマーの初期

おかしなところもあるけどまだまだ全然普通 一人で行動させる事もリハビリのひとつ そう聞いた事もあったから通院は父一人で行かせてた
話が前後してしまうけど私と妹はもう嫁いでしまい、実家には母と父と二人だけだった

そしてリハビリのつもりで一人で行かせた通院…甘かった 病院なんぞまともに行ってなかった 薬がなくなって
どうした?と聞くとよくなったから飲まなくてよくなったと…

若年性アルツハイマーという病気や症状を全く理解も勉強もしていなかったうちら あぁ若いから治りも早いんだと信じてしまった

徐々に行動や言動もおかしくなってきてたのにも関わらず…
たまに帰るあたしには、帰る度に父が父じゃなくなる感じしかなかったけど
毎日一緒にいる母が変わらないと言うから、それ以上言えなかった。

嫌いのわけ

少し触れたけど父が嫌いな理由は好き勝手して辛い思いしたから
詳しくは述べないけど、辛い思いとは両親のケンカを目の当たりにたくさん見ていたから 好き勝手して家計が苦しいとかではなかった 一応父は公務員していて安定した収入はあったし、先代が残してくれた家諸々あったから不自由はなかった ただケンカが激しかった 母も悪い癖でお酒を飲まないと不満を一切いわなかった人だから尚更収集つかなくて…
でも私は母を責める事ができなかった
なぜなら婦人系の癌を患い、余命宣告までされたのに頑張って一年入院の治療を耐えて戻ってきた人だったから
それが24年位前の話だけど両親のケンカはもっと前からあったけど
本当にさらけだすのが恥ずかしいからいえないけど、いろんな事で父が親として、男として嫌いだった

だから、年月が過ぎ、異変があったのも ただの怠けかと思ってしまった…