今朝は晴れて居ますね
暑くなりそうですね
朝早くに千葉で震度5弱の地震が起きたと
これ以上の地震が起きない事を祈ります
能登に続いて連動しないで欲しい
実はこのブログにも私の母の事を書いて居たのですが
御年94歳 要介護4認定
中々気が強いので頑張ってたのですが
ここ数カ月で急に状態が悪くなる一方で
コップが持てない → まぐまぐストロータイプ
噛む力が弱った → 刻み食
立つことが困難 → 完全車いす
そして誤嚥性により食後はむせたりゴロゴロと言ったり
吸引(介護保険使いリース)が必要になり
坂を転がる如くに悪化しておりました
GW前には施設の看護師の方から
「会ってあげてね~」っと言われて居たので(2~3日に一度は施設に行って居た)
私の長男を連れて5月2日に会いに行って来たのです
誰よりも会いたかったんだろうなぁ
お風呂に入れてもらってたので部屋で待って居たら
車いすで部屋に入って来るなり
「〇〇!!」っと言って
私には見せた事の無い最高の笑顔(笑)
数か月前には長女(私の娘)が病院に付いて行ってくれた時には
誰かが認識出来なかったのに
長男は名前を言えたし笑顔!
余程会いたかった相手だったんだなぁ~っと
「もうばーばんあかんわ~だって90・・・」
(決して94歳とは認めない)
始めて本人から90・・・と
不思議に思って居たら
「ホンマは80歳なんやけどね~」って(爆)
ギャグ?マジ?
小一時間の間色々話をして居て認知症の不思議
私の所の2人の内長男だけ認識してる
兄の所の3人の内長男だけ認識してる
何故に!?長男だけ???
いくら他の名前を言っても頭をかしげてた
お風呂上りだったし余り長時間はと1時間程で
切り上げようと
息子に「手を握って話してあげて」っと
息子がばあさんの手を両手で握って
「頑張るんやで~しっかりご飯も食べてな・・・・」
また来るからがんばりや~って
部屋を出てドアが閉まる寸前まで
ばあさんは満面の笑みでずっと手を振ってた
今から思えばそれが最期の姿だった
きっと会いたかった孫にも会えて
納得したのかなぁ?
7日に施設から電話が有って「すぐに来てください 危ない状況ですので」っと
急いで娘を連れて車で走って行って
部屋に入ったら
ベットでいつも寝てる様に
真っすぐ上を向いて(鼻が悪いので)口を半開きにして目はつぶってた
寝てるの???っと思って近ずいてみたら
喉が動いて無い?息をして居ない?
間に合わなかった様です
お昼にはご飯を3口ほどだけれど食べて
その後栄養補給ゼリーもまぐまぐで飲んで
看護師さんが部屋を出たそうです
小一時間ほどして部屋を覗いて見た時にはその状態だったそうです
何より施設の方々が一番びっくりされていました
誤嚥性肺炎のよる発熱も数日前には下がって居たし
調子が良かったのに・・・っと
じぃさんが先に逝って2月で10年経ちました
じぃさんが諦めたのか?
ばあさんが食べるのが楽しみだったのに刻み食に変わって楽しみが無くなったのか
(ずっと施設のご飯が美味しいねん♪って言ってたから)
孫の顔も見れたし
思い残す事が無くなったのかもしれない
施設の主治医さんが飛んで来てくれて
死亡診断書には 老衰 としか書けない
2日に診察した時は調子良かったのにっと
その後契約していた葬儀社さんに電話を入れて迎えに来てもらって
7日夜から葬儀場で安置を頼みました
コロナカなので家族葬で通夜と葬儀は一日葬でとお寺さんにもお願いして
9日朝から
告別式 → 初七日法要 → 斎場へ移動 → 骨あげ → お寺さんへ移動 →
49日法要 → 納骨読経
(じぃさんのお位牌から性根抜きをして仏具屋さんに頼んでばあさんの戒名を彫ってもらう。後でお寺さんが再び性根を入れてくれて戻してくれる予定)
始めはまさか納骨まで一日で終わるとは思って無かった
葬儀社の担当者さんとお寺さんとの話合いで決まったそうです
私が喪主をして居たのですが49日まで祭壇大変だろうと
有難いですね
良い葬儀社さんとお寺さんに恵まれたと思って居ます
94年間好きな事をして過ごして来たばあさん
最期も全く苦しむ事も無く
きっと本人は今でも寝たのに~何で?って思って居るかとは思いますが
お墓の中で2人の遺骨が(上下)並んで居るので
10年ぶりに会って夫婦喧嘩してなきゃ良いけど
これは8日の夕方に撮った写真です
最近の写真が良いのが見つからず
かなり若いころの写真です
多分60歳そこそこの写真を遺影に
歳をごまかしてた母には若い頃のを使った方が良いかとね(笑)
私は役所周りと施設の部屋の撤去作業・ばあさんの家の片ずけと名義変更などの処理
今から忙しくはなりますが
少し肩の荷がおりてホッとしています
長生きして大往生
良い人生だったね